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1章 炎の記憶 8

 ヴァルディースは絶叫した。  館中に響くほどの大音で叫んだ。壁がたわみ、水槽のガラスが激しく振動した。  ヴァルディースの炎が荒れ狂い、周囲の物を焼き、破壊する。炎はまたヴァルディースの体をも包み込み、自らの炎で自らを焼き滅ぼそうとした。  それは激しい後悔であり自分自身への強い憎しみだった。ユイスは死んだ。なぜか。自分が接触してしまったからだ。自分が存在したからだ。自分があいつと会いたいと願ってしまったからだ。それが最悪の形で、ガルグに弄ばれるという結末を招いた。自分がこの手で、ユイスを殺した。  無我夢中でヴァルディースは自分の体に爪を立て、肉を割き、己の体に流れる血肉を炎で焼き尽くそうとした。体の中で炎が燃え上がり、肉が焼ける痛みにのたうちまわろうとした。ヴァルディースは罰されたかった。罪を憎み、滅びという贖いをしたかった。けれど、どれほど感情を暴走させても、望むものは訪れなかった。  ヴァルディースの体はヴァルディースの炎では滅ぼすことなどできるわけもなかった。ヴァルディースは唸った。なぜだと叫んだ。なぜ自分だけは死ぬことができないのだと呪った。ガルグのせいか。呪われた自分のせいか。  水槽の中の揺らめく魂にすがった。その魂は自分が殺したユイスのものだ。自分が、レイスという双子の弟であった自分が、手にかけてしまった、片割れ。  ヴァルディースは泣きわめいた。許されるわけがない。誰より守りたかったはずなのに、自分がそれを裏切ったのだ。もう二度と、許してもらうことができない。もう二度と再会も叶わない。罪を償わななければいけないことはわかっている。存在するべきではないのに。けれど、それがどうしてもできないのだ。自分は永遠に、後悔に押しつぶされながら生きていくしかない。  せめてユイスが生きてくれたなら。たとえ許してもらえなくても構わない。憎まれたって殺されたっていい。それでももう一度、会いたい。独りになどなりたくはない。  願望でしかない事はわかっている。蘇るわけはない。だって目の前のユイスは魂だけしかない。肉体は自分が焼きつくしてしまったのだから。 「ユイスは生き返るって言ったら、ヴァルディースを返してくれるかい。ヴァルディースの中に残った子猫ちゃんの残り火よ」  ヴァルディースは振り返って困惑した。目の前に立つ、銀髪に白衣を着た胡散臭い男を、どこかで見た気がした。だがそんな事はどうでもいい。こいつはユイスを生き返らせるなんて言ったのか?  ユイスは生き返るのか? またもう一度会うことができるというのか。どうやって。でも、それはつまりユイスが自分と同じものになってしまうという事ではないのか。  冗談じゃないとヴァルディースは思った。ユイスに、一度死んだ恐怖を味あわせてもう一度よみがえらせるのか。自分と同じ目に合わせるというのか。  だとしたら、こいつは敵だ。自分の欲望のために、ユイスを苦痛しかない世界に放り込もうとするなんて、認められない。  ヴァルディースは再度身を震わせ、吠えた。憎悪によって巻き上がる業火はさらに躍り狂う。周囲の配線が燃え上がり、火花が散って水槽の明かりが落ちた。  目の前の男は肩をすくめ首を振る。それだけでヴァルディースの炎がかき消された。ふざけた態度に頭に血が上った。  ヴァルディースは飛んだ。全身をバネにして目の前の男に殴りかかろうとした。だが、自分の動きがまるで自分のものではなかった。無様にヴァルディースは床に倒れこんだ。感覚がおかしかった。歩幅が、腕の長さが、筋肉の質が、何もかもが自分の記憶と異なっていた。ヴァルディースは戸惑い、目の前の男を見上げた。  男は、呆れたように笑った。 「これで三度目だぜ。ったく。お前さんもお前さんの宿主も血気盛んなこった。起きろよ炎狼殿。境遇が似てるからって、簡単にレイスの記憶に体を明け渡すな。炎精の長ヴァルディース。お前はレイスじゃない。レイスは、そこにいる死にかけのガキだ」  レイスではない。何を言っているんだこの男は。それは自分の名だ。侮辱するにも程がある。自分がその名の存在じゃなかったらなんだというのだ。フォルマンの大地でユイスと共に生まれ、育ち、そして不当な暴力によって何もかも奪われた。自分はユイスの双子の弟の、いや半身であったはずの、レイスだ。 「オレは……」  だが、言葉にしようとした途端に、それが視界に入った。照明が落ちた水槽のガラスに映ったのは、見慣れた姿とは違うもの。炎の色に近い赤い髪。濃い血の色のような瞳。体つきは成人した男のもので、そしてその背後に映っていたのは、寝台に横たえられた本来の自分と同じ姿だった。  これは一体どういうことだ。自分はまた何かの実験でも受けさせられて、違う姿に作り変えられたのか。  いや、違う。そうじゃない。これが自分だ。水槽に映る姿が本物の自分だ。レイスではない。自分はヴァルディースである。  人の姿を解いて、ヴァルディースは獣と化し、ぐったりと項垂れた。  ああ、そうだ。ヴァルディースは思った。ほんの今まで、体の中に自分では全く制御できない程の荒れ狂う感情があることを、まるで他人事のように感じていた。  いや、他人事ではあるだろう。これはヴァルディースの感情ではない。ヴァルディースが体験した記憶ではない。複雑に絡みあってしまったレイスのものだ。ヴァルディースの中にあるレイスの記憶が、ユイスの魂に触れ合ったことで一時的にヴァルディースの中にレイスの意識を生み出した。 「この俺が、たかが人間のガキに」  くそ、と思わず喉の奥からこぼれ出た毒づきに、ザフォルが目の前ので吹き出した。ますますバツが悪くなって顔を背けると、自分がやらかした惨劇の爪痕を目の当たりにして、またがくりと肩が落ちる。 「ちょっと、そこで和まないでくださいません? こっちは真っ暗なんですから!」  水槽の中から癇癪を起こしたような甲高い怒鳴り声が聞こえてきた。ヴァルディースはその声にため息をつき、炎の塊を水槽の上に放った。 「うるせぇ、フェイシス」  水槽に明かりが戻り、姿がはっきりと見えてくる。両頬を大きく膨らませた男か女かわからない人魚のような姿に、ヴァルディースはもう一度最悪だ、とつぶやいた。

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