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2章 風を待つ熱砂 6
久しぶりに、ヴァルディースは眠り込んだ。相当疲労が溜まっていたのかもしれない。レイスに魔力を分け与え、気を失わせるほどに抱いて、それから後がヴァルディースの記憶にもない。力尽きて獣の姿に戻って寝てしまった気がする。
そういえばレイスはどうしただろうと辺りを見回した。確か懐に抱き寄せて一緒に眠りこけていた気がするのだが、目で見える範囲にレイスの姿は確認できない。もしやまだどこかで死を繰り返しているのか。一瞬焦ったが、すぐに流れ込んできた感情に、そういうわけでもないらしいと気づく。
——逃げよう。
それははっきりとしたレイスの意思だった。断片的ではあったが今までのような激しい感情の発露とは違う。
「おい、なんであの状況からそういう発想に至るんだ」
ヴァルディースは呆れた。とりあえず死のうとしているわけではないらしく、ひとまず安堵できるものの、行動は全く理解不能だ。
詳しいことを読み取ろうにも流れ込んでくるレイスの感情の大部分は、相変わらず後悔と恐怖に荒れ狂っている。まるで雑踏の中の会話のようにいり乱れすぎて、目的の意識だけを拾いきることは難しい。下手をすればヴァルディースがまたレイスの感情に引きずられてしまう。
「今度は追いかけっこかよ」
次から次と、よくもまあこっちを振り回してくれるものだ。昨夜は散々こちらから魔力を搾り取っていったくせに。
そう、悪態も吐きたくなるほど、レイスの飢えに対する欲求はそれまでとは翻って、正直すぎるほど濃密だった。それは生きることへの執着だとも言える。本音では死にたいわけでは決してないのだ。アイツは。
だというのに、今度は逃亡だ。こちらの苦労など知りもしないで、身勝手が過ぎると、思いたくなくても思ってしまう。
どうせ魔力の供給を制限したままだ。自力での摂取もできるはずがない。そのうち砂漠のど真ん中で身動きも出来なくなる。
前回のように闇を糧にしようとしたらたまったものではないが、逃げようと思うなら、ここが切り取られた異空間だと思い知った方が、ヴァルディースにとっては都合がいいかもしれない。すぐに首根をつかんで連れ戻しても、どうせまた逃げ出すだろう。散々暴れ回られるよりはおとなしくしていてくれたほうが助かる。
前回の件でレイスの限界もわかった。連れ戻すのは深刻になる前で構わないだろう。
「それにしたって、何が不満なんだアイツは。せめて説明くらいは真面目に聞いていきやがれ」
盛大にため息がこぼれる。
やはり面倒な生き物を拾ってしまった。そう思うものの、最初の感覚とは随分違ってきたと、ヴァルディースは実感していた。
今はどちらかというと世話が焼ける身内のような感覚に近い。アレの面倒をみなければいけないということに、諦めがついたとも言えるのだろうか。嫌な状況だ。
「で、どこだあいつは」
のんびりと、ヴァルディースは周囲を見渡した。その気になればレイスの気配は離れていても手に取るようにわかる。炎の魔力が濃厚なこの空間でなら、なおさら探すのも容易だ。
砂漠の外縁部に向かっているのが視えた。途切れた空間を目にして、途方に暮れている。それから、信じたくないというように外縁部を駆け出し、どこまでいっても同じだと気づけば、躊躇なく空間の境目に身を躍らせた。
「捨て身すぎるだろ」
死ぬかもしれないとか考えないのだろうか。いや、むしろどうなろうと構わないのか。だが行動がとにかく矛盾だらけだ。
当然のごとく跳ね返され、砂漠の地面に舞い戻る。放り出され尻もちをついて、レイスはそれ以上何も動くこともできなくなった。
ようやくヴァルディースはのんびりとレイスを追いかけ始めた。日は傾き、夜の闇に包まれるくらいのんびりと。それでもたどり着いた時、まだレイスはヴァルディースが視たままでその場にいた。
奴はヴァルディースの気配に気づいていた。しかし観念したらしく今度は逃げようとはしなかった。むしろ、ちらりとこちらに物憂げな視線を向けた。
——なんで追いかけてくるんだ。なんで、オレのことをかき回すんだ。放っておいてくれ。
そう訴えるような思考が、ヴァルディースに向けられる視線からも伝わってくる。近づけば殺すとでも言われているような気分になった。
「かき回してるのはお前の方だろう」
そう言ってやろうかとも思ったがやめておいた。お互い疲弊するだけで不毛な結果にしかならない。
それ以上ヴァルディースはレイスに近づこうと思わなかった。ヴァルディースとしても、不用意に接触してまた侵食されるのはごめんだ。どうせ、レイスの限界までもまだ時間はある。
砂に埋もれた巨岩を挟んで背中合わせに座り込んだ。その行動にレイスの心のざわめきが、一瞬冷えて鎮まった。
むしろ、近づいて欲しかったのだろうか。落胆という形容が、その感情には相応しいように思えた。しかし冷えた心は少しずつ少しずつ、温まっていく。それもまたヴァルディースには不思議な感覚だった。
よくわからない奴だ。温かみは次第に昂りに変わり、飢えへと変化していく。そこはまあ、仕方ないだろう。眷属が主人格の精霊の側にあって、その魔力を摂取できないとしたら、飢えずにいられないわけがない。しかし、喉の奥から渇望する飢えをあえて我慢して、ヴァルディースに近づこうとしない。
確かに、今までそんな感覚などなかったのに、突然わけもわからない飢えが自分の中に生まれれば、戸惑うのも当然だ。すぐに容認しろという方が無理かもしれない。
岩壁越しに、レイスの息が上がっていく。
——違う。
レイスが身体を震わせ、悶えさせて首を振る。
——オレが欲しいのは、あんなのじゃ、ない……。
カタカタと指先を震わせて、ぎゅっと縮こまって、耐える。全身が疼いてたまらないはずだ。
砂の地面に指先が食い込む。ざり、と地面をえぐる音。
「無理に我慢するな。また闇に飲まれる」
「うっせぇ……」
返事などかえってこないと思ったのだが、吐息に混じった拒絶の声に、ヴァルディースは予想を裏切られた。
「あんた、なんなんだよ。オレは一体、どうなってんだっ! あんたが欲しくて、欲しくてたまんねぇ。なんなんだよ、これっ」
ようやく、吐き出された言葉に、つい、ヴァルディースは笑った。
「今度はぶっ飛ばずにちゃんと聞くか?」
飢えた子どもに噛み付く。あっさりと得られた極上の餌に、レイスは腰砕けになってへたり込みつつ、ぽかんと惚けた顔でヴァルディースを見上げた。
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