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「ゆずるくん、目が大きくて気持ち悪い」
最初の記憶は小学校の時。
同じクラスだった女の子の心無い一言だった。
子供同士の喧嘩でとりあえず思い付いた言葉を言っただけだったのかもしれない。
そうなった原因なんかもちろん覚えてない。
それ以降もお互い気まずくて話すこともなくなってしまったけれど、生まれて初めて言われた“否定の言葉”は思いの外僕の心を蝕んだ。
次の記憶は小学校四年生のテスト。
苦手な算数を挽回すべく、テストで瑛士にヤマをはってもらった。
結果は大当たり。
まさかのクラスで二番の点数を取ることができた。
もちろん一番は瑛士だったけど、僕には会心の出来で緩む頬を抑えることができないでいた。
それが気に触ったんだと思う。
いつも二番目だった男の子が真っ赤になって怒った。
「そのでっかい目でカンニングでもしたんじゃねぇの?」
いつも二桁の順位だった僕に抜かれたわけだから気持ちも分からないわけではない。
けれど“それ”引き合いに出されたのは二回目で。
また“それ”がいけないのかと蝕まれた心は更に澱んでいった。
その後もそんな事は度々あった。
その度少しずつ、少しずつ人と関わるのが苦手になっていった。
決定打になったのは小学校五年生の時。
その頃、本を読むことに嵌まり始めた僕は学校が終わると図書館に行くのが日課になっていた。
本を借りた後は、公園でバスケをしている瑛士と待ち合わせて帰るというのがお決まりのコース。
僕が夢中になって本を選んだ日には瑛士が待っていてくれたし、瑛士の試合が白熱している時は公園のベンチで本を読むのも楽しみの一つだった。
ある時。
いつものようにベンチで本を広げていたら、気付くと隣に人が座っていた。
公園にはベンチはいくつもある。
何でわざわざ同じベンチに?
怪訝に思って隣を見上げると、その男と目が合った。
「その本、面白いよね」
その日以降、気付くとその男が隣に座っていることが何度かあった。
最初こそ怪訝に思ったりもしたけれど、会う度に聞かせてくれる魅力的な話に本を読むのと同じくらい引き込まれて行った。
本の舞台となった場所、同じ作者の別のお話、映画化した話、オススメの本――。
瑛士を待っていたはずなのに逆に待たせていた、なんてこともあったくらいだ。
そんな事が続いたある日。
「特別な本を見せてあげるから家においでよ」
ある日男はそう言って、僕の手を引いて立ち上がった。
特別な本という言葉にはとても惹かれたけど、よく考えてみれば趣味が合うこと以外に相手の素性を何も知らないことに突然恐怖を覚えた。
「あの、知らない人に付いていったらいけないって…」
そう、思わず言ってしまった。
「――知らない人、って何だよ…。 今まで散々話してただろ?」
突然変わった話し方。
表情や雰囲気も、それまで楽しく話していた人と同じとは思えないほど険悪なものに変わっていた。
「ごめ…」
「ごめんじゃないよなぁ? 散々良くしてやったのにその言い方はないんじゃないか?」
毎日ここで会ってただろ。
知らない人はないんじゃないか。
楽しそうに話してただろ。
色んなこと教えてやっただろ。
恩を仇で返すのか。
いいから行くぞ、と強引に手を引かれて躓いた。
怖くて声は出ないし、強引に引かれる手も傷ついた足も痛くてどうしたらいいのか分からなかった。
そのまま引きずるようにひっぱられ、今にも公園から連れ出されそうという所で駆けつけた瑛士に助けられた。
「その気がねぇならそんな目で見てんなよ」
去り際に舌打ちとともに吐き捨てるように言われた言葉。
それはそれまでに散々蝕まれていた心を閉ざすには十分なものだった。
それから――。
僕は前髪を伸ばし始めた。
人から見られないように。
不用意に見てしまわないように。
「僕と、め…目が…合った人は…みっ…みんなっ、嫌な思い、とか…誤解、を…させて、しまうみたいで…」
家族も瑛士も僕のせいではないと庇ってくれた。
でも悪く言われたり怒らせたり勘違いをされてしまうのは目が合った人ばかりで、髪を伸ばして目を合わせないようにしてからはパタリと起こらなくなった。
もう僕が悪いとしか思えなかった。
「直、そうと…思ったん、です。 でもっ…な、何がいけないのか、分からなくてっ…どう、したら、良かったのか…今もっ、分からなくて…」
つっかえながら辿々しく話す僕の言葉を、先輩はずっと黙って聴いていていてくれた。
言葉に詰まった時にはそっと背を撫でて「焦らなくていいよ」って励ますようにして。
バケツをひっくり返したように降り出した雨も止んだのか、いつの間にか先程まで聞こえていた雨音も聞こえなくなっている。
静かになると色々と話してしまったことが急に不安になってきた。
「せん、ぱい…?」
「うん?」
「あの…」
「どうした?」とでも言うように返事をされ戸惑う。
やっぱり先輩も嫌になってしまっただろうか。
だから何も言わないのだろうか。
続く沈黙に再び涙が零れそうになってきた頃、溜め息と共に先輩が言った。
「…ゆずくんはさ~、おバカさんだよね~」
「ふぇっ!?」
ふぇって何、とクスクス笑う先輩。
馬鹿と罵るわけでもバカにしたように見下すでもなく、言われたその言葉は妙に暖かくて、言葉の持つ意味とのギャップに困惑してしまう。
「ねぇ、ゆず。 顔上げて?」
「――や…です」
「ね、大丈夫だから。 こっち見て?」
「大丈夫…じゃ、ないです」
「ゆーず。 いい子だから、ね?」
「いい子」といいながら宥めるようにポンポンと撫でられる。
けれど同時にずっと抱き締められていた腕が離れていき、一気に不安が押し寄せてくる。
思わず目の前の温もりにすがり付き、いやいやをするように首を振った。
「や、です」
「大丈夫だから。 ね?」
ゆず、お願い、いいこだから、と延々と繰り返えす先輩。
やです、だめです、大丈夫じゃないです、といやいやを続ける僕。
それでも飽きもせず語りかけ決して無理強いはしない。
「名探偵さんが言うんだから間違いないよ~、大丈夫大丈夫~」
ついには名探偵ぽややん先輩まで出てきた。
でも先輩。
名探偵ぽややんの推理って最後はただの直感ですよね?
根拠、ないやつですよね?
「あ、ちょっと。 今失礼なこと考えたでしょ」
もう嫌…。
下向いてるのになんでわかるんだろ。
名探偵だから?
――でも、いつもの感じにホッとする。
「ゆーず。 ね、怖くないから」
そう言って、頭を撫でていた手が輪郭にそって頬に滑る。
大きな手に包まれた頬で親指だけが擽るように目元を撫でる。
「大丈夫。 傍にいるよ」
「ね?」と、ほんの少しだけ込められた指先の力に、もうこれ以上逆らうことは出来なかった。
「目、真っ赤。 うさぎさんみたい」
「うぇっ…せん、ぱいぃぃ~…」
目の前でクスッと笑う先輩はいつもと変わらなくて。
やっと繋がった視線の先で優しく笑っているのを見たら、せっかく止めた涙も結局零れてしまった。
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