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2章 風を待つ熱砂 7

 なぜ、自分はこんな屈辱的な体勢で、話を聞かなければいけないのか。そんな風にレイスの頭の中は怒りと屈辱と、それでも感じる心地よさへの羞恥に、爆発寸前だった。  男の膝の上に乗せられ、後ろから抱きすくめられるという、恋人と睦言を交わす時くらいにしかやらなそうな体勢である。 ——殺す、ぜってー殺すっ! なんでこんなふざけた体勢!  頭の中で散々繰り返されるヴァルディースへの罵倒。現実に言葉にされることがないのは、口にしてしまえば、逆に状況を認めざるを得なくなるからだろうか。  レイスは知らないだろうが実際にはヴァルディースに全て筒抜けである。必死に羞恥に耐えようとして肩を震わせる姿がおかしくてたまらない。  思わず吹き出したら、当然のごとくギロリと睨みつけられた。 「さっさと、説明、しろよ!」 ——説明とかどうでもいいからキスがしたい。って何考えてんだオレはっ!  赤くなったり青くなったりというのはまさにこのことだ。 「まあ、落ち着けよ。お前のその反応は、俺の眷属になったなら当然だ。なにもおかしいことじゃない」 「眷属って、なんだよ、ソレ」  居心地はいいはずだが、収まりが悪そうにもぞもぞと腕の中でしきりに身じろぎするレイスを、よりきつく抱きよせることで動きを封じる。  正直、動いていられると、ヴァルディースとしては鬱陶しくて仕方ない。魔力を与えていっそ魅了してしまえば身動きなどできないほどに籠絡できるだろうが、それでは今度は話ができなくなる。だからこの体勢だ。余計な身動きをさせずに済むし、接触していれば僅かずつでもそこから魔力を供給できる。 「どうせ今まで説明してきた話もろくに覚えてないだろう。最初から説明してやるからちゃんと聞いとけ」  がっちりと羽交い締めにして少しずつ魔力を与えれば、予想通りレイスは、体に力も入らず僅かにしか注がれない魔力の快楽で身悶え、抵抗することを諦めた。  しかしいざ説明しようとして、ヴァルディースは今更に迷った。最初に自分がレイスに封じられていたことを伝えていいものだろうか。レイスにとってはヴァルディースこそが数々の惨劇の元凶とも言えるのだ。  ヴァルディース自身もガルグに囚われていたと言って、レイスが納得するとは思えない。ここでレイスの感情を刺激してしまえば、またふりだしに戻ってしまうかもしれない。 「おい、聞けって、言っときながら、いきなり、黙るな」 ——こっちは生殺しだってのに  無理やり凄みをきかせて睨みつけようとするのだろうが、ひどく頬は上気し、朱に染まり、目尻も潤んで、まるで迫力などありはしない。むしろ、それをある種の人間の男相手にするなら、劣情を煽るようなものだ。  意図的にやっているのかいないのか。  結局、ヴァルディースは真実の通り伝えることをやめた。  代わりに深くシワの刻まれた眉間にキスを落とす。途端に、レイスの首から上が茹でたタコのように真っ赤に染まり、へたりと腰砕けになって腕の中で崩折れた。 「なっ、な……っ!」 「なんだ。誘ってくれたんじゃないのか?」  パクパクと金魚のように口を開閉させても、言葉は出てこないらしい。レイスの心の内では、本能的な歓喜とそれを認められない衝撃とでひしめいている。  するりと、衣服の隙間からヴァルディースはゆっくりレイスの肌に指を滑らせた。 「っ、ァ……!」  押し殺した嬌声がこぼれた。レイスの心がざわめき、混乱が広がっていく。なんでこの程度でこんなに気持ちよく感じるのか、自分が信じられないと言っている。  しかし触れるところから伝わる反応は何より正直だ。ヴァルディースを悦び、もっとほしいと訴え震える。 「眷属っていうのはこういうことだ。お前が今感じている俺そのものが、精霊となった証だ。今後俺の魔力、存在、全てがお前の糧となる。お前は俺なしでは存在できず、俺はお前を未来永劫俺の庇護下におく義務を抱える。この世から魔力が消えない限り俺と共に永遠に存在し続ける」  ぎゅっと、レイスが身を震わせ、手を握りしめ、快楽に耐えようとした。 「なんっ、で、そんなことに、なってんだ……っ」 「お前は炎の魔力に飲まれたんだ。眷属としなければ今度は闇に飲まれ、化け物と化す恐れがあった」  これは間違いではない。ヴァルディースという炎に飲まれて、絡み合い、分離し、その力を失ったことで闇を糧にしようとした。足りないものを埋めようとするように。 ——バケモノがなんだってんだ。  か細く消え入りそうな声が、レイスの意識からこぼれた。 「むしろ闇に飲まれていればよかったか? あいにく、俺はそこまでお人好しじゃない。闇の人妖なんて放っておいたらこっちがいい迷惑だ。この世には地、水、火、風の基礎属性があるが、俺はそのうちの火の長って言われている炎狼だ。世界に散った炎の精霊は、等しく俺の仲間だ。俺にはそいつらを守る義務がある。お前も同様だ。闇は俺たちとは違うものだ。俺たちを簡単に飲み込む。お前は人間から火の魔力に飲まれて精霊になった変わりダネだが、この法則は変わらない」  レイスがふと口の端に引きつった笑みを浮かべた。  なんだ、とヴァルディースは違和感を感じた。まただ。レイスの心が冷えていく。落胆だ。 「オレが精霊? わけわかんねぇこと言ってくれる……。どうせアンタもガルグの手先だ。そうだろう、炎狼さんよ。結局また、オレの意思なんてないんじゃねぇか」 ——やっぱりそうだ。こいつは、オレの欲しいものをくれるようなヤツじゃない。  腕の中のレイスが身をかき抱く。ヴァルディースを拒絶するかのように、震えながらきつく歯を食いしばり、意識的か無意識かわからないがヴァルディースの魔力を拒絶しようとする。 「どうせてめぇらみたいな奴らは、こっちの気持ちなんか知りもしない。義務だのなんだの言ったところで、結局自分の好きなように弄ぶだけ弄んで、いらなくなったら簡単に捨てる。人間ってものを見下してる。だったらさっさと好きにしろよ。さっさと壊してくれよ。オレの意思なんて残さずに  もうたくさんだ!」  罪滅ぼしすら許されないなら、もう壊れるしかない。その強い拒絶の意思に、ヴァルディースはいっそ戦慄した。眷属がヴァルディースを拒絶することができるわけがない。だが事実、レイスは拒絶した。完全ではないが、その意思を示していた。  ヴァルディースにはレイスが理解できなかった。頑なに拒絶する少年が、一体なぜそうなってしまうのか、心を読むことはできるのに、それを理解することはまるでできなかった。

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