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4章 水の都に迫る戦禍 2
「いやいやいや、ちょっと待った! こんなところで長同士の喧嘩なんてやめてくれって!」
あわや炎と水の大激突となる寸前だった。真っ青になったメイスがフェイシスとヴァルディースの間に飛び出した。大量の水は立ちはだかった嵐に遮られ霧散し、炎は押し包まれてかき消えた。
フェイシスの水桶を抱えたユイスが、へなへなと腰砕けになってへたり込む。
「もう一回、死ぬかと思った……」
はぁ、と長く息を吐くユイスに、メイスが手を差し伸べ、同じく胸をなでおろしていた。
「やですよ、ユイったら。私があなたを巻き込むわけないじゃないですか」
フェイシスが桶の中からクスクスと笑った。
「まさか、わざとかあんたら」
メイスが引きつった顔でこちらを睨む。とはいえヴァルディース自身はわざとかと問われても何とも答えがたかった。黙り込んでいると、フェイシスが桶の中からしゃしゃり出てくる。
「せっかくガルグから逃がしたっていうのに、あなたにファラムーアの敵討ちをさせるわけにはいかないんですよ。これでも炎精の長ですから、これがいなくなったら炎は風の二の舞ですからね」
正直、フェイシスが現れた時からその意図には気づいていた。レイスの思考に感化されそうになったヴァルディースを引き戻し、メイスとの決定的な対立を回避しようとしてくれたのだろう。
フェイシスとの付き合いは、途方もなく長い。こういうことは今までにも何度もあった。ふざけていけ好かないやつではあるが、ファラムーアを失って以後、立ち直ったと言うか、あきらめがついたのはこいつのおかげだとも言える。
だからと言って、それを認めておだてようものなら、未来永劫恩着せがましく言い寄ってくることはまず間違いなので、絶対に口にはしない。
ともかくフェイシスのおかげで頭が冷えたのは確かだ。それでも今ではなくともメイスに何か復讐や償いを求められるなら、いずれそれは甘んじて受けるつもりだった。
しかし当のメイスを見ると、やはりそこに怒りや憎みというものは見えず、腰に両手をあてて不服そうにかぶりを振っていただけだ。
「勘違いしないで欲しいんだが、別におれはあんたにファラムーアの恨みごとを言うつもりはない。確かにおれはファラムーアの息子だが、ファラムーアのことなんかこれっぽっちも覚えていないんだ。ファラムーアがあんたに滅ぼされたのは、おれが生まれる前の話だしな」
ヴァルディースだけでなく、フェイシスもそのメイスのセリフには意表を突かれたらしく、お互い顔を見合わせる。
「おれを作ったのはファラムーア自身じゃなく、ファラムーアの眷属なんだ」
メイスの発言はヴァルディースにとって予想外のものだった。精霊に生殖の概念は存在しない。小精霊たちは魔力から直接生まれる。
ただ、長格ともなると生まれるにも膨大な魔力と年月が必要となる。創世の聖戦では少なくない精霊が消失し、世界における魔力のバランスが崩れかけた。
その為、精霊は眷属という存在を作った。眷属は、本来愛玩動物のように上位精霊が下位精霊に庇護を与える為だけの存在ではない。むしろそれは副次的なものだ。もともとは上位精霊が眷属に力を分け与え、万が一に備える為の存在。上位精霊が消失した時、眷属は分け与えられた魔力で消えた精霊と同等の存在を生み出すのである。
長く風の長は不在だった。それは眷属が消失し、長格の精霊を復活させる義務を果たせなかったからなのだと、皆思っていた。
だが、ファラムーアの眷属がメイスを生み出していたのなら、なぜ今まで風の長の存在は秘匿されていたのか。そもそも、メイスは精霊に限りなく近いが確かに人間の質を持っているのだ。メイスの息子と言ったユイスとレイスは保有していた魔力や性質はともかく肉体は完全に人間だった。それは一体どういうことなのか。
「おれは半分は確実に人間だよ。ただ、半分だけだ。あんたたちが思ってるようにファラムーアは人間になれたわけじゃなかったしな」
「どういうことだ」
ヴァルディースは混乱するばかりだった。人間になれたのだと喜び、舞い上がっていたファラムーアを、ヴァルディースは覚えている。それにヴァルディースが最後に相対した時も、ファラムーアは精霊としての質を大きく変え、魔力をほとんど失い、ヴァルディースがファラムーアだと気付けなかったくらいに変わり果てていたはずだ。
「ザフォルがファラムーアの願いを叶えちまったんだ。正しくはガルグにつけこまれたっていうか。ザフォルはファラムーアから魔力の大部分を奪うことで、人間と同等の寿命しか持てないようにした。でもそれは人間になったわけじゃなく、子供を産めたわけじゃなかった。だからファラムーアの眷属だった狼を、親父の肉体を使って作った器に封じ込めた。ちょうどヴァルディース、あんたをレイスの体に閉じ込めたみたいに。そうやって生まれたのがおれだ」
「ちょっとちょっと、訳が分からなくなってきましたよ私は……。ザフォルはそんなこと一言も言ってなかったじゃないですか」
フェイシスが傍らで頭を抱えた。ヴァルディース自身衝撃だった。ここでも出てくるのはザフォルの名だ。それほど昔からあの男は精霊と魔術をそうやって弄んできたのか。
「ザフォルはどこだ」
ここまであの男が絡んでくるならば、今回のこともすべて最初からあの男が仕組んだ茶番ではないのか。ふつふつとザフォルに対して怒りが煮え滾る。
あの男に散々振り回された結果がこれだというなら、目の前に引きずり出して問い詰めなければ気が済まない。
しかしメイスがヴァルディースの前に立ちはだかるように進み出た。
「ザフォルなら、今頃ヴァシルと夢幻境界のどこかでどんぱちやってるよ。この状況を手に入れる為に、あの人は自分の命もかけてたからね。だからおれも、負けてられない」
メイスの緑の瞳がきつくヴァルディースを睨みつける。手がこわばる。ヴァルディースの脳裏に蘇ったのは数千年前、ヴァルディースの前に立ちはだかったファラムーアの姿だった。
「おれはあんたに確かめたいんだ。おれが不甲斐ないばっかりに、レイの人生をめちゃくちゃにさせちまった。自分の肉親にまで手にかけせて……。肝心な時に、一番守らなきゃいけないものを、守ってやれなかった。だから今度こそおれはちゃんと、レイを救ってやらなきゃならない。けど、あんたがあいつを諦めて消滅を選ぶつもりなら、あいつを見捨てるなら、それは黙って見過ごすわけにはいかねえんだ。もしお前がそのつもりなら、それこそおれがお前を消し飛ばす」
今まで、朗らかに笑っていただけだったメイスの本当の姿を、ヴァルディースはその時初めて見た気がした。
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