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3章 忍び寄る闇の足音 3
尻尾を振ってみてもレイスは岩陰から出てこなかった。ヴァルディースとしてはこの上ないほどのサービスだったのだが、その強情さにはほとほと呆れてしまう。
まあ、子狼もレイスにはすぐに懐かなかった。長期戦になるだろうということはもうここまできたら覚悟の上だ。
どうやら人型でいる時よりは獣型でいる方が親しみでも感じていてくれているらしいし、二匹の子狼には感謝しなければいけない。
イオスとイルムと名付けられた二匹とも、故郷から連れさらわれてから7年、レイスは会っていない。無事生きていればとっくに立派な成犬となってレイスの生き残った家族を守る役割を担っているか、それとも群れを率いているかしているだろう。
「あの二匹は、どうしているんだろうな」
ぽつりとこぼしてしまったつぶやきに、レイスが反応した。子狼のことだと、すぐさま気づいたらしい。
「オレの子供の頃まで見たのかよ」
「まあ、流れてきたからな」
ユイスとのやりとりとの合間に、子供の頃の記憶は大部分がヴァルディースの中に紛れて流れ込んできた。意図的ではないとはいえ、レイスにしてみればいい気分ではないはずだ。
「あんたには本当に全部、筒抜けなんだな……」
短い嘆息が聞こえた。表情は見えないが、ヴァルディースは流れ込んできたレイスの感情に、当惑した。てっきり怒りがこみ上げてくるものだと思ったのだが、意外にもうっすらとだが、嘆きの中に安堵というか嬉しさのようなものがあった。
「あんたも、こっから出れねーのかよ」
向こうから話をふってきたことが、ヴァルディースをさらに戸惑わせた。話をすることはさすがに拒絶するだろうと思っていたのだ。
「ここは時空間世界っていう、世界と世界の狭間だ。夢幻境界とも言う。俺じゃ世界を渡ることはできない」
首をかしげながらも答えると、また沈黙が降りる。向こうも何やら戸惑っているのか、言葉はどことなくたどたどしい。それでも続けて問いかけられた内容に、ヴァルディースはレイスが何を気にかけているのか理解した。
「ザフォルの野郎は、あんたをオレの監視として一緒にここに閉じ込めたのか」
卑屈な物言いだ。そういえば、レイスはヴァルディースのことをまだ、ガルグの手先だと勘違いをしているのだった。その辺りの説明も中途半端なままだ。
ここに来た経緯は、当然レイスも気になるのだろう。ただ弁明をするにしても、さすがにまだ自分がレイスの中に封じられていたことは、打ち明けない方がいいだろうか。こいつにとってみれば、数々の惨劇の元凶でしかない。
「俺はお前の監視じゃない。もっと言えばガルグの関係者でもない。お前と同じでドジってガルグに捕まってたんだ。それをザフォルに助け出されたとも言える」
レイスの心の中に動揺と警戒心が広がっていく。まあ、まず信じるとは思ってはいなかったが、予想通りの反応だ。
「なんでザフォルの野郎が助け出すんだ。仮にあんたがガルグの関係者じゃないとしても、あいつこそガルグの手先どころか黒幕の一人じゃねぇか」
もっともな話だ。ザフォルは自分たちの実験の最初期における責任者だった。自分を捕らえたのもザフォルだ。破壊し尽くされたガルグの研究所を見て、裏切ったのだと理解はしたが、ヴァルディース自身易々と信用してなどいない。
「俺も詳しくは知らん。ただ、俺たちが捕まっていたガルグの施設を奴は破壊し尽くしていた。その状況で、ザフォル自身にガルグの追っ手がかかったということは、裏切ったという証拠だろう。追っ手から逃れるためにザフォルはここに俺たちを飛ばした。ここは時空間世界だからな。ガルグも追ってはこれない」
「そんなこと、簡単に信用できるか」
頑なだ。ヴァルディースよりも、レイスの方がガルグやザフォルに対する憎しみはずっと強い。それをこんな話で納得しろという方が無理というものだ。
「俺も同意見だが、信用は出来ないとはいえガルグに反目するっていう点でザフォルと俺たちの利害は一致している。今のところは奴に任せるより仕方ない」
レイスが唇を噛み締めて押し黙る。
それ以上ヴァルディースには何も言うべき言葉は見つからなかった。ヴァルディースにはフェイシスとのつながりもある。ヴァルディースがガルグに捕らえられたことを、フェイシスが知らないわけがない。それなのに全くザフォルを警戒していなかった。
レイスにも、ユイスのことを話せば態度は変わるかもしれない。けれど、ザフォルの館でヴァルディースに侵食してきたレイスの意識が、レイスにユイスのことを打ち明けることをためらわせた。
レイスはヴァルディースを乗っ取ったことを覚えてはいないらしい。当然ユイスが生き返るかもしれないことも知らない。もしかしたら、あの時もレイスがヴァルディースを乗っ取ったわけではなく、ヴァルディースに残されていたレイスの記憶に、ヴァルディースが引きずられただけなのかもしれない。
だとすると、打ち明けることはおそらく逆効果になるだろう。
摂理を捻じ曲げて生き続けさせられてきたことに、苦痛しか感じてこなかったレイスが、ユイスの復活を快く肯定できるわけがないのだ。実際あの時、ヴァルディースはユイスを生き返らせると言ったザフォルに憎悪しか抱かなかった。
「どのみちここにいなきゃいけないことに代わりはないんだ。ほとぼりが冷めるまでここにいればいい」
ヴァルディースは結局打ち明けなかった。告げなければいけないことを先延ばしにするだけでは、意味はないかもしれない。それでもこの件だけは明確な結果を待つ方がいいように思えた。またレイスが不安定になるのは避けたい。
ユイスの復活までどれだけかかるのだろうか。再会するまでに、レイスの気持ちを落ち着けることができればいいのだが。
ユイスとフェイシスの二人はガルグに追われているわけではないから自分たちとは違って安全だとはいえ、どこで何をしているのかもわからない。そもそも、ユイスの体を再生させると言っていた肝心のザフォルが、ガルグに追われる身だ。あの男がそう簡単にどうこうなるとは思えないが、自分たちを呼び戻す余裕がないと言うことは、立て込んでいるのはまず間違いない。
こちらから接触できないのが、ヴァルディースの焦燥をかきたてた。
空に暗雲も立ち込める。この世界はどこか別の時空と繋がってでもいるのかもしれない。こちらから干渉することはできないが、天候の変化がある。
砂嵐でも来るのだろうか。自分にとって大した害にはならないが、砂まみれになるのは、遠慮したい。遠くから迫る黒い砂の塊に、レイスをどうしたものかと思いながら、ヴァルディースはのそりと立ち上がった。
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