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「先輩? なんだよそれ、まさか助けを呼んでるつもりか?」
先輩?
なんで?
僕、今呼んでた?
「今更だよな?」
目の前にいる彼は、さっきまでとは違う剣呑な雰囲気を醸し出している。
橋の向こうではまだ雨が降り続いていて、人の気配は感じられない。
「お前が誘ったんだろ? その目でさ」
「やっ…」
手を延ばされ咄嗟に振り払い、その場に蹲ってしまう。
もう何も見たくない。
誰にも見られたくなくない。
さっきまで親切な人だったのに。
挨拶して、ちょっと話して、優しくしてくれたのに。
――ねぇ。
優しい世界なんて、本当はどこにもなかったのかな?
それとも、僕が変えてしまったのかな?
ジャリッ…。
「ゆずくん?」
誰かに呼ばれた。
でも今顔を上げたらまた見られてしまう。
「ゆず…。 ――この子に何か?」
「ま…まだ何もしてない」
「まだ?」
「そいつが…っ、そいつが誘ってきたんだっ!」
「この子が? 誘った?」
「そ、そうだっ! 私は悪くない!」
「…こんなに怯えているのに?」
「チッ…も、もういいっ。 私は忙しいんだっ…」
ジャリッジャリッと足音が雨の向こうに消えていく気配を感じた。
――居なく、なった?
「ゆずくん?」
ビクッ、と肩が跳ねるのが分かる。
この声は多分、一瀬先輩。
「ゆずくん、顔上げられる?」
無理だ。
今、上を向いたらきっと目が合ってしまう。
「ゆず――」
いつもよりずっとずっと優しい声音。
「――ゆず、何が怖いの?」
――何が?
目が合うこと?
誤解をされること?
優しい人が変わってしまうこと?
僕が優しい世界を壊してしまうこと――…。
「ゆず」
突然、ふわっと温かいものに包まれた。
「いいよ。 そのままでいい」
耳元に直接響く声で、温かさの理由は先輩に抱き締められていたからだと気付いた。
顔を上げられないのなら、そのままでいい。
立ち上がれないのなら、蹲っていて。
声を出せないのなら、黙っていたっていいんだ。
「ゆずが安心できるまで、ずっとここにいるから」
初めて会った時と同じだね、って。
しゃべりたくなければ俺が話しかけるから、って。
本当にたくさん、話してくれた。
クリーン活動はほとんど終わっていて、みんな雨が降ってきたから学校に避難してるんだよ。
ゆずくんが帰ってこなかったら迎えに来たんだ。
傘持ってきたけどずぶ濡れになっちゃったね。
そろそろお昼だし、お腹も空いたよね。
前に食べてたお弁当、美味しそうだったな。
いつか作ってくれないかなって思ってたんだ。
唐揚げ、好きなんだよね。
ゆずは小さいね。
転んだりぶつかったりしたら壊れちゃいそうだし、風が吹いたら飛ばされそうで心配だよ。
初めて会った時も、護ってあげたいって思ったんだ。
小さくても男の子なのにね。
探偵ごっこ、楽しかったね。
いつもよりいっぱい話してくれて嬉しかったよ。
ビシッとは決まらない終わり方だったけどね。
「ゆず、君の笑ってる顔がまた見たいな」
――先輩、僕笑ってましたか?
クリーン活動、初めて参加して戸惑うことも多かったけど楽しかったです。
さっき始めたところから橋の近くまで見ましたか?
すっごく、綺麗になったと思うんですよね。
先輩、唐揚げ愛が重いです。
いっつもその話ししますよね。
僕も先輩に何かお礼がしたいなって思ってたから、唐揚げの入ったお弁当作ったら喜んでくれますか?
「せん…ぱい…っ」
「ゆず?」
「僕っ…」
「うん」
「僕、先輩と…一緒に居る、の…楽しかった、です」
「うん」
「探偵ごっこ、楽しかった、です」
「うん、俺も楽しかったよ」
「だけどっ…」
「うん」
だけど、先輩。
「こわ…こわいっ…です」
優しかった人が変わってしまうことが。
それが僕のせいかもしれないことが。
「うん」
「ぼ…僕と…っ、め…目がっ――」
ボロっと涙が溢れた。
こんなことを言ったら気味悪がられたりしないだろうか。
先輩も、変わってしまうのではないか。
ますます怖くなって言葉が出ない。
「ゆず?」
優しく促すような先輩の声。
この声を聞くことも出来なくなってしまうかもしれない。
生徒会室でお茶を入れることも。
先輩と水嶋会長の掛け合いを聞くことも。
吉川先輩もポチ先輩も“よろしく”って言っていたのに。
――全部、ぜんぶ、失くなってしまう?
「やっ…やだぁ…」
「えっ? えっ、ちょっ…ゆずくーん??」
突然号泣し出した僕に、先輩が本気で慌てている。
「泣かないで~」っていつものぽややん口調で慰められてますます涙は止まらない。
「うぇっ…やだぁ…こわいぃぃ…」
「ゆず、ゆーず、ゆずくーん…」
泣いたことで頭はパニックになるし、出てくる言葉も意味をなさないものばかり。
先輩はちょっと困ったような声でずっと名前を呼んでいた。
抱き締めて。
温かい手で宥めるように撫でながら。
僕が泣き止むまで、本当にずっと傍にいてくれたんだ。
散々泣いて酸欠でちょっと頭が痛くなるくらい経った頃、パニックだった頭も落ち着いて現実を振り返って急に恥ずかしくなった。
「せ…先輩、あのっ…」
「うん?」
「ご…ごめん、なさい。 突然…」
「うん、大丈夫。 半分役得だから」
「?」
未だに顔を上げられないままでいる僕を無理に引き離すこともなく、ずっと頭や背中を撫でてくれている。
雨で濡れて冷たいはずなのに、先輩の腕の中は温かくて居心地がいい。
「ねぇ、ゆず」
「はい」
それから先輩は僕が予想もしていなかったことを言った。
力強くて酷く甘い言葉で。
でも優しくて温かくて、また一粒、涙が零れた。
「ゆずが怖いこと、教えてくれないかな?」
俺と話すのに凄く勇気を出してくれたこと
生徒会に居るために凄く頑張ってくれたこと
ずっと見ていたから知っているよ
だからもし
君がまだ頑張りたいと思ってくれるなら
一緒に居たいと思ってくれるなら
「俺に君を護らせて」
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