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5章 懐かしき光の大地 2

 ロゴスは目の前の闇に魅了された。あたりを覆い尽くす巨大な闇。無にも近しいその深淵の中心で、白い人影が周囲に散った闇を吸収し、次第に黒く染まっていく。うっすらと開かれた双眸に、細い異形の虹彩が闇の中で金色の輝きを放っていた。 『ロゴス、か……』  反響する声がロゴスを呼んだ。こみ上げる郷愁にも近い想いに、ロゴスは跪かずにはいられなかった。  胸が高鳴っていた。こぼれ落ちる涙が止められない。 「ああ、アルス……。我が君。お会いしとうございました」  何千年この時を待っただろう。  始祖アルスが覚醒した。アルスを縫い止めていた光の剣が、人間の少年の手によって抜け落ちたと同時に、巨大な四属性の魔力があたりを渦巻き覆い尽くした。  おそらく何者かによってアルスが完全に覚醒する前に、再度封じる目論見が成されたのだろう。しかし、世界中の魔力に匹敵するその力はアルスを穿つことはなかった。ロゴスからは何が起きたのかを完全に把握することはできなかったが、この場に近いところで、スィッタの気配を感じた。  何者かの目論見を察知したスィッタがそれに抗う手立てを編み出したのかもしれない。四属性の魔力は不安定ながらも別の一点に収束し、そしてその膨大な熱量の残滓が古から封じられていたアルスの魂を呼び覚ました。  ここにガルグの長ヴァシルが立ち会っていたなら、どれほどの歓喜に震えただろう。 「お側に侍るのが私のみで大変失礼を致します。我が君」 『構わん。ヴァシルは光の戦士に押し込まれ、苦戦しているようだ』  光の戦士という名を聞き、ロゴスは激しい怒りに震えた。やはりこれはあの忌々しいメルディエルの宰相の企みか。ザフォルを取り込み叛逆させ、長ヴァシルとアルスを分離した。アルスをメルディエルの懐におびき寄せ、覚醒前のアルスごとガルグを一網打尽にするつもりだったのか。  常ならヴァシルに侍っているはずのスィッタがここに現れたのも、それが理由かもしれない。ザフォルを追い詰めていたはずのガルグの民はヴァシルから引き離されたのか。 「ならば、炎狼などにこれ以上拘っている場合ではございませんな。すぐにでも此方を処理し、長の救援に向かわねば」  アルスを手中に収めたと判断し、油断したのだろう。セリエンはヴァシルと対峙しているザフォルの救援に向かった。逆にそれはロゴスにとっては好機だ。目論見が頓挫したことに気づかれる前に、こちらに残っている四属性の精霊長を処分できる。  しかし、目覚めたとはいえアルスの気配はおぼろげで不安定だ。そしてロゴス自身の力もろくに回復してはいない。 『俺の力が欲しいなら、好きに使え。俺は今しばらく眠りに落ちる』 「ありがたき幸せ」  主君の許しがあるのならこれに頼らない理由はない。長ヴァシルを差し置いてアルスの力を賜る名誉に預かるというのは、気がひけないわけではないが、今はそれをとやかく言っている場合でもない。 「では我が君、ゆっくりとお休みくださいませ。次に目覚められるときには、長も御前にてご帰還を祝っていることでしょう」  ただ静かに頷いて、アルスが気怠げに目を閉じる。その唇に、全てを欲してやまない願望に耐え、ロゴスは闇の力を求めて口付けた。  女が絶叫する。その度に魔力は激しく火花をあげて爆発を繰り返す。相容れない力同士が反発しあい、空間すら引き裂こうとしていた。 「あれが、女神シーヴァネア……?」  全世界の魔力を一点に凝縮したような光景に、ヴァルディースは己の目を疑った。女神シーヴァネアについて、ヴァルディースは伝え聞いたものしか知らない。ヴァルディースが生まれたのは聖戦の後であり、その時にはすでに女神はこの世から消えていた。  だが、目の前にいる女が復活した女神なのかと言われれば、それは違うとヴァルディースの本能が訴える。これは女神であるはずがない。かといって人間でもない。膨大な魔力に押し潰され、崩壊しかけた化け物だ。 「アレは、何、ヴァルディース。あなたの、炎に、近い、ものを感じる」  ユーアが女を指し示す。搾り取られた魔力に疲弊し、弱々しく指先は震えていた。  確かにヴァルディースも魔力の流れを追っている最中、自分の力と近いものを感じた。それは最初レイスだと思っていたが、違う。レイスに魔力は届いていない。 「可能性があると、すれば、精霊大戦の時契約した人間……」 「馬鹿な。あいつらはとっくに死んでるぞ」 「その末裔っていう可能性はありますよ」  フェイシスの言葉を否定しきることは、ヴァルディースにはできなかった。精霊が契約した人間には、契約が終わっても精霊の加護が残る。精霊の魔力が血縁に受け継がれるのは、メイスから魔力を受け継いだユイス、レイスを見れば明らかだ。  特に精霊大戦の時、ヴァルディースが契約した人間には、求めに応じて大きな魔力を与えた。もともと強力な魔術師であったし、その家系であれば与えられた魔力が拡散せずに、自然の魔力を逆に吸収、蓄積していき、強力な魔術師が生まれたという可能性は考えられないわけではない。  そうだとしても、なぜこの時にこの場に突然現れ、しかもザフォルの企みを阻止するような真似するというのか。  受け止めた魔力は世界中の全魔力に匹敵する四属精霊長の魔力だ。いくら強力な魔術師であろうとも、たかが人間に受け止めきれるものではない。自殺行為にしかならない。 「とにかく暴走しかけてるあの女性を止めないと、大変なことになりますよ!」  このまま混ざり合わない魔力同士が反発し、相殺しあったなら、この一帯の魔力どころか、世界から全属性の魔力が消えてしまう。  そうなれば、力を放出しきった自分たちが無事であるという保証はない。 「放出した自分の力を回収する、しかない」  元は自分たちが持っていたものだ。無理やり引き剥がされたものを取り戻すことはできなくないはず。 「メイス、寝てる場合じゃないぞ、起きてくれ!」  ユーアがメイスを抱きおこす。うっすらとだが意識はあるようだが、反応は鈍い。精霊として存在した時間が短いメイスの消耗は、一番激しいのかもしれない。メイスが回復しない限りは魔力の渦を止めるのは難しいだろうか。  空間に生まれた亀裂が、また女の絶叫と共にさらに大きく引き裂かれた。 「ちょっと待ってください。魔力があの人に向かって収束していく……?」  フェイシスが何かに気づいたのか上空の亀裂を指し示す。それは絶叫する女に向かって集まり、束ねられていく魔力の波だった。

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