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第6話 出会いの季節(6)

 吉野は存外歩く速度が速く、僕が吉野を追いかけようと教室を出たところで姿はなく、途中から小走りで追いかけたのにもかかわらず、結局下駄箱まで追いつくことができなかった。それどころか吉野はもう靴を履き終え、扉に手をかけているところだった。  そうして、吉野に対するイライラと、速く引き留めなければという焦りから僕は少し声を荒げて吉野の名前を呼んだ。  「ょし・・・吉野!」  「・・・染井!?」  いきなり大きな声で呼び止められた吉野は声の方を素早く振り向き、声の主が僕であることに気づくと、まるで飼い猫がしゃべったところを目撃した時のように目を大きく見開き、口は何か言いたげに開閉を繰り返していた。  僕は息を整え、姿勢を正し、改めて彼を見た。  「吉野、僕は・・・僕はお前のことが嫌いだ。」  突然の罵声にも吉野は動かずに僕のことを見ていた。  「僕は何にも怯えてなんかいない!お前のことなんて・・・大っ嫌いだ!!」  伝えた。僕の気持ちを。二度も伝えた。ずっとこいつに言いたかった言葉を。大声で伝えることができた。きちんと伝わったはずだ。    なのにおかしい。  本当はもっと胸がスカッとするはずだった。  なのに・・・  それなのに、胸の奥が痛かった。まるで、心臓を直接握られているような感覚。そんな感覚とは相反して、僕の心臓はかつてないほど大きく跳ねていた。  たった一言、口にしただけなのに。長距離を走っているランナーのように整えたはずの息が乱れ、下に向けた視線を上にあげることができなかった。  先ほど大声で怯えてないと叫んでいたのに。  今は吉野の顔を見るのが、怖かった。  そう気づいた瞬間。  昔の誰かの顔がフラッシュバックする。僕を見下ろす冷たい死人のような冷たい顔。僕を忌むでもなく恨むでもなく、ただただ無表情で、無関心でいる顔を。  「染井」  急に名前を呼ばれて、現実へと戻った。その少し無機質な声に僕は情けなく肩をビクつかせた。  何だったんだ今のは。僕を見下ろす冷たい顔。どこかで見たことがあるその顔を、それでも僕は思い出すことができなかった。まるで霞がかかった様にどんどんとその顔は消えていく。  吉野は・・・吉野は今どんな顔をしているのだろう。怒っているのか。悲しんでいるのか。  それとも・・・  あの顔みたいに、僕を冷たい顔で見ているのか。  そう思うと、どうしてか胸の痛みが増していく。  苦しい  一度・・・二度、深呼吸をすると少しだけ胸の痛みが治まった。  僕は意を決して声の主の方に視線を向ける。  真新しい外靴。皴の少ないズボン。少しなで肩にかかっているカバン。逞しい首筋。  そして  吉野の少し微笑んだ顔。  「・・・ようやく喋ってくれたな。あはは・・・そうか、俺のことが嫌いか!そうかそうか!じゃあ頑張らないとな!」 「染井に好きになってもらえるように!!」  吉野は今まで見た中で一番の笑顔で言った。  「ありがとう」  言い終わると吉野は少し照れたように俯き、再度ニカっといつもの笑顔を見せて  「じゃ、また明日!」  そう別れを告げて帰っていった。    吉野が帰った後も僕はしばらく動けなかった。相変わらず胸にはしんしんとした痛みがあった。しかしそれは、さっきまでの痛みとは違っていた。  この痛みは何なんだろうか。  どこからきているのだろうか。  はっきり拒絶したのに吉野が離れなかったことへの怒りからか。    怯えてなんかないと豪語していたのに吉野の顔を見ることが怖かった自分への不甲斐なさからくる苛立ちからか。  思い通りに事が進まなかったやるせなさからか。  本当は自分の気持ちがキチンと伝わっていないのではないかという悲しみからか。  それとも吉野の笑顔を見たときの安堵からか。    胸の痛みについて考えれば考えるほど何に起因しているのか分からなくなっていき、様々な感情が僕の中で混ざり合い、あふれて出し、気づけば僕は涙を瞳にためていた。  まるで色んな感情からできたカクテルのようだ。  そんな涙を拭き取るように彼の開け放った扉から、春のうららかな風が優しく僕を包み込んだ。

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