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2章 風を待つ熱砂 3

 グライルはガルグの一族ではなく、奴隷とも蔑まれる人間の下部構成員の一人だった。無口で無表情で、血の色のような赤い髪をしていた。  目が覚めて、体を動かせるようになると、レイスはグライルに当たり散らした。弱り切った子どもの力はたいしたものではなかったのだろうが、そのたびに、グライルはレイスを押さえつけるわけでもなく、「俺はこんな慰め方しか知らないからな」と、不器用ながらも優しく抱きしめ、キスをくれた。  いつもレイスは泣き疲れて、最後にはグライルの腕の中で眠ってしまう。グライルはレイスが現実を受け入れざるを得なくなるまで、ずっと何も言わずそうやって甘えさせてくれていた。家族と離れ離れになり、頼る者もいなかったレイスにとって、何よりも安らぎになった。  そうして、レイスのガルグにおける生活は始まった。  レイスはグライルに、魔術以外のあらゆる技を教え込まれた。ガルグの奴隷の一人として必要な技術で、当然ながら人殺しの技術でもあった。  グライルはガルグの奴隷達の中では頭一つ抜き出た存在だった。支配層である一族の者たちからも高い評価を得ていたほど。他の奴隷たちは任務を与えられてガルグの地下洞を出て行くこともあったのに、グライルにはそれもあまりなかった。もしかしたらレイスの面倒を見るという建前で、監視の任務でも与えられていたのかもしれない。  しかしレイスにとってはそんなことはどうでもよく、いつもグライルが一緒にいてくれることが純粋に嬉しかった。  グライルを師と仰いだレイスの腕は、みるみるうちに上達し、それに比例してガルグからは、ありとあらゆる任務が課せられた。  その傍ら、研究の実験台としての役割も当然強いられた。死ぬほどの苦痛を与えられてどれだけ耐えられるか、というものや、実用試験と称して力だけを引き出され、目の前で人間が消し炭になっていく様を見届けさせられることもあった。力を制御できず暴発させて、生と死を行き来したことも何度もある。調整という名目で、激痛を味あわされながら訳の分からない施術を受けさせられたことも。  耐えられなくて、夜中に飛び起きて、グライルのベッドに潜り込んだ。劫火に包まれて悶え苦しみ、自分を呪う人間たちが、夜眠っている間にも悪夢となって蘇る。 「もう嫌だ。なんでオレばっかりこんな目にあうんだ!」  グライルにしがみつき、泣きわめいた。泣いたってどうにもならないことはわかっている。しがみつかれた時のグライルの申し訳なさそうな表情が、レイスにも痛かった。こればかりはグライルにも、どうにもならないのだ。ガルグの奴隷でしかない人間が、ガルグの意に背けばどうなるか、など目に見えている。困らせてはいけない。そう思うけれども、辛いものはつらい。 「忘れたいか? たとえ一瞬でも」  優しく口づけを受けながら、ささやかれた。一瞬でも忘れられるなら、レイスはその希望にすがった。震える体は、忘れられるならなんでもいいとグライルにきつくしがみつく。もうこんなにつらいのは嫌だ。  その時のグライルの鳶色の瞳は、いつになく悲しそうだったのが、忘れられない。  その夜、それまでとは違うグライルの深い口づけと、熱い抱擁と、わずかな痛みを引き換えにした意識が飛びそうになるほどの快楽を、レイスは知った。  心地よい疲労とグライルの温もりに、どれくらいかぶりの安眠を貪った。  気がつけば、グライルがいるのが当たり前で、家族のように、いや、家族よりも大事な存在になっていた。初恋と言っていいのかもしれない。男のレイスが男に惚れると言うのはおかしな話だったが、何もかも失った中で唯一手に入れられた温かさに、そんなことは関係なかった。  実験が終わった後にはグライルに慰めてもらう。そんな毎日。「よく頑張ったな」という言葉は、よく耐えたな、という労わりだ。最初はどうしたって辛かった日々も、グライルのベッドで寝起きして、次第にレイスは、もう一度笑えるようになった。  けれども、そんなささやかな幸せなど、あっという間に終わる。 「グライルの嘘つき野郎。ずっとオレのそばにいるって言ったじゃねぇか」  か細く震える声でそう罵ったのは、レイスが母親をこの手で殺してしまった後。  母を殺した。その事実に気が狂うほどに叫んで、泣いて、疲れ果てた後に、レイスはグライルの姿を探した。いつもならすぐ見つかるはずだった。グライルはいつもレイスのそばにいてくれたのだから。  たまに下される任務でも、管理のガルグに尋ねれば、あとどれくらいで戻ってくるのかくらいは教えてくれた。けれどその時、無表情でも優しく大きな手で頭を撫で、抱きしめてくれた姿はどこにもいなかった。管理のガルグも、口を噤んだ。  グライルは、レイスが母を殺させられた試験の後に姿を消してしまった。試験の最中に近くにいたのかも覚えていない。悪夢にうなされ目覚めた時、一番そばにいて欲しかったのに、一人、レイスはのたうちまわるばかりだった。  凄惨な実験はそれでも繰り返された。死んだほうがマシだと思うほどのことをされて疲弊しても、誰も慰めてはくれない。何もかもが苦しくて、それでも死ぬことも許されない。せめてもと違う人間を代わりのように求めたところで、虚しさが増すだけだった。  ああ、とレイスは嘆いた。 「所詮そんなものかよ」  自分は死ぬことを許されない。けれど自分以外の人間は、どれほど大切だったとしてもガルグに不要と判断されれば、あっけなく処分されてしまう。  母のように自分の手で殺されなかっただけマシだろうか。でも、どれほど想ってもグライルはどこにもいないのだ。ガルグで存在を消される奴隷の末路など、わかりきったことだ。  グライルは任務に失敗したのだ。なんの任務だったのかはわからなくとも、レイスにそれだけは理解できた。  レイスはそれきりグライルの存在を思い出せなくなった。思い出したくなくて、すべての希望と共に記憶の奥底へ押し込めた。淡い恋は終わった。希望や癒しはなくなった。もう自分と関わる人間に、心など開かない。  ただ、快楽はそんなものを含めて全部忘れさせてくれる。レイスにはそれがあれば十分だった。

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