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4章 水の都に迫る戦禍 6

 ロゴスは炎狼を通じてメルディエルの状況を見ていた。ザフォルがメルディエルと組んでいたという事実だけでも衝撃であったというのに、以前ガルグの奴隷であったグライルという男が生きていたという事実は、正直ロゴスにとっても予想外のことであった。 「スイッタめ、処分済みだと報告しておきながらどういうつもりなのだ」  グライルや初期の炎狼被験体についての管轄はスイッタであったはずだ。とはいえ、スイッタ自身も含めて、長ヴァシルが深く関わっていた計画であるため、ヴァシルの意向という可能性もなくはない。  どちらにせよガルグの手の内を知る者がいるというのは、非常にやりにくいと言わざるを得なかった。これが一般の奴隷だったならまだしも、グライルは炎狼の被験体と同様、ガルグの奴隷たちの中でも特殊な存在であったのだ。 「だが、今はまず我が君を探さねば」  グライルの存在は懸念材料ではあるが、所在がわからないアルスを見つけ出す方が先決だ。身動きの取れない状況で、ロゴスに活路があるとすれば炎狼の眷属となったこの人間を利用し、アルスを何としても奪還することである。  しかし炎狼がメルディエルの女王に呼び出され、中枢へ向かうとなれば、炎狼の眷属の意識で偽装していたとしても、メルディエル女王にぴたりと張り付いているセリエンに、いつ何時悟られるかも分からず、さすがにこのままヴァルディースの意識を覗き込んでいるのは危険であろうと思われた。  4体の精霊長がそろうメルディエルの中枢で、光のセリエンをロゴス一人で相手をするのは不可能である。ザフォルがいないということが救いであるが、アルスが万全の状態でようやく逃げ切れるかどうかというところだ。最悪の場合、ロゴス自身が身を呈してでもアルスをガルグに連れ戻さなければならないだろう。そしてどちらの場合でも、炎狼を諦めることになることは確実だ。  メルディエル女王との会見はロゴスとしても気にかかるところではあるが、今は他の手段を選択した方がよさそうだ。幸い、炎狼の眷属と繋がりを持つ存在は炎狼だけに限らず、そしてもっと幸いなことにその存在は炎狼などよりよほど侵食しやすい、脆弱な人間の器を持っていた。うまくいけば、この炎狼の器を介して操ることも可能かも知れない。  しかしそれをするにはもう少し力の回復が必要だとも言えた。  ロゴスは腹が空いていた。これから行動を起こすならば、もはや食事の選り好みなどしてはいられなかった。 「悪かったな」  王宮中枢への道すがら、メイスにそんな風に声をかけられたのは、自分たちが周囲の注目を大いに集め、いたたまれないことこの上ない最中だった。  黒ずくめのフードの男に、色鮮やかな幾何学模様が織り込まれたフォルマンの民族衣装を着たメイス。ヴァルディース自身も正直今の人間世界に合わせた衣装など持ち合わせておらず、取り急ぎレイスが着ていたものを真似て変化していたのだが、どこにでもいる旅人の服装は宮廷ではさすがに場違いすぎる出で立ちだったらしい。そこへさらには普通の人間には見えない状態のフェイシスが入った水桶を抱えて移動していれば、奇怪な目で見られないわけもなかった。  だから、ヴァルディースもメイスの謝罪がそういう意味のものだと思った。 「別に、見ようによってはフォルマンの代表使節とその護衛かなにかに見えなくはない。お前が謝るようなことじゃないだろう。むしろ、この桶を持ち歩かなきゃいけない方が目立ってしょうがない」  いっそここで捨ててしまった方がいいのではないかと、ヴァルディースが桶の中身を窓の外にぶちまけようとしたら、フェイシスがまた金切声をあげた。 「何するんですか! この中でシーヴァネアに取り次げるのはこの辺りを棲家にしている私だけなんですよ。人間の世界に入るからにはその規則に従うべきです」  至極正論のように聞こえはするが、ようは人型になれるだけの力が戻っていない、もしくは面倒臭いということだろう。フェイシスの性格上、おそらく後者の方が大きいに違いない。その上でわざわざ一緒に行動するのは、ヴァルディースに対する嫌がらせの意味も含まれていそうだ。  いっそ、精霊なんだから精霊らしく本体のまま直接王宮内に乗り込めばいいではないかとも思ったが、それを提案した途端、引きつった顔のメイスに断固拒否された。ファラムーアは鳥だったが、そう言えばメイスの本体というものをまだ聞いていない。何か知られたくないような姿なのだろうか。 「まあ、本体云々の話は、置いとくにしても、王宮に直接乗り込むんじゃあいつがついてこれないしなぁ」  メイスが視線を投げた先にいたのは、グライルだった。ヴァルディースたちと離れて一人先を進むグライルは、当然こちらの視線にも気づいているのだろうが、あくまで素知らぬふりだ。 「おれが悪かった、って言ったのもあいつのことだ」 「なんでお前が謝る?」  メイスが謝る理由が理解できず、眉をひそめる。確かグライルは今、なぜそんなことになったのかはわからないがユイスたちの姉の夫だという話だった。人間というものは身内の不始末を気にするというが、そういうことだろうか。 「あいつは口下手だから何も言わないけど、あいつがレイの恩人で、あんたもそうだから、わかっていてほしいと思うからかなぁ」 「あいつはガルグの道具で、レイスのことを置いて消えたような奴だぞ。少なくとも、レイスはそう思っていた。自分を捨てて消えた、ってな」  それにあいつはそのお前の息子に手を出していたぞ、というのは自分自身にもブーメランが返って来るためさすがに言わなかったが、レイスがグライルの庇護を失ったあと、どんな目にあってきたか、どんな思いを味わってきたか、メイスは知らないだろう。 「レイがどれほど辛い思いをしたか、なんてことはあいつがたぶん一番わかってるよ。そもそも、おれがちゃんとあいつらを守れていればこんなことにはならなかったんだ。グライルがあの時自分の立場を捨てて、ガルグを離れたことを、おれが責められるわけもない」  メイスが立ち止まり、ヴァルディースから視線を外す。フェイシスが遅くなると文句を口走ったが、桶を押さえて黙らせた。先を行くグライルが、察したようにおもむろに道からそれていく。 「正直おれは、ずっとファラムーアを憎んで、風の長を継承するのを拒んでいたんだ。ファラムーアが人間になったせいでおれの一族は負けたし、親父も死んだ。って。でも、おれが継承していなかったからこそ、レイにあんな辛い思いをさせてしまったんだ」  そうしてメイスは女王謁見への長い道すがら、あの事件の顛末を語り始めた。

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