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「えっと…? 次の式を因数分解せよ??」  放課後。  先輩の授業が終わるまでに少しでも進めようと思い、瑛士に書き写させてもらったノートを見ながら問題集とにらめっこをしていた。 「3x²+xy-2y²+6x+y+3…??」  そもそも何で数学の問題にアルファベットが入ってるのか。  数字か英語かどっちかにして欲しい。 「=3x²+(y+6)x-2y²+y+3 ?えーっと?? Xでまとめてるのかな…。 =3x²+(y+6)x-(2y²-y-3)は…括弧にいれると±がひっくり返るんだっけ?」  何となく聞いたことのある知識と写したノートを見比べて自分なりに検討してみるけど、合ってるのかどうかイマイチ自信が持てない。 =3x²+(y+6)x-(2y-3)(y+1) ={3x-(2y-3)}{x+(y+1)} 「… … …なんで?」  次にに展開された式がどうしてそうなるのかついに理解できなくなってしまった。  こんなにこんがらがりそうなことばかり考えたがるなんて数学を好んでやる人は変態ばかりなんじゃないだろうか。 「何この変な括弧…。 本気で暗号にしか見えない…」 「それは中括弧かな~。 そこはねぇ~“たすきがけ”をしてるんだよ~」  突然、頭上からぽやぽやとした声が降ってきた。  いつの間にか先輩も来ていたらしい。  それにしても中括弧というのに名前には聞き覚えがあるけど、たすきがけとはなんだろうか…。 「…たすき、がけ?」 「ふはっ。 数学くらいでそんな不安そうな顔しないの~」  空いた席に荷物を置いた先輩は僕の隣に椅子を持ってきて、僕の頭をポンポンと撫でて可笑しそうに笑った。  “一緒にお勉強”と言っていたのに先輩は勉強道具を出していなくて、僕のノートを覗き込んで早速解説をしてくれる。  いいのかなと思いつつも、心地よい声音で紡がれる暗号解読の手法に耳を傾けてしまう。 「で、こーなるから~。 答えは?」 「――(3x-2y+3)(x+y+1)、です…か?」 「正解~!」  授業中には全く理解できなかった問題をものの数分で解決してしまった。 「先輩すごい、です。 できました」 「ゆずが解いたんだよ~。 次もやってみる?」 「はい」  その後も途中で分からなくなった今日の授業分を丸々解説してもらい、試験範囲の振り替りと去年の試験傾向から抑えておくべきポイントまで教えてもらった。 「そろそろ休憩しようか~」 「あ、はい。 すみません、僕の勉強ばっかり見てもらってて先輩の勉強全然できてないですね…」 「いいんだよ~。 後輩の面倒を見るのは先輩の役目だからね、ゆずの面倒なら喜んでみちゃうよ~」  生徒会の後輩だから、ということだろうか。  他の人よりちょっと特別な後輩扱いをしてもらえているなら、何となく嬉しい気がする。 「えへっ…。 ありがとう、ございます」 「ん~、イマイチ伝わってない気もするけど嬉しそうだからまぁいいか~」  わしゃわしゃと撫でられた前髪の隙間から優しく細められた薄茶色の瞳と視線が合って、本当に迷惑だなんてこれっぽっちも思っていないのが分かる。  それもやっぱり嬉しくて頬が緩んできたのを自覚した時、前髪から降りた手にむにっとひっぱられた。 「いひゃいれふ…」 「くくっ…。 変な顔~」  先輩がやったくせに酷い。  視線で咎めると「ごめんごめん~」と心のこもってない謝罪と共に手を離される。 「あんまり可愛い顔してると、そのうち狼さんに食べられちゃうよ~」 「…可愛い顔なんてしてません。 僕は変な顔ですからね」 「それは冗談だって~。 あっ、ほら。 先輩は可愛い可愛い後輩の淹れてくれたお茶が飲みたいな~」 「はいはい。 変な顔だけど可愛い後輩の僕が格好いい先輩にお茶を淹れてきますねっ」  ぷいっと顔を背け、怒ったふりだけして立ち上がる。  後ろでまだ何か言ってたけれど、とりあえずサクッと無視してキッチンの棚を漁り今日のお茶を選ぶ。  ――今日はハーブティーにしよう。  お湯を沸かしカップを用意して、ゆっくり丁寧に淹れたお茶を手に振り替えると、先輩は何かの本を読んでいた。 「先輩?」 「ん? あぁ、ごめんね。 今丁度良いところでね~、続きが気になって勉強どころじゃないんだよ~」  小説の続きが気になる気持ちは凄くよく分かるが、特進科の試験は凄く難しいらしいけど大丈夫なんだろうか。 「何の本、読んでるんですか?」 「これ? これはね~、今やってる映画の原作だよ~。 読んでるのは映画よりずっと先の話だけどね~」 「映画の原作…」 「あれ? ゆずも小説好き? これはね~、主人公の弁護士が事件の真相を紐解くために奔走する話だけど…知ってるかな~?」 「――先週公開されて、主題歌とかも話題になってるやつですか?」 「あっ、知ってる?? CROWNの新曲、映画の雰囲気にぴったりでいいよね~」  知ってるも何も、見たかった映画だ。  前作はDVDをレンタルしてきてもらって見たから、今回も映画が公開されたと聞いて気になっていた。  DVDになるのはだいたい半年は先だからすごく待ち遠しい思いをしていたところだ。  ちなみにCROWNというのは3人組のボーカルダンスグループだ。  知らない人は居ないのではないかという程の知名度と、歌にダンスに演技にトークと圧倒的な実力を誇る、誰もが認める国民的アイドル。  今回もメンバーの一人が映画の主人公を演じていて、メディアではかなり話題になっている。  そういう僕も前作で魅力された一人で、今回の続編も密かに楽しみにしていた。 「元々は原作の小説が好きなんですけど、映画で主人公役の人がイメージにピッタリで凄くびっくりして…」  そうなのだ。  小説から出てきたのかと思う程イメージがピッタリでDVDも何度も見返した。  けれど歌番組に出てる時は全くの別人で、それが映画に出ていた彼だと初めは気付かなかった位だ。  演技であれだけ作り込める人が居るとこにも驚いて、それ以降彼の出ている作品は逃さずチェックするようになった。  所謂“中の人”に興味がなかった僕には異例の事だ。 「分かる分かる~。 実は彼をモデルに書いたんじゃないかって位ピッタリだったよね~」  まさか先輩も嵌っていたとは。  思わぬところで趣味の共通点が見つかり、もっと色々話したい衝動に駆られる。  この話が好きならあの本は読んだだろうか、あるいはあの映画は…。  趣味の話で盛り上がれる人なんて初めてだ。  テストとかどうでも良くなってくる。    興味津々で先輩の言葉にコクコクと頷いていると、先輩がにっこり笑って言った。 「ゆず、テストが終わったらデートしようか~」 「デー…ト?」  僕も先輩も男なのに?  デートって何するんだっけ??  頭の中にいくつかの疑問が浮かんだ。  けれど、そんな疑問はこの後の魅力的な一言の前では何の意味もなさなかった。  半年先までお預けだと思っていたそれが突然目の前にやって来たのだ。 「映画、一緒に見に行こう~」    直前の疑問なんて秒で忘れて反射で頷いていた。

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