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4章 水の都に迫る戦禍 7

 メルディエルの水晶宮のすぐ東に、林に囲まれた離宮がある。そこは主に次代女王のための宮殿だというが、今現在次代と定められた王女はメルディエルに存在せず、東の離宮はもぬけの殻だ。  女王とセリエンは、恐れ多いことにそこをユイスたちの滞在場所に選んでくれた。ユイスもエミリアもそれぞれ精霊長であるフェイシスやメイスの庇護下にあるとは言え、ごく普通の人間と変わりがない。万が一ロゴスが国外逃亡を諦め、アルス奪還に動いた場合に人質となる可能性もある。そうならないためにも、滞在は警護のしやすい場所がいい、というのがその理由らしい。  用意してもらった馬車に乗って移動している今も、周囲には女王騎士たちが護衛に付いていてくれている。同じ馬車にも騎士長のタトラという女の人が同乗していた。破壊者アルスを捕獲した時にも女王の護衛として侍っていた人だ。  タトラは騎士長という割には気さくな人だった。もうすぐ四十になるそうだが子供はいないらしく、来年には退役して宿屋を始めるのだと、楽しげに話してくれた。  しかし、そんなタトラの話をユイスが楽しむ間も、傍らのエミリアの様子はおかしかった。  エミリアが表情を強張らせているのは、フォルマンの地で暮らしてきた姉がユイスとは違って豪華な馬車に乗り慣れていないせいだけではないだろうとは、察しがついていた。そのくらいであれば、なんてことはない。 「姉さん、もうすぐ離宮に着くらしいよ。そこなら僕たちも安全だから、もう大丈夫だよ」  思い詰めたような姉に、ユイスはいつものように微笑んだつもりだった。少し頰が突っ張るような気がしたのは、たぶんこの体が本来のユイスのものではなく、無愛想だったレイスの一部を用いて作られたからだろうと思うことにした。  きっと慣れない土地に連れてこられた上に家族が身の危険にさらされて、気丈な姉もさすがに不安になっているのだろう。そう慮ってユイスは隣に座ったエミリアの、こわばった手をそっと包み込んだ。するとその途端、彼女はユイスの腕にすがりつくように泣き崩れてしまった。  一体何が彼女を追い詰めているのか打ち明けてほしいとエミリアの体を抱き寄せるも、彼女は頑なに首を振るばかり。 「どうやらあたしは席を外した方が良さそうだね」  二人きりにした方がエミリアも胸の内を話しやすいだろうと、タトラが気を使って馬車を止めてくれる。  タトラの姿がなくなり、先ほどよりもゆっくりと馬車が動き始めて、ようやくエミリアが堰を切ったように今まで溜め込んでいたのだろう思いを、吐露し始めた。 「兄さん……。ううん、父さんには口止めされてたけど、やっぱり、私には無理。ユイだけが知らないなんて、そんなの見ていられない」  予想外の名と切羽詰まった姉の様子に、ユイスは狼狽えた。父の話は聞いても教えてもらえなかった。ずっと死んだと思っていたのに、まさか生きていたというのだろうか。 「二人は知らなかったかもしれないけど、メイ兄さんが本当は私たちの父さんなのよ。でもそんなことより母さんが……。私だってわかってる。父さんは悪くない。レイだって悪いわけがない。グライルだって、被害者よ。悪いのは全部ガルグなの!」  何もかもぶちまけるように、姉は早口でまくしたてた。ただあまりに性急で脈絡がなさすぎて、ユイスにはまるで理解ができない。  しかしその中でもずっと兄だと思っていたメイスが実は父であるとか、そしてそれをそんなことと追いやってしまった母についてのことに、嫌な予感が沸き起こる。  さっき、みんなの前で母の名を出した時の妙な沈黙から、ずっと違和感を感じてはいた。でもまさか、とも思っていた。メイスは何も言っていなかったし、他の皆だってそうだ。けれど、家族皆がメルディエルまでやってきたのに、なぜ母だけがいないのかと、思わないわけではなかった。  嗚咽をこらえ、きつく両手を胸元で握り締め、それを言葉にしようとして苦しさに一層涙を流す姉の姿に、ユイスは耳を塞ぎたくなった。頭がガンガンと割れるほどに痛み始める。  脳裏に蘇ったのは、レイスが刃を突きつけてきた瞬間の、悲鳴のような雄叫びだ。 「5年前のあの日、父さんはガルグの気配を感じて私を隠そうとしていた。ユイとレイは知らなかったかもしれないけど、昔からガルグは私たちを付け狙ってたのよ。レイがガルグの手の内だってことは父さんも知らなかったし、狙ってくるとすれば、父さんか血を受け継いだ私だとばかり思ってた。実際グライルが私たちを襲ってきたもの。けどグライルはレイや母さんから父さんを引き離す囮だった。それをグライルは、ガルグを裏切って全部教えてくれたわ。必死で、レイを助けてやってくれ、って私たちに訴えてきた。でも急いで母さんのところに戻ろうとしたけど、間に合わなかった……」  顔を覆ってついにそれ以上言葉を継げなくなってしまった姉に、ユイスは全て悟った。  二人で逃亡していた時、なぜレイスが自分に何も打ち明けてくれなかったのか、ユイスは理解した。こんなこと、レイスが打ち明けられるはずがないではないか。  自分を押し包んだレイスの炎。何かに操られるように、抗いながらも目の前で無機質になっていったレイスの表情。これから何をしようとしているのか、すべてわかった上で諦めきってしまっているように見えたのは、ユイスが初めてだったわけではなかったからだ。  嘘だと思いたかった。信じたくもなかった。  自分だけであったなら、どれほど良かったか。自分のことだけだったなら、ユイスはわかってあげられなくてごめんと謝罪し、抱きしめ、レイスを受け入れれば良かった。ユイスが受け入れれば、それで終われるはずだった。  でも違うのだ。  ヴァルディースが、レイスは罪悪感しか抱いていないと言っていたのはこういうことだ。何が、レイスの気持ちもわかる気がする、だ。何もわかってなどいなかったじゃないか。  あの二人で逃亡していた時、レイスはどれほど自分に縋りたかっただろう。ほんの僅かでもあの時はまだ希望を抱いていたはずだ。それを、自分は自分から裏切った。  悔しさと憤りが破裂しそうなほどに、ユイスの中を駆け巡る。可能であるなら時間を巻き戻してほしかった。  けれどそんなことはユイスには不可能で、自分の無力さを思い知るだけ。  馬車がゆっくりと動きを止める。タトラが控えめに扉を叩いた。離宮に着いたと知らせる声が聞こえた。

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