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2章 風を待つ熱砂 4
◆ ◆ ◆
ヴァルディースは、改めて見たレイスの過去に、衝撃を感じていた。
「アレが恋人かよ」
精霊であるヴァルディースに性別の概念は本来ない。だから人間の男同士でどうこうなろうが特に抵抗感はないのだが、問題はそこではなかった。いや、ソコに関してはなるべく見ないようにはしたのだが、他人の情事を露骨に垣間見てしまった後ろめたさはなくはない。しかも、レイスの歳を考えれば子供としか言えない年齢での初体験など、常識的に考えれば完全に駄目な部類だろう。
だがヴァルディースが驚いたのはそこではないのだ。
「こいつでも笑うんだな」
グライルと過ごしていたレイスは苦しさの中でもまだ安らいでいた。グライルと共に過ごした時の嬉しさは感情を共有するヴァルディースにも、当然感じ取れた。笑みも影の消えないものではあったと思うが、人間として当たり前に笑えていたのだ。今の、話も通じない、ヴァルディースを殺して自分も死のうとしかしないレイスの姿からは、想像もつかない。
母を失い、恋人を失い、双子の兄を失った。それがレイスを大きく変え、硬化させてしまったということか。
「辛かったんだな」
ぼそりと、ヴァルディースはつぶやいた。腕の中で意識を失うレイスの表情がピクリと震えた。
——グライル……?
まどろみの中でレイスの意識が応えた。一瞬ヴァルディースは反応があったことに驚いたが、そういえば、グライルと初めて出会った日、今のヴァルディースと同じようにグライルも同じ台詞をレイスにかけていたのだと思い出す。
きっとグライルという男も、ヴァルディースと同じ想いを抱いていたのだろう。傷ついた子供をどうしたらいいかわからず持て余し、しかし放っておくこともできなかった。レイスから見ても不器用そうな男だった。だからきっと、ただ自分が思ったことを口にした。それがどれだけレイスを救う言葉だったか、気づくこともなく。
「けど、俺には『オレと一緒にお前も死ね』って、それはないだろう……」
自分はグライルと違い、危うく地獄への道連れとされそうになったのだ。実際、自分がただの人間であったなら、レイスの手で死んでいただろう。
グライルが消えて、レイスは心を閉ざした。ユイスを殺してしまったことでさらにそれが頑なになった。もう周りのすべてが敵としか思えない。
だが、自分はレイスに殺されることはない。レイスのやり方ではヴァルディースを傷つけることすらできないはずだ。
「残念だったな。俺は一緒に死ぬことはできない。むしろ、一緒に生きるしか、な」
一緒に生きると口にして、今更おかしさがこみ上げた。自分はレイスを眷属にしたのだ。一緒に生きるしかない。何百年何千年、これから未来永劫、この世から魔力が消え失せるまで、どうあがいても共に存在していくしかない。
「受け入れるしかない、よなぁ」
つい先ほどまではこいつの行動も思考もまるで理解できず、哀れとは思えど、こんなものと共に生きていくしかないなど、たまったものではないと思っていた。
けれど、強烈な激情の裏にある普通の感情を知ってしまえば、いかに理解不能の存在でも、それなりに情がわく。
「まずは感情のだだ漏れをどうにかさせないとな」
レイスはグライルにあらゆる技術を教え込まれた。今度は自分がそれをすることになるだろう。
ふと、笑みがこぼれた。
「今は眠れ」
グライルと同じように、レイスに眠りを促す。
ガルグの生活は困難だっただろう。グライルはそれを知っていた。だからおそらく、その言葉の真意は、『きっとこの後も辛い思いは続く。だからこそ今だけは、安らかに眠れ』ということだったのではないだろうか。
熱に当てられたレイスを冷やすため、手の中に冷気を貯めて、額に重ねる。強い日差しから守るために、自分の体で包み込む。
こいつには何をどうしてでも、現実を受け入れてもらわなければいけない。それはきっと、またこいつにとっては苦しい道のりだ。
レイスの眦に涙が溢れ、ヴァルディースはそれに口付けた。
眠っていたことに、レイスは気がついた。ひんやりとした空気がレイスを包んでいた。それから、人の肌の柔らかな感触。
自分は、一体何をしていたんだったか。また気鬱を紛らわすためにどこかの男を捕まえて、うっかりそのベッドで眠りこけてしまったのだろうか。
今は一体何時だろう。自分はなんの任務を受けていたのだっただろう。ぼんやりとする頭で記憶を辿る。しかし目を開けようとして眩しさに戸惑った。ガルグの地下洞は日が差すことなどないし、任務中のどこかの宿屋であっても、目がくらむほどの強烈な光が射し込むのはおかしい。
それでも頭がはっきりしなくて、手探りで何か思い出すきっかけでもないかと探した。その時、強烈な日差しの影で視界に映ったのは、どこかで見たような赤い髪。
「グライ、ル……?」
まさかとレイスは飛び起きようとした途端、目眩と吐き気が同時に襲った。視界が歪む。ひどい目眩に急に動かした体は平衡を失い、砂の中に突っ伏した。
砂がなぜこんなところに。思い出そうとして胃からせり上がる吐き気に悶えた。えずいても出るものなどありはしない。ただ、疲労感と遅れて襲ってきた灼熱に、起き上がろうとする気力と体力を奪われる。
「目が覚めたか? ったく、今度こそ話を聞いてもらうぞ」
背後に影が近づく。見上げたそこに、炎のような緋色の髪をした男が立っていた。
誰だこれは。けれど見覚えがある。そうだ。自分はこの男を殺したはずだ。何度死んでも生き返らされて。
ああでも、自分は今度はなんで死んだんだっただろう。誰かを殺して、それが辛くて辛くて、辛くて、辛くてツラくて——
「あ、あぁ……、ああああ!」
レイスは叫んだ。そうだ自分はユイスを、よりにもよってユイスを殺したのだ。誰よりも大切なその唯一の存在をついに失った。しかも自分の手でまた、母のように炎に包まれ、絶叫するユイスを。
叫び、苦しみ、叫び、泣き、炎に包まれ。痛い、イタイ。叫ぶ、壊す、壊れる、消える——オレがそうなるべきだったのに——
「もういい!」
誰かの叫びがレイスを包んだ。誰かにしがみつかれた。レイスはそれを振り払おうとした。もがき、あがき、押しのけ、殴りつける。でもそのだれかはレイスを離さない。
違う。お前なんか知らない。赤い髪がレイスの視界を埋める。違う。グライルではない。グライルはもういない。自分の大切な人たちはみんな自分の前からいなくなる。なのになんで、自分だけは生きていなきゃいけない。
「イヤ、だ……。もう、イヤだ!」
「ああもう、ごちゃごちゃうっせぇな! もういい。思い出すな。俺が忘れさせてやる」
忘れさせると啖呵が切られた直後、貪るような激しい口付けがレイスを襲った。何かがレイスを上書きする。強制的に与えられるしびれ。身のうちから熱がせり上がる。吐き気が消え、飢えが支配する。
気がつくとレイスはそれを夢中で貪っていた。
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