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3章 忍び寄る闇の足音 8
子供の頃砂嵐がくると、時折レイスは熱を出した。普段身体が弱くてよく熱を出していたのはユイスの方であったから、砂嵐の時だけレイスに熱が出ることを、周りは不思議がった。でも、熱が出ると母や上の兄がつきっきりになってくれて、恐ろしい砂嵐の間でも嬉しかったのを覚えている。
特に兄はそういう時よく添い寝をしてくれた。家には父がいなかったから、兄が師匠であり、家長であり、父親代りだった。
馬の乗り方も剣の扱い方も、兄に教えてもらった。兄のような立派な戦士になるのが憧れだった。でもその兄はたぶん、レイスとユイスが連れさらわれた戦いで死んでしまったのだと思う。戦線が崩壊し、敵が村になだれ込んだ時も、少しでも時間を稼ぐために多くの戦士が無謀な戦いに挑んでいた。連れ去られた時も、生きのびた男達の姿を見つけることができなかった。
母と再会した時はろくに周りの状況など覚えていなかったものの、やはり兄の姿はなかったと思う。もし兄がいないなら母と姉はどこか別の部族で囲われていたかのかもしれない。女は、男と違って使い道があるから簡単に手放されたりしないはずだ。
それにしてもなんで今頃こんなことを思い出すのだろう。
周りはさっきよりも一層真っ暗で、一寸先も見えない。砂嵐の風の音も聞こえない。全くの静寂が周囲を包み込んでいる。
さっきまでそばにいたはずの炎狼ヴァルディースの姿もない。けれど、いないのも当然なのだろうか。最後に覚えているのはレイスを拒絶するようなヴァルディースの姿だ。
魔気嵐だとヴァルディースは言っていた。それが一体なんの関わりがあるのか、レイスにはわからない。たしか魔術の制御を難しくするとか、以前ガルグで聞いたような気もする。
そういえば、ガルグで魔気嵐の中に放り込まれて暴走させられたことがあったような。そう思い出して、レイスは理解した。
「なんだ。暴走するようなポンコツは必要ないってことか」
ガルグでも最後は結局暴走を制御しきれずに封印されたのだ。また今回も同じことだ。
ただ、今回はガルグではなくて、ヴァルディースだった。その意味するものが全く異なる。
ヴァルディースは、義務とはいえ守ると言ってくれた。それなのに。
「期待させんな馬鹿野郎」
膝を抱えてうずくまる。自分が期待していたということがそもそも愚かしい話だ。よかったではないか。まだ、本気で惚れてしまう前で。悲しいとか、寂しいというのも、刷り込まれた本能が勝手に思うだけで、本心ではないのだから。
どうせ一瞬の過ちなのだ。以前も似たようなことがあった。任務中に外でたまたま知り合った男で、何も知らない相手はなんやかんやと世話を焼いてきた。ちょうどグライルを失った後だった。レイス自身、ほんの僅かだが心を許しかけた。しかし自分の本性を知った時、男は恐怖に震えて逃げ出そうとしたのだ。結局残ったのは、男の骸だけだった。
「っ……」
悔しい。膝を抱え込む腕に力がこもる。痛くて苦しい。
もう期待なんかしたくないと思うのに、たぶん、本心でもほだされかけていた。どうせ皆自分の前から消えていくのに、なぜいつも期待してしまうのか。母も兄も、ユイスもグライルも、みんな消されてしまったではないか。今度だって同じだ。自分が存在し続ければ、その分みんな不幸になってしまう。
目の前に闇が現れる。濃い塊が、人の形をとっていく。自分とよく似た、けれど朗らかな表情の少年は、レイスに向かってにこりと笑った。
「そうだよ。みんなレイがいるから消えちゃうんだ。みんなレイのせいなんだ。僕のことも殺したくせに、なんで許されようなんて思ったの? なんで誰かに愛されたいなんて思ったの?」
血の気が下がった。これはユイスに似た何か別のものだ。幻だ。わかってる。ユイスはこんなことを言わない。こんな風に責めたりしない。何があっても、温かく優しく微笑んでくれるはずだ。だからこれはきっと、ガルグが作った偽物だ。
でも、目の前の何かが責める言葉は、全て事実だ。何も間違っちゃいない。
「……っ、やめろ」
聞きたくないと耳をふさぐ。何も見たくないと目を閉じる。しかし頭の中にその言葉と記憶が叩きつけられる。闇に包まれた炎が、自分に関わる全てを焼き尽くす。
生きていたくなんてなかった。大切なものを自分で失うくらいなら、こんな自分は消えてしまえばいいと思っていた。けれどそんなことすら自分には許されず、生き続けることが自分に与えられた罰なのだと理解した。
苦しかった。いくらあがいたところで、延々と受け入れられない現実を突きつけられる。ただただ、壊れてしまいたかった。狂って、何もかも理解できなくなってしまいたかった。
ヴァルディースは、そんな自分を引き戻した。何もかも失った自分に、不意に与えられた安らぎだった。
「でも、それも幻だよ」
ユイスが囁く。
「馬鹿じゃないのか? なぜ俺がおまえのようなクソガキに気を持たなきゃならないんだ」
ヴァルディースが見下し嘲笑う。
「おこがましいにも程がある」
周りが一斉にレイスを責める。笑い声が幾重にも反響し、レイスを押しつぶしていく。
信じられるものは何もなく、足元がガラガラと崩れ、より深い闇へと落ちる。
手を伸ばしても誰も助けてなどくれない。
無限の闇に飲み込まれていく中、レイスはいっそ清々しいほど笑った。
「やっぱり、こうなるんだ」
そして闇はしんと静まり返った。
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