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3章 忍び寄る闇の足音 7
自分がレイスにしたことが、レイスにとって何を意味するか、分からないわけではなかった。しかし、あれこれと説明している暇はなかった。もっと最悪の事態に陥っていた可能性もあったのだ。
「クッソ、これだから火っていうのは……」
渦巻く砂嵐と共にヴァルディースとレイスの身体から激しく炎が噴きあげる。嵐と一体になった炎は容赦なくレイスを蝕もうとした。
魔気嵐は魔力の制御を困難にする。それが大きな魔力であればあるほど難しい。もともとレイスはただの人間だということもあるが、魔術の制御が全くできていない。ガルグにいた時も自分で制御ができずに暴走し、幹部が無理矢理押さえつけていた。それなのにヴァルディースの魔力を受け入れていられたのはまったくの謎だ。
今、魔気嵐によってめちゃくちゃにかき乱された魔力は、レイスの中で暴走しかけていた。レイスに残った魔力をヴァルディースがギリギリまで吸収することで暴走を防ごうとしたものの、ヴァルディースにしてその魔力の制御は困難を極めた。
確かに炎の魔力は他の四属性に比べても安定せず、制御は難しいが、炎だけであるなら、たとえ魔気嵐の中でもヴァルディースが制御できないわけはない。伊達に精霊の長などやっていないのだ。
しかし炎は渦を巻き、巨大な竜巻と化す。どれだけヴァルディースが抑え込もうとしても、レイスの身体を引き裂き、ヴァルディースともども飲み込もうとする。
風が周りから吹きつけるだけでなく、レイスの中からも吹き出そうとしていた。
レイスの中に炎でもなく人間の部分でもない何かが抑え込まれていることは、ヴァルディースも最初からわかっていた。ガルグにとらわれていた間に植え付けられた闇かと思っていたが違う。闇は魔力と似て非なるもの。魔気嵐で暴走などしない。
ひときわ激しい突風がヴァルディースの身を打った。抱き寄せるレイスの身体が、レイス自身から吹き出す風に持っていかれそうになる。
レイスの中になぜかあった魔力の痕跡は、風だったのだ。それも、本人はまるで理解してはいないが、普通の人間が持ち得る規模をはるかに超える。これは風の精霊でもとりわけ上位精霊に近いものだ。
「どおりで、こいつが俺の器になり得たわけだ」
風の精霊の加護をどこかで得たのか。しかしヴァルディースが見たレイスの子供の頃にそんな記憶はない。まさかとは思うが、ファラムーアの縁者なのか。
精霊大戦でファラムーアを失い、ヴァルディースの契約者に敗れた一族がその後どうしたのか、ヴァルディースは知らない。追っ手を逃れ各地に散り散りとなったとだけ伝え聞いた。
レイスが生まれたフォルマンの地は風大陸とも言われて、古来から風の精霊が好む草原が続いている場所だ。レイスもファラムーアをフォルマンの守り神だと言っていた。もし今風大陸に住むフォルマンが、ファラムーアの一族の末裔だったとしたら、レイスがファラムーアの縁者である可能性は否定できない。
しかし今はそんなことを詮索している余裕はない。風はヴァルディースでは扱いきれない。全力で抑え込もうとしても、魔気嵐が収まるまで持つかどうか。
もたなければ、レイスが風と炎で自分自身だけでなく、この小さな世界に住む精霊を巻き込んで暴走する。下手をすればまた闇に侵食されるかもしれない。
「さっさと収れよ、クソ嵐……」
砂嵐を睨みつける。砂は先程よりも濃く分厚く世界を覆っていた。
魔力を搾り取られたレイスは、今意識がない。直前まで、ヴァルディースのことをずっと考えていた。なんだか色々と悶々としていたようだが、どうやら気に入ってもらえつつあったらしい。
最初に砂嵐の壁として近寄って行ったときはやはり拒絶されたものの、一緒にいたいという願望をレイスも否定はしなかった。
正直、そんな風に自分との関係に悩んでいるらしい姿は、見ていてほほえましくすらあったのだ。そういうことに意識を向けられるようになったということが、純粋に嬉しかった。こんな状況でなければ、もっとからかったりもしてしまったかもしれない。レイスが許せば、だが、たぶん嫌がりつつも拒絶しない程度には馴染んでくれたのではないだろうか。
そう思うからこそ、ひどく悔やまれる。説明している暇がなかったとはいえ、今回のことは深くこいつを傷つけたはずだ。嵐がおさまったら、また最初からやり直しかもしれない。
「悪かった、レイス」
汗と砂にまみれた髪をかきやる。触れるところから火花が散った。触れれば魔力を与えて暴走の危険性を増してしまうのだ。今、ヴァルディースはレイスにとって火薬庫のようなものだ。触れることすらできないのがもどかしい。
きつく拳を握り締める。目が覚めたとき、こいつは果たしてもう一度自分を受け入れようとしてくれるだろうか。レイスの意識がないだけに、ヴァルディースにも不安を与えた。また拒絶を示されるのでは。今度こそこいつは心を閉ざすのではないか。
思わず、炎が巻き起こる身体をきつく抱きしめていた。抱きしめなどしたらレイスの魔力が戻ってしまう。けれど、ヴァルディースはその手を離すことができなかった。
ゆらりと闇が揺らめいた。
「結局、こうか……」
レイスの不安定さがやはり闇を呼び寄せたのか。二人の周囲を闇が蠢き、触手のように這い寄って包みこもうとする。
闇は魔気嵐の影響を受けない。周囲の荒れ狂う嵐の中でも静かに忍び寄ってくる。
最大限の集中を闇に向ける。闇を跳ね除けようと一層きつくレイスを抱きしめる。しかし、闇はさらに勢いを増しヴァルディースたちに迫った。
何かがおかしい、とヴァルディースは気づいた。前にレイスが闇を糧にしようとしたとき、闇はレイスから滲み出すように広がっていった。今はむしろ、どこか別のところから二人を押し包むように迫ってくる。まるで、二人を捕らえようとでもしているかのように。
はっとした。その瞬間闇が大きなうねりとなってヴァルディースに襲いかかってきた。ヴァルディースはとっさにレイスを抱えて飛んだ。闇が巨大な槍のように凝縮されヴァルディースに向かって追いすがってくる。
違う。これはレイスの闇ではない。
闇の槍は幾千にも分裂し、礫となってヴァルディースを襲った。この嵐の中でレイスの暴走を抑制しながらでは、炎の制御もままならない。障壁を作り出しても闇が容易に突き抜けてくる。
「っぐ……」
細かい塊がヴァルディースを直撃した。闇がヴァルディースの炎に入り込む。魔力を喰らって、ヴァルディースを内側から侵食しようというのか。
魔気嵐さえなければこんなこと簡単に許すはずがない。この小さな夢幻境界で、一体誰がどこからこんなことを。
嵐の中で気配を探る。しかし身の内でうねる闇に気力が奪われる。乱れた魔力と濃い砂嵐のせいで全く意識が集中できない。
障壁を突き抜けた闇の礫が一つにまとまり、再び細い触手でヴァルディースを捉えようと迫っていた。とにかく逃げ回るしかない。右からくる腕をかわし、上から襲いかかる剣を薙ぎ払い、砂の中から這い出す枝を焼き払う。無限に続く攻撃はキリがない。
こうなれば無茶な戦法だが全力の魔力を全方位に放つしかないか。そう思ったそ瞬間、腕の中で風と炎がせめぎ合い爆発した。衝撃がヴァルディースの右半身を襲った。
激しい爆風にもんどり打って砂の中に倒れ込む。視界を巡らせると腕が食いちぎられたようになくなっていた。右半身の感覚がなかった。散漫になった意識の中で魔力を解放しようとしたせいで、レイスの魔力が抑えられなくなったのだ。
身体の中を蠢めく闇が、その隙を逃さず煩くヴァルディースを責め立てた。ヴァルディースは獣の姿に戻って倒れこんだ。自分の身体を維持する集中力すらなくなっていた。
レイスが、目の前で苦しみもがいていた。全身を侵し、入り込む闇の触手に、大きく目を見開き頭を抱えて泣き叫ぶ。その恐怖と苦痛がヴァルディースをも侵食する。
——コワイ、イタイ、クルシイ。
「やめろ……」
地面に投げ出されたレイスに這い寄ろうとした。しかし届かない。
闇がレイスの感情を増幅する。助けてと叫んでも、誰も助けてくれない。孤独と絶望に心が閉ざされていく。ただ、その様を喜びあざ笑う闇の笑い声だけが頭に響く。
ガルグの闇には誰も打ち勝つことができない。自分ではやはり、レイスを救うことなどできはしないのか。
踏みしめた前脚は虚しく砂を掻く。
「諦めた方がいいですよ、炎狼さん。ぼくには絶対勝てませんから」
砂嵐の合間から子供の声がした。姿を現したのは、華奢な白銀の身体に巨大な闇を纏った歪な姿。ぞっと寒気がした。同時にヴァルディースは気がついた。それがガルグの始祖、破壊者アルスそのものだということに。
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