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5章 懐かしき光の大地 1
「お前のとーちゃんは、お前らを捨てて出てったんだろ。捨てられっこ!」
村の子供達はユイスとレイスをそう言って笑った。
自分たちには父がいなかった。どこかに行った、とも死んだとも聞かされていなかった。違うと否定しても否定しきれないのも事実で、ユイスはいつも泣くだけ。
泣けば余計に笑われる。いじめられる。それを助けてくれたのはレイスだった。
「ふざけんなてめーら!」
殴られても蹴られても逆に何倍にもやり返して、レイスは最後に勝ち誇ったようにユイスに向かって笑った。
ユイは泣き虫だなぁ、と。そして泣きやまないユイスに、しょうがねぇな、と手を差し伸べてくれた。
レイスの泣き顔なんて、双子なのにほとんど見たことがなかった。
ユイスは自分の方が兄なのになさけないと思いつつ、結局レイスに甘えてもいた。
それがあたり前だと、あの頃は思っていた。その関係が壊れるなんて、考えてもいなかった。
ユイスが意識を取り戻したのは、どれくらい経ってからだったのだろう。いつの間にか辺りは何も見えないほどの闇に包まれていた。
視線を落としても指先すら見えない。星も見えない夜とも違う。ぞっと寒気が襲ってくるほどに深い闇。
ただ、意識があって感覚はあるということは、死んだわけではないのだろうと、ユイスは安堵した。幸いというべきなのか、ユイスはすでに一度死んで魂だけの状態を経験している。何も知らなかった時に比べれば、パニックを起こさない程度には現状への対応ができていた。
「でも、ここはどこなんだろう……」
「ロゴスの闇の中だ」
自問に対して唐突に返ってきた男の声に、ユイスは怯えた。てっきり誰も居ないものだと思っていた。すぐそこから聞こえた気がするのに、闇が深すぎてどこに何がいるのか全くわからない。
そういえば、意識を失う前に誰かに腕を掴まれた気がする。あの場にいた誰かだとすればユイスを追いかけてきたタトラの部下だろうか。でも普通の人間がこの闇に耐えられるとは思えない。それに、ここがロゴスの闇の中だと明言したことも、ユイスに不安を抱かせた。
「誰、ですか」
恐る恐るの問いかけに、男は応えなかった。代わりに浅い嘆息が返ってくる。
「時間がない。ザフォルの計画は頓挫した。俺のところに四属性の魔力は届いたが、女神は生まれなかった。魔力も何者かに奪われたようだ」
一方的に告げられてもユイスには何がなんだかわからない。ますます困惑するばかりだ。ザフォルの名前が出たということは今回のことに絡んだ誰かなのだろうが、そもそもユイスはザフォルから、レイスたちを追ってきたアルスの身柄を確保するということしか聞かされていない。
「あの、僕には何がなんだかさっぱり、なんですけど」
もう少しわかるように説明をしてほしいと求めたものの、それも無視される。
「セリエンと入れ替わりにザフォルが戻ってくる。光の剣を使えれば、ロゴスの闇は晴れるだろう。ただし、このままでは全員闇と一緒に消滅するしかない」
不安しか募らない中で、闇の中から突然強い力で腕を掴まれ、思わず悲鳴が上がった。
「離してください!」
「頼む。レイを、起こしてやってくれ。俺がここをもたせている間に」
とっさに腕を振りほどこうとして、相手が口にした名に思考が止まる。ここでレイと呼ばれるのは一人しかいない。
けれどレイスは、子供の頃のままであるなら、あまり他人に愛称で呼ばせたりしない質だったはずだ。よほど親しい誰かじゃないと。
「もしかして、グライルさん?」
自然と口に出た名前に、相手が微かに笑ったような気配がしたのは、ユイスの気のせいだったろうか。
しかし問い詰める前に、今まで何もなかったはずの闇にほのかな明るさが現れ、気を取られた。
見たことがあるようなないような不思議な女の人が、ぼんやりとした光を放ち、ユイスを見つめていた。悲しそうな眼差しで、彼女はユイスに何かを訴えかける。
すっと彼女は視線を逸らし、ユイスにさらに奥まった闇の深みを示した。そこに、ユイスは目を釘付けにされた。
「レイ!」
グライルのことなどその瞬間頭の中から抜け落ちた。闇の塊の中で蹲ってうなだれる、何より一番会いたかった弟。目の前に現れたのは間違いなくレイスだ。
ユイスはもつれる足で駆け寄ろうとした。だが、すぐ目の前にいるはずなのにいくら走っても走っても届かない。
「レイ、どうして!」
息が切れて、足が動かなくなって闇の中に倒れこむ。最初に目にした時とまるで距離は変わっていない。むしろ、逆に遠ざかっている気さえする。
どうして。乱れた呼吸と共にユイスはもう一度吐き出した。ぽろぽろと、涙がこぼれた。
「また、笑ってよ。昔みたいに。『しょうがねぇな』って」
レイスが笑ってくれるから、ユイスは泣き止むことができて、手を差し伸べてくれたからその手を取って立ち上がることができた。
あたり前だと思っていたのに、失ってしまった過去。
レイスがユイスに手を差し伸べてくれることはもうないのかもしれない。笑ってくれることもないのかもしれない。
ユイスはずっと前からわかっていた。ユイスや他の皆の前では絶対に泣いたり弱音を吐いたりしないレイスは、本当は一番寂しがっていたこと。甘えたがっていたこと。強がっていただけだったこと。
いつも一人で背負いこんで、一人で泣いていた。
あれはいつのことだっただろう。ユイスは木のうろの中で一人蹲っているレイスを見つけた。
普通だったらためらいなく駆け寄っていたはずなのに、その時ユイスは声をかけることができなかった。
いじめっ子に散々殴られても泣き言ひとつ言わないレイスが、ひっそりと声を殺して泣いているのだ。まるで全然知らない人間のように思えた。
どれくらい立ち尽くしていたかわからない。やがて探しにきた兄が現れて、ユイスに先に帰っていろと促した。
それでも離れがたくて、そっと木のうろに近づいていく兄を見つめていた。さすがに気配に気がついたレイスが、そのとたん、兄にぎゅっとしがみつく。いつもは人前でなんか絶対に甘えたりしないレイスが、兄の胸に顔を埋めて泣き喚いていた。
ユイスの知らないくぐもった泣き声の衝撃は、その時のユイスにとってとても大きくて、なぜかひどく泣きたくなった。
「レイは、何にも変わってなかった。なのに僕はっ」
あの時、自分じゃなくて兄を頼ったレイスに、ユイスは寂しさを感じた。ずっと、レイスにとっても一番身近なのは自分だと思っていたから。確かに自分じゃ頼りないことぐらい自分が一番わかっている。だからあの頃は仕方なかったのだ。
だが、レイスと生き別れて再会した時、レイスが頼れるのは自分だけだったはずだ。故郷から遠く引き離されて、母を失って。自分が真っ先に気づいてあげなければいけなかったはずだ。自分しか、わかってあげられる存在なんていなかった。なのに自分は何も気づかなかった。
「今度こそ僕が、レイを、守りたいのにっ」
必死に手を伸ばす。レイスには届かない。すぐそこに見えるはずなのに。届かないその想いの虚しさに、レイスに向かってもう一度、ユイスはその名を叫んだ。
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