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4章 水の都に迫る戦禍 10

 ヴァルディースは感知できた状況に混乱した。人型を模していた時には気づかなかったほどの差異ではあったが、本体に戻った今ならはっきりとわかる。しかしなぜそんなことになっているのかがわからない。普通だったらありえないはずだ。  メルディエル防御の要とも言えるセリエンの気配が、この国のどこからも感じられない。セリエンだと思っていたのは巧妙に偽装され、王宮に安置されていた聖剣の一つだ。  そして離宮を中心に凄まじい勢いで広がっていく闇の気配。これは島で感じた瘴気と同じ、ロゴスの気配である。 「セリエンが不在の隙にロゴスがアルスを奪還しに来たってことか」  アルスがどこに隔離されたのかは、ヴァルディースも知らされていなかった。まさか離宮にいたというのだろうか。こんな王都のど真ん中に、どうして。そしてロゴスがどのようにしてそれを知ったのか。  アルスを捕獲したこんな時に限ってセリエンがいないこと自体がそもそもおかしい。嫌な予感が胸の内を駆け巡る。 「冗談じゃない。ユイスとエミリアが離宮にいるはずだ!」  メイスが駆け出した。その悲鳴にヴァルディースも我に帰った。そうだ。ロゴスがいるなら、そこにレイスもいるのではないか。 「乗れ、メイス!」  あれこれと考えるのはあとだ。駆け出そうとしたメイスにヴァルディースは身を寄せた。人間の足で走るなどまどろっこしいことをしていられる場合ではない。  メイスを背負い、空を駆け上がろうとした。しかしその瞬間、ひりつくような感触が全身に走り、身を覆う炎が総毛立った。急激に冷えた空気が上空から流れこみ、周囲に広がる海が迫り上がる。辺りを覆い尽くす巨大な氷の壁。重く低い音を響かせて、離宮は一瞬にして氷の中に閉ざされてしまった。  ヴァルディースは壁に向かって吠え猛った。吐き出す炎が壁をえぐりこむも、分厚い氷はヴァルディースの炎をして破ることができなかった。この感触と、ヴァルディースはつい最近ぶつかった覚えがあった。 「どういうことだ、フェイシス……」  ゆらりと王宮の上空に長大な身がうねる。透き通った鱗で覆われた半身は、渦を巻き竜巻のようになって王宮を守るように包み込んでいる。巨大な蛇のような、フェイシスの本体だ。 「あなたも予想している通り、これはザフォルの結界ですよ。まあ、私も、力を貸してますけどね。あの人が間に合わず、最初の計画でロゴスを取り逃がしてしまった場合、アルスを奪還しにきたロゴスを捕らえるための、最終手段として置いて行ったものです。並大抵のことでは破壊できません。突破できたとしても、あの中は離宮ごと夢幻境界です。こちらから入り込むことはできません」 「そんな……。ザフォルはおれを騙したのか? あの人は自分も息子を助け出したいんだって、おれに訴えてきたんだ。おれの気持ちは一番よく分かってる、って、そう」  フェイシスのセリフにメイスが蒼ざめる。メイスがレイスを救うため、家族のためだけにザフォルに協力してきたのだろうということは明白。ザフォルは、そんなメイスの思いまで踏みにじった。 「結局ヤツもガルグの人間ってことだろう。息子の話なんてデタラメだったんだろうさ」  そもそもザフォルに息子がいるなど聞いたこともない。ガルグに生殖能力があるということもだ。精霊以上にそんな話はありえないことのはずだ。ガルグは創世の聖戦から一族の数を減らしはしても増やしたことなどないのだ。  ただ、アルスを巡ってザフォルがガルグと対立したのは間違いないのだろう。しかしザフォルは結局破壊者アルスから生み出された存在だ。アルス復活を阻止することが目的だと考えるのは早計にすぎたということだ。 「フェイシス、まさかお前もザフォルに騙されてないだろうな? それとも何だ。ザフォルにとっくに操られてでもいるのか?」  フェイシスは何も答えない。俯いて、表情を見ることもできなかった。ザフォルの目的を、行動を、全て知った上で協力していたのかどうかはわからない。 「お前にだけはこんな裏切りをされたくなかったぞ、俺は」  精霊たちが人間との関わりを絶った中で、水の精霊だけはこの国に暮らしていた者も多く、人間と直接ではないにしろ関わりは深かった。フェイシス自身、歴代のメルディエル女王に挨拶くらいはしていたはずだ。それだけにフェイシスのユイスへの愛着をヴァルディースは疑っていなかったのだ。 「ユイスは知ってるのか?」  ピクリとフェイシスの指先が反応し、その震えが人の姿を模した上半身から長大な尾の先まで伝わっていく。 「言える、わけ、ないでしょう。あの子の涙なんて、私はもう二度と見たくないんです」  ようやく絞り出したような消え入りそうなほどのフェイシスの声で、ヴァルディースは確信した。今ユイスはおそらく囮として何も知らないままあの離宮の中に放り込まれたのだ。  ザフォルに強要されたのかそれともフェイシスが同意をした上でのことかはわからない。ともかくまんまとロゴスはレイスと繋がったユイスを、罠とも知らずに今度は自分のための通路として逆用したのだ。  よほどザフォルは用意周到に準備していたと見える。しかしそのためにあらゆる人間を騙し、利用した。その根性がどうしてもヴァルディースには許せない。  そしてそれを見過ごしたフェイシスにも怒りしか湧いてこない。 「なんでザフォルの野郎を止めずに、ユイスまで利用するような真似をした!」 「聖戦の後に生まれたあなたたちにはわからないわ。もう一度、アルスを蘇らせるわけにはいかないの。私たちには女神が必要なのよ」  答えようとしないフェイシスの代わりに違うところから声が上がった。水晶宮の塔の上に人影が現れたと思いきや、水晶の上から急激な勢いで蔦が伸び上がる。 「ザフォルには私たちとあの二人の人間が必要だった。精霊長の魔力を受け止められる人間なんてそうそういないから」  蔦に腰掛け、ヴァルディースの前まで迫ってきた少女とヴァルディースは向かい合った。 「ユーア、お前たちは何をしようとしてる!?」 「女神シーヴァネアをもう一度創るの。そして破壊者アルスを今度こそこの世から消し去る」  淡々としたユーアの台詞に息を飲んだ。女神シーヴァネアは創世の聖戦で滅んだはずだ。その神とも言われる存在をザフォルは作り出すというのか。 「ヴァルディース、あなたの前の炎精の長は破壊者アルスによって消し去られたんです。女神がいない今、アルスが蘇れば世界中の精霊たちどころか、この世界そのものが消え去ってしまう。協力してくださいませんか」  フェイシスが顔をあげた。氷の涙があいつの両目から流れ落ちた。

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