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3章 忍び寄る闇の足音 10

 ヴァルディースは呆然としていた。闇の気配は振り払われ、ヴァルディースの力を押さえつけていた魔気嵐も消え去った。  しかしヴァルディースは起き上がろうとするのも忘れ、突如として現れた3人に見入ってしまった。特に、どこかレイスと似た面影と、ファラムーアと同じ気配を持つまだら髪の青年から目が離せなかった。 「アルスを確保したとはいえ、ロゴスを逃せばガルグが動く。すぐ戻らねばならぬ」  怜悧な眼差しの長髪の男がヴァルディースの存在など見向きもせずに剣を納め、宙に鏡のようなものをかざした。そこから、ザフォルがヴァルディースとレイスをここに転送した時と似たような陣が現れ、空間が歪む。 「待ってくれ。あっちには水精さんと地精さんもいるんだろう? せめてこの人に事情説明させてくれよ」  風の気配を持つまだら髪の青年が慌てて陣をかざした男の前に立ちふさがった。怜悧な眼の長髪の男は嘆息し、仕方ないとでも言うように陣を納める。 「簡潔に頼む。陛下に何かあってからでは遅い」  まだら髪の青年がほっとしたようにヴァルディースに手を差し伸べ、笑いかけた。 「うちのバカを助けてくれて本当にありがとう。おれはメイス。ユイスレイスの兄貴を自称してたが、本当は父親だ。そんで、ファラムーアのたぶん息子ってヤツだ」  一体何が起きたのかわからず、混乱していたヴァルディースは、その青年が言った言葉にさらに混乱した。 「レイスの父親で、ファラムーアの息子……?」  おかしい。ファラムーアがこの世から消えたのは何千年も前の話だ。ファラムーアは人間となって人間の男と結ばれた。その子供がいたとしても人間のはずではないのか。  しかもそれがユイスとレイスの兄を名乗っていたが、実は父親だという。確かユイスとレイスには父親はおらず、兄のメイスが父親代わりだったはずだ。  どれもこれもヴァルディースには寝耳に水だ。そんなにいきなり怒涛のように打ち明けられても、思考が追いつかない。  ただ、混乱した思考の中でもはっきりとヴァルディースの頭によぎったのは、意識が途切れてしまったレイスの事だった。 「あいつは、無事なのか?」  その台詞に、アルスを抱えた黒尽くめの男がふと、口元をほころばせたような気がした。どこかで見た覚えがあるのだが、どこで見たのか思い出せない。  メイスと名乗った男も苦笑いをしている。 「レイスなら大丈夫だ。あんたがよく知ってる精霊の仲間が、向こうにいる。ユイスもな。おれたちはユイスとレイスのつながりを利用して、世界の壁を越えてきたんだ」  世界の壁を越えてきたなど、あっさりと言われてまた思考が飛んだ。そうほいほい空間を越えられたら、たまったものではない。  しかしそこで出てきたユイスの名に、ようやくヴァルディースは合点がいった。 「つまり、どいつもこいつもザフォルの仕業って事か」  ユイスをどうにかすると言っていたのはザフォルだ。先程、メイスが水精と地精と言っていたのもおそらくフェイシスと、どうやって引きずり出したのかわからないが地精の長ユーアの事だろう。 「詳しく話すと長くなるから、今日はこれで勘弁してほしい。恨むんなら、ザフォルがどうしようもなくバカで自分勝手だって事を恨んでくれ」  あの男は一体どこまで人を振り回せば気がすむのだろう。自分は何も関わりないというような顔をして、結局すべてあの男の手の中で弄ばれていたということではないか。今更ながらに腹が立って仕方ない。  思わず舌打ちした瞬間、隣でメイスがからからと朗らかに笑って見せた。 「ま、あの人もいろいろあったんだよ」  含むような言い方に、思わずヴァルディースは首を傾げた。メイスの目がすっと細められる。その先にあったのは、もう一人の男が腕に抱く、眠り込んだアルスの姿だ。  光の帯に包み込まれ、死んだように眠っている。  ザフォルの目的は破壊者アルスの復活を阻止する事だったのだろうか。それにしてもなぜガルグ側にいたはずのザフォルが、と思わなくはない。  そもそも、その昔、破壊者アルスを唯一封じる事ができたのは、生命の女神シーヴァネアだけだったはず。  今メルディエル女王国の女王は代々女神の称号を継承しているが、実際は神がかり的な存在ではなく普通の人間だ。本物女神シーヴァネアは破壊者アルスを封じたときに同時に失われた。  それなのにどうやってアルスをもう一度封印をするつもりなのか。 「話が終わったなら、参るぞ」  再び陣をかざす怜悧な眼差しの男の姿に、ヴァルディースは今更ながらに気づいた。  今、女王シーヴァネアを女神たらしめているのは、国民の信仰による以上に、建国以来その傍らに不滅の神官が佇むからだと言われている。先程この男は女王陛下云々と言っていた。 「あんたがその神官殿か」  怜悧な眼差しの男は、無言で目を伏せ、肯定も否定もしなかった。しかしにじみ出る魔力の質が、根本的にこの世にある物と異なっている事に遅まきながら気がついた。 「俺たちは、ザフォルがアルスを捕獲するために蒔いた餌って事なのか」  ガルグを裏切り、女王国の神官を動かし、精霊の長格を動かして、アルスを捕らえる壮大な罠。ザフォルがガルグに反旗を翻したのも、このための陽動か。自分たちはまんまとその中で踊らされたというのか。  周りも破壊者アルスの完全復活を阻止するためであれば、こんなやり方でも受け入れたのだろうが、踊らされたヴァルディースにしてみれば到底容認できるわけもない。 「ともかく、戻ろう」  陣が展開し、足元がふわりと浮遊感に包まれた。足下に見えたのは広大な海と、そこに浮かぶ幾千もの島々。南洋の島国メルディエル女王国だ。  しかし暖かな陽気と穏やかな風に包まれても、ヴァルディースの焦燥はぬぐえなかった。レイスは無事なのだと言われて、先程は安心した。きっとレイスが世界を渡ったせいで、意識が一時的に届かなくなったのだろうと思った。なのに、同じ土地に出てもレイスの意識が聞こえない。  地面が近づくたびに不安がつのる。  見えてきたのはメルディエルのはるか東にある島だった。そこにヴァルディースも知った気配があった。  降り立ってヴァルディースは愕然とした。元は南国の白い砂浜が広がっていたのだろう島が、腐臭と瘴気に覆い尽くされていた。 「フェイ! しっかりしてフェイ!」  悲鳴のような少年の声。背に怖気が走る。  瘴気の中に、だれかをかばうようにして倒れこむフェイシスと、その腕の中で青ざめる少年がいた。少年の気配はレイスと寸分違わず同じだった。しかしレイスではない。ヴァルディースにはわかる。普通こんな事はありえない。  ユイスが泣きながらヴァルディースを見、そして申し訳なさそうに目を伏せた。  その意味する事を、ヴァルディースは理解した。レイスは、ここにはいないのだ。意識の声も聞こえない。全くの静寂だった。

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