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 放課後、ここは生徒会室。  6時間目の古典の授業とSHRを終えて生徒会室へやってきた僕は、本日の業務を欠席させて欲しいと申し出るためここにやってきた。  何度目かの生徒会室は、始めて来た時程緊張する場所ではなくなっていて、ドアの前でノックを躊躇することもない。  控えめに“コンコン”と叩くと、今日も中からぽややんとした声が返事をくれた。 「は~い」  返事とほぼ同時にガラリとドアが開いて、相変わらずキラキラしたオーラを纏った先輩が出迎えてくれる。 「お疲れ様です、一瀬先輩」 「いらっしゃ~い。 ゆずくん、今日はあっきーもいるよ~」  どうぞ、と招き入れるような仕草をされ、つられて中に入りそうになり慌てて目的を切り出す。 「あっ…あの…、先輩…」 「ん~?」  こういう時、何と言ったら良いのだろう。  相手は先輩で、お試しとはいえ生徒会業務を手伝う約束をしていて、そもそもちゃんと授業を聞いてなかった僕が悪くて、もっと言えば数学が苦手なのも僕の勝手で。  波風を立てず、相手を不快にさせない方法がわからない。 まともに人付き合いをしてこなかった弊害がこんなところでも仇になる。 「あのっ、今日…その… …」 「うん、今日何かあったのかな~?」  先輩のぽややんとした口調が優しくて、促されるような空気につられて言葉が溢れる。 「今日…あの、数学が…えっと…テストで、明日…だから… … …」  勝手にこぼれ落ちる言葉はそれだけでは意味をなさなくて、これでは伝わらない。 こんなことでは、内容以前に僕の態度で不快にさせてしまいそうだ。 「ゆーずくん、落ち着いて~」  何故かクスクス笑う先輩。  怒ったり呆れたりしてなくてほっとしたけど、何で笑ってるんですか。 「あ、ごめんごめん~。 何か振り出しに戻った気がして面白くてね~」    振り出し?  相変わらずぽややん先輩の思考回路は摩訶不思議だ。 「とりあえず~、ゆずくんは数学が苦手なのかな~?」  その通りです、名探偵ぽややん。  これ、あれですよね。  いつもの流れがくるやつ。 「一年生の数学は小野先生だよね~。 午後のオノセンの魔力にやられたのかな~?」  小野先生はおじいちゃん先生の名前。  って、今の発言は僕の時間割を予め把握してたのか、推理したのかどっちですか。 「ということは~、油断して試験範囲を聞き逃しちゃったんだ~」  然り気無く試験範囲を言うのはやはり有名なのだろう。  油断大敵って分かってたのに。 「それで~、小テストまでに勉強しないと~ってなったのかな~?」  あってる?と、疑問系で尋ねてはいるけど確信しているんだろう。 「いっちー、あなた発言に気を付けないとストーカーっぽいですよ」 「えっ!? 俺、そんなに変なこと言ってた~?」 「対象のスケジュールを把握して行動予測を立て、何も言わずともあなたのことは分かってますと言わんばかりの発言。 おや、本当にそれっぽいですね」  水嶋会長にかかると名探偵もストーカーになるらしい。  言われてみれば対象を詳しく調べるという意味では、両者は紙一重なのかもしれない。  先輩が良心的な人でよかった。 「とりあえず、中に入りましょう。 数学はいっちーが教えてくれますよ」 「えっ?」 「こんなですけど一応特進科ですからね。 心配でしたら俺が教えて差し上げましょうか?」  色々と、と笑うその姿は艶美とも妖艶ともつかない雰囲気で、近寄ってはいけない何かを感じる。 「あっきー、手出したら怒るよ~?」  一瀬先輩が背に隠すように僕と水嶋会長の間に割って入る。  手を出すって、水嶋会長はスパルタ教育なんだろうか。 「あの、本当に数学教えて頂けるんですか?」  一人でやるよりは手を出されても耐えてみせる、位の気持ちで声を掛けたら、水嶋会長が盛大に吹き出した。 「ククッ…、いっ…いっちー。 高梨くんは良いみたいですけど?」 「いいわけあるか! どっちがぽややんなのか本気で分かってないんだよ!」  先輩の口調がいつもと違う。  それにしても、僕がぽややんって思ってたことまでバレてるなんて、名探偵もストーカーもびっくりのエスパーっぷりだ。 「ゆずくんはこっち! 俺が教えるから、あっきーには近付いたらダメ! わかった~?」  パソコンのあるデスクの方へ肩を震わせながら戻っていく水嶋会長とは別の、応接セットの方へ誘導される。 「先輩も、水嶋会長も特進科だったんですね」 「そうだよ~。 でもあっきーは怖いからね~。 近付いたら絶対にダメだからね~?」  わかった?と、何度も念押ししてくる先輩。 「俺はいつでも歓迎致しますよ」と向こうで笑ってる会長とまたしても言い合いになりそうな気配に慌てて返事をする。 「あの、先輩は優しく教えてくれますか?」 「うっ…」 「先輩?」 「あ~…ゆずくん、数学だけじゃなくて国語も勉強しようか~」 「僕、国語は得意です」 「そっか~、得意か~。 とりあえず数学やろうか~」  ちょっと疲れた雰囲気の先輩に「お願いします」と頭を下げ、今日書き写したばかりのノートと数学の教科書を渡した。  ざっと目を通した先輩は、さっきまでの疲れたものともぽややんとしたものとも違う、凛とした雰囲気でいくつか僕に質問をした。  数学の何が苦手なのか、受験勉強はどうやっていたのか、高校に入ってからの進捗などの本当に簡単なこと。  それから、簡単な問題をいくつか出される。   解き終わると答えを確認され、間違えた問題は考え方の確認をされた上で躓いた所を解説してくれた。  決して答えは教えてくれないけれど、自分で解答に辿り着くまで何度でも正解に辿り着くまで繰り返し。  そのうちに自分の知っている公式だけで答えに辿り着き、辿り着いた答えが新たな公式となっていく。  気付けば今日ノートに書いた問題と同じものが解き終わっていて、さっきまで数字の羅列にしか見えなかったものの意味が理解できるようになっていた。 「あれっ? できたぁ…」 「うんうん、できてるねぇ~」  先輩の雰囲気もぽややんに戻っていて、勉強の時間はあっという間に終わりを告げた。  放課後どころか家に帰ってからもやり続ける予定だったのに、まだ一時間位しか経っていない。 「先輩、すごいです」 「ゆずくんが頑張ったからだよ~」 「いえ。 僕一人だったら徹夜しても理解できたか分からないです。 ありがとうございました」 「そう~? ゆずくんの役にたてたならよかった~」  自分のことのように嬉しそうに笑う先輩。  僕も先輩のために何かできたらいいのにって思った。

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