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第2話

「ハーイ、ナオ。随分と遅かったね。今週は来ないのかと思ったよ」  ナオと呼ばれた男性が顔をあげると、そこには全体的に薄い色素と掘りの深い顔。彼とは数か月前にこの店で知り合った。マスターと同じく自衛隊に勤めていた彼は、色々な国で見聞きしたことを話してくれる。どの話も興味深くて、何度かお店以外でも会った時もまた、自分では経験できないような事をさせてくれた。 「ちょっと、仕事で色々とあって……」  それは、夢のような時間で。勿論、セックスも。  彼は全てが逞しかった。ナオ自身、決して小柄ではない。百七十センチとがっちりとした肩幅。体を動かす事が、スポーツが好きで、気づけばそれなりに見栄えのする体つきになっていた。そんなナオを相手にしても有り余るほどの逞しさ。彼のモノに揺さぶられ続ける時間は得も言われぬ快楽に満たされる。 「そうか。遅くまで仕事頑張ったご褒美に、綺麗な夜景を見ながら極上のワインでも飲まないか?」  彼のその言葉にズクリとあそこが疼く。 「う、ん……」 「どうした?乗り気じゃないって顔だな。明日は土曜日だ。もちろん休みだろ?」 「そう、なんだけど」  そんな時間をくれる彼を拒むのには訳があった。  彼が上手いのはセックスだけじゃない。そこに至るまでの過程、態度、言葉。その全てで相手を誘惑し、気が付けば我を忘れて上も下も彼の体液に塗れるほど彼を貪り続けてしまう。 「今日は、そう言う気分じゃなくて……」  与えられた物が多ければ多い程、その後の反動は大きくなる。それに彼の行動が意識的なのか無意識なのかは分からない。外国人の彼からしてみたら普通の事なのかもしれない。そもそも、なんの取柄も自分が相手なのだから遊びだと割り切ればいい。 「なら、ドライブでも行こうか?」  彼と居ると堪らなく怖くなる時がある。 「お酒、飲んでるでしょ?」 「大丈夫。昨日朝方まで飲んでてね。今日はノンアルコールだよ。だから安心してくれ」  彼の言葉は嘘か本当なのか本当に良く分からない。だからこそ、距離を置きたくなる。 「ごめん……。今日は……」 「ああ、すまないね。待たせてしまって」 「え?」  聞きなれない声。けれど耳にすっと染入る声音でそう言われて、ナオはぽかんと男性を見る。 「あ、いえ……」 「だれ、だ……?」 「あらっ!ジンさんおかえりなさい。遅かったのね、座ってちょうだい。マイクもナオくんと遊んでないで、暇なら手伝いなさいよ」 「なんでだよ?オレは客だぞ?って言うかその前にオーナーだぞ?」 「だったら余計に働きなさいよ。ほら、ほらっ!」  マスターに虫を払うように掌であしらわれ、誰かに呼ばれたマイクはそちらへと歩いて行った。 「すまなかったね。急に声をかけて」  そう言った彼は落ち着いた物腰に体のラインに合ったスーツを纏い、軽く後ろに撫でつけた髪には数本の白髪が混じっている。けれどすっと伸びた背筋と相まってとても品が良い。 「いえ、助かりました」  微かにほっとした表情と突如現れた男に困惑を隠しきれないナオ。彼はふっと目を細めマスターに目配せをする。 「ナオくん、だっけ?もし、良ければなんだが。お詫びとして一杯驕らせて貰えないかな?」 「いえ、そんな……」 「あら~。ジンさんってば、珍しく積極的ね」  そう言いながらマスターはナオのグラスを取り換える。 「えっと‥…」 「回りくどい言い方をしてしまったね。僕が君と飲みたかったんだ。その一杯だけの時間。僕の話し相手になってくれないだろうか?」 「あ……」  彼は長い指先で自身のグラスをすっと持ち上げる。それが何を意味しているのか。ナオは目の前に置かれたグラスを握り、彼のグラスへと近づけた。 「嬉しいよ。こんなおじさんでは、君みたいな若い子には相手にはしてもらえないと思ったから」 「おじさんだなんて、そんな……。それに俺、三十超えてますから、若くないですよ」 「そう?そうかもね。でも、一回り以上離れている僕からしたら、ナオくんはずっと若者だ」 「確かに、それはそうですね」  ナオと彼の会話は実に他愛なく。本当にそれは何の変哲も捻りもないただの世間話のみ。それでもナオには居心地のいい時間で、彼の優しい笑顔と声は、マイクとは違った幸福感を与えてくれる。そう、今まさに彼の口元に溶け込んでいくウイスキーの様に、ゆっくりと染み渡り体がじんわりと火照っていく。彼の全てに包まれたらどんな幸せが訪れるのだろう。 「あ……」 「どうかしたかい?」 「いえ、ジンさん飲み物無くなっちゃったなって思って」 「ああ、そうだね。お代わりを頼んでもいいかな?」 「ええ、もちろん」 「ナオくんは、どう……」  どうするのか。そうジンは聞こうとした。けれど目の前にいるナオはくすぐったそうに笑い、四分の一程度中身が残ったグラスを両掌で包む。 「俺はこれで良いです。だって、このグラスが開かなければ。俺はジンさんともっとお話しできるんですよね?」  ジンの瞳を真っ直ぐと見て話す彼に声をかけたのは、偶然であり必然だった。 「はは……。参ったな……」 「だめ、なんですか……?」 「いや、ダメではないよ。それどころか、最高の口説き文句だよ」 「くど……」  そんなつもりで言ったのではなかったのだろう。彼は首元まで真っ赤にしておたおたとしている。  ある夏の日。ジンは彼と出会った。厳密にはジンが一方的に彼を知っていたのだ。 「ミオさん。ナオくんに新しい物を」  マスターが小さく頷き、軽快に手を動かしていく。 「ナオくん。改めて乾杯がしたい。付き合ってくれるね?」  今日、部下が仕事でミスをしなかったら。二人はいつも通りの時間に来て彼と会う事は無かったかもしれない。 「はい。喜んで」  お互いがそうしたいとそうされたいと願うように触れ合うグラス。だから次の行動は必然だったのだろう。

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