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2章 風を待つ熱砂 5
重ねた唇、絡めた舌先から、それはレイスの中に流れ込んだ。舌先がしびれ、両腕は目の前にいる男にしがみつく程度の力しか入らず、体は乾き飢え、火照る。何かがレイスの体に流し込まれているのはわかる。まるで媚薬のように甘美で、レイスは夢中になってそれを貪った。
体は勝手にもっとソレが欲しいと強請り、男の首に腕を回してより深く口づけ、しがみつく。
思考はまったく働かず、自分がそれまで何をしていたのかなんて、一瞬で消し飛んでしまった。ただ、男がレイスに与えるものが、欲しくて欲しくてたまらなかった。
「なん、だコレ……」
「精霊の魔力だ。魔力の高い人間には、麻薬のように中毒性があるものらしいな。お前に生来の魔力なんてほとんどないだろうが、俺の眷属になったんだ。拒否できるわけがない」
魔力とか精霊とか、そんなものはどうでもよかった。どうせ聞いてもわからない。レイスにわかるのはソレがレイスを夢中にさせるということだけ。
「御託は、いい。もっとソレ、よこせよ……!」
レイスは男に噛み付いた。暴力的なまでの衝動に、男が流石に逃れようとする。だめだ。これがなければ、もっともっとソレで満たしてもらわなければ。闇が迫ってくる。思い出したくない。思い出してしまえば潰される。恐怖と罪悪感で壊れていく。でもコレさえあれば忘れられる。
泣き喚きながら、レイスは求め、組み付いた。記憶を振り払うように性急に、男が離れようとすれば首に腕に噛み付いて、無理矢理にでも奪い取ろうとした。
「これじゃどっちがどっちだかわっかんねぇなっ。少しは大人しくしろ!」
たまりかねた男がレイスを押し倒し、押さえ込む。レイスはもがいた。腕を足を押さえつけられ、押しのけようと開いた手に指を絡められ。けれど身動きも出来ない中で与えられたソレは、ひどいレイスの飢え満たしてくれた。
「ンッ、ふ……」
優しいキスなんていらない。獰猛な獣が獲物に牙を剥くような、そんな捕食行動で構わない。なのに、男の口付けは荒々しくもどこか優しい。
グライルのキスは、躊躇いがちの、物静かなキスだった。違うのに、なぜか涙が零れる。
男の指先が、レイスの体に触れた。鳥肌立つほどの快感が、ぞくりと触れた箇所から広がった。
胸元から首筋、脇腹から太腿。触れられるそこここが気持ちよくて、熱い。
「っ、アッ……」
首筋に唇を這わされて、思わず声が出た。なんだ、この初めて感じるしびれのような感覚。男と寝たことなんて今まで数え切れないほどあった。なのに、こんな感覚は知らない。触れられるところ全部、男に侵食され、繋がっていくよう。
ぎゅっと、重ねられた手のひらに力がこもる。
ああ、もう一度口付けて欲しい。あのマリョクとかいう奴が欲しい。そう思った途端に、レイスの思考が通じたように男がレイスの唇を奪った。待っていたとばかりに、レイスは舌を吸い、ゴクリと喉を鳴らしソレを飲み込む。でも、ソレはほんの少し流れ込んでだけで、離れてしまう。
もっと、欲しい。触れて欲しい。首筋、胸元それからもっと秘めたところも。
「……やく、早くしろよ!」
「色気のない誘い文句だな、この野郎」
色気だとかそんなものはどうでもいい。だって怖い。ソレがなければ、闇がくる。体が震える。忘れたい。今すぐどこか遠くへ追いやってしまいたい。
思い出したくないのだ。自分が、何を失ったか。何を自ら壊したのか。その事実を思い出してしまえば、もう自分は自分を許すことができなくて、自分が壊したもの以上に、自分自身を破壊し尽くさなければ、気が済まなくなる。
「あ……。あぁ……」
闇が迫る。早く忘れさせてくれ。じゃないと。なんで死んで償うこともできないんだと、また、自分は自分を壊す。
「嫌だ……」
こんな自分は存在していいわけがない。この世からもう大切な人がいなくなっていくのに、なんで自分だけが生き残って、償うことも許されずに存在し続けなきゃいけないんだ。
男のため息が、頭上からレイスにこぼされた。
「いつもいつもいつもいつも死ぬことばっっかり考えやがって。お前は俺の眷属になった。未来永劫俺のものだ。だから勝手に死のうとすることはできない。永遠に俺と生きるしかないんだよ」
永遠に生きる? 何を言っているんだ。そもそも眷属とはなんだ。自分は精霊となったのだと、少し前に聞かされた気がするが、ろくに内容など覚えていない。未来永劫こいつのもの、と言うのは、結局、支配する存在がガルグからこいつに変わったってことじゃないのか。
死ぬことは許されないのなら、今までと変わらない。
「なんで……」
不意に額に口付けを落とされた。優しい、子供にするみたいなキスだ。昔、グライルにそれをたくさんしてもらった。寂しくて辛くて、でもそれが、心を紛らわせてくれた。
「なんで……っ」
目尻に涙がにじむ。
男がそれをすくい取り、頭を撫でた。
「今は忘れろ」
もう一度口付けが繰り返される。今度は獣じみた貪るようなそれではなくて、優しく慰めるみたいな甘いキス。
甘美な魔力が記憶をどこか遠くへ押しやっていく。
壊れてしまった方がまだマシだ。けれどでも、この甘さと優しさを手放すのが少し惜しいと、レイスは虚ろになっていく意識の中で、ぼんやりと思ってしまった。
意識を飛ばすほどにもつれ合って、目覚めるとあの男の姿はなく、炎の毛並みを持った大きな狼が、レイスを抱き包むように眠っていた。これがあの男だと、レイスは本能的に悟った。炎は熱くもなく、むしろ強い日差しの下では冷ややかで、心地よい。
ただ、火照った体は未だ気だるくて、起きようとする意思は働かなかった。狼の体に擦り寄ると、尻尾がレイスを包むように覆いかぶさる。
その心地良さにレイスは甘えた。そんな温もりや優しさなんて、もう何年も、身近に感じてこなかったものだった。
忘れろと言われた記憶を忘れ去ることなどできはしない。自分が何をしたのか、今はっきりとレイスは自覚していた。それでも男の温もりがその後悔を遠ざけた。
レイスはもう一度目を閉じた。
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