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66 ───Side 煌來───
名探偵の憂鬱・上
「いっちー、溜め息ばかり吐いてると幸せが逃げるそうですよ?」
パソコンを見る視線を外すことなく言われたその台詞で、ふっと現実に思考が戻ってきた。
ずっと起きていたはずなのに、目の前に広がる光景を見て心ここに在らずだったことを実感する。
「ん~、そんなに溜息吐いてた~?」
「ええ。いらっしゃってからそんなに経ってはいませんが、そろそろ片手では足りなくなるのでは?」
チラリ、と今度は壁に目を向けたあっきーが、黒縁眼鏡のフレームを指先でスッと押し上げる。
つられて見た先では短針が八と九の間を指していて、かれこれ三十分はぼーっとしていたのかと軽く衝撃を受けた。
人様の部屋に突然やってきてこれでは少々申し訳がない。
「あっきーってば三十分も気にしてくれてたなんて、やっさし~」
とはいえ相手は気心の知れた相手。
軽い謝罪を冗談混じりに伝えると、呆れたような眼差しの中に若干の心配を含んだ複雑な視線が飛んできた。
「はいはい。 で、何なんですか一体。 辛気臭くて仕方ないので聞いて差し上げますよ」
「あれ、本当に優しい。 何かいい事でもあったの~?」
基本的に他人には興味を示さないくせに珍しいこともあるものだ。
明日は季節外れの雪でも降るのかな?
「俺のことはいいんですよ。 お話にならないのでしたらコレ、手伝って頂けますか?」
ポイっと放って寄越された書類には「報告書」の文字。
話すのか話さないのかは好きにしろ、と分かりやすく投げて寄越された選択肢が、彼流の優しさだと気付ける人はどれくらいいるのだろう。
パラりと書類を捲ってみれば、先日の一連の事件概要と容疑団体への対応結果が綺麗にまとめられていた。
さすが。
優秀な生徒会長様はお仕事がお早い。
「ん~、まあ手伝うけど…。 ――最近さ~、ゆずが可愛くて困ってるんだよね~」
せっかく渡された優しさなので両方ありがたく受け取らせてもらうことにして、書類に目を通しながら当たり障りないところから話しを切り出す。
ここに来る直前、遠慮するゆずを押し切って家まで送り届けてきた。
「寄っていきませんか」という控えめで可愛い誘惑を丁重にお断りし、やってきたのはここ。
生徒会長様の住まう学生寮だ。
閑静な住宅街にあるこの寮の四階に、我が校の生徒会長様がお住いになっていることを知る人は寮生以外殆ど居ない。
寮でまで働きたくない、というそれだけの理由で箝口令を敷いたらしく、たった一言発しただけのそれが寮長を中心に忠実に守られているのだとか。
一体どんな恐怖政治をしているんだか。
「それ、問題なければ学校へ提出しますから抜けがないか確認して下さい。 それから、高梨くんが可愛いのは以前から存知ておりますよ」
カチコチと秒針の音が響く。
「――あっきーにはあげないよ?」
数瞬見詰めあった後、盛大な呆れ顔で溜息を吐かれた。
緊迫した空気が一気に緩んでいく。
「俺にまで牽制しないでくださいよ…」
「――だねぇ。 俺も大概余裕がないなぁ~」
似たような台詞を数日前にも口にした覚えがある。
相手はクラスメイトの弓道部副部長。
誠実そうな雰囲気とそれを裏切らない人柄。
普段なら人嫌いを最大限発揮するゆずにすら警戒心を抱かせなかったいい人の見本みたいなやつだ。
警戒を解いたゆずの可愛さは身を持って知っている。
それはもう。
嫌という程。
そうなれば彼がゆずを好きになるのは時間の問題だ。
ただそれが思ったよりも早く、思ったよりも躊躇がなかったことは想定外だったけど。
「いつまでも周りに牽制ばかりしてないでさっさと物にしてしまえばよろしいのでは?」
「そう、だねぇ~…」
そう、そんなことは分かっている。
その気になればそう出来るであろうことも。
「乗り気ではなさそうですね。 得意だったでしょう? 惚れさせて意のままに操るのは」
「人聞きが悪いなぁ…。 ちょこっとお願いを聞いてもらったりしてただけだよ~」
操るなんてとんでもない。
本当にちょっとしたお願いをして、そこにちょっと意図的に笑顔を添えていただけだ。
「――腹黒王子。 物は言いようですね。 高梨くんにも“お願い”してみては如何です?」
「なんの事~? ――ねえ、そういえばあっきー。 うさぎちゃんはドS紳士のことは知ってるのかな?」
「冗談ですから、そう本気にならないで下さい…」
意図的な笑顔を添えて訊ねると、両手を上げ降伏のポーズで呆れ顔を寄越される。
一応冗談のつもりだったんだけど、割と本気に聞こえていたらしい。
「――余裕、なさ過ぎだねぇ…。 かっこ悪いな~」
「珍しいものが見れて楽しいですから構いませんよ」
「いい性格してるなぁ~」
「お互い様でしょう?」
「間違いないねぇ~」
この歳になれば周りからどう見られているのかなんてことは、自惚れではなく十二分に理解している。
それ利用して“お願い”をすれば大抵の事は思う通りにやってこれたし、笑顔を付け加えたり、ちょっとした一言で人より上手く立ち回ってきた自覚もある。
だけど――…
「ゆずには、ありのままで居て欲しいんだよねぇ~」
「意のままに操るのではなく、本気で惚れさせたいと? ――驚いた。 ベタ惚れじゃないですか」
あっきー至上稀に見る驚きの表情をされた。
そこで驚かれると俺がまるで遊び人みたいなんだけどな。
いくらなんでもゆずみたいな子を弄ぶ程いい性格はしていないつもりだ。
「なんでそこで驚くかな~。 好きでもない子を可愛がる趣味はないよ~?」
「それは失礼。 それで? ありのままで、ということは長期戦で行かれると決めているのでしょう?」
さすがあっきー、察しがいい。
「そうなんだけど…ゆずが凛ちゃんに気を許したのも、ドノーマルの凛ちゃんがあんなにあっさり落ちたのも想定外だったんだよね~…」
「要するに自分だけが特別だと思っていた所にライバルが登場して、おまけに懐かれてしまって焦ったと?」
「――その上、凛ちゃん先輩とか呼んでたからちょこーっといじめちゃったんだよね~」
「いっちー、あなた案外バカな人だったんですね…」
「あっきー酷い…」
「ポチですか、あなたは」
そう、バカなことをしたのは分かっている。
ゆずの中で少しずつ気持ちが動いてるように感じるのはきっと間違いではないだろう。
だからこそ、そんな大事なタイミングで感情に任せて動いてしまったことを少し後悔している。
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