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第7話 出会いの季節(7)

 次の日。  高校生になってから初めての土曜日だというのに僕は何をするわけでもなくベッドの中にずっといた。体調が悪いわけではなかった。しかし身体がひどく重く、まるで深海の中で水圧に押しつぶされるように指一本動かすことができなかった。  頭の中で昨日の吉野との出来事が永遠とリピート再生される。吉野の言葉、仕草、表情、それを思い出す度に、胸に静かな痛みが沁み込んでいくのを感じた。  土曜が終わり日曜日がになっても結局、この胸の沁み込む痛みの正体は分からずにいた。そういえば、あの時一瞬脳裏に浮かんだ死人のような冷たい顔はいったい何だったんだろうか。今思い出そうとしても、頭に霞がかかった様にぼんやりとしか思い出すことができない。  そんな風に答えのでない難問に取り組んでいる内に休日は無情にも過ぎていった。  月曜日。二日間何もせずに休んでいたのにもかかわらず相変わらず気分は晴れることはなく、校門へと続く長い坂道は輪をかけて僕の足取りと気分を重くした。金曜日の出来事がまだ頭から離れない。そのためか、吉野と顔を合わせるのが何となく気まずかった。  下駄箱に着くと、案の定金曜日の場面がフラッシュバックする。異様に静まり返った校内、胸の痛み、頬を通り過ぎる生暖かい春の風、そして・・・吉野の顔。そのどれもが、今ある何気ない日常の風景とは違いすぎて、あの出来事はひょっとして僕の見た白昼夢ではないかと思わせる非現実感があった。  「染井!」  急に名前を呼ばれて肩をビクつかせたがすぐにその声の主が分かった。僕は気まずさを押し殺し、渋々声の主へと振り向いた。    そこにはいつものように人懐っこい笑顔を浮かべた吉野の姿があった。  「おはよ!」  そう短い挨拶をする吉野は僕の様に気まずさなんて微塵も感じていないように、せっせと靴を履き替えている。  その姿を見て、僕もなんだか馬鹿らしくなって、気まずさなんてどこかに飛んで行った。    「・・・・・・ぉはよう」  思わず僕が小さく挨拶を返すと、吉野は一層笑顔を深くしてもう一度「はよ!」と挨拶を返してきた。  クソ。今になってものすごく恥ずかしくなってきた。  そういえば、吉野に挨拶を返したのはこれが初めてだった気がする。そう思うと飛んでったはずの気まずさがまた戻ってくるような気がしたので僕は急ぎ足で教室へと向かった。  教室へ入ると、いつも通りの喧騒が出迎えた。入学式からまだほんの1週間しかたっていないというのに、すでにクラスには仲のいいグループが複数できており、朝から無駄に元気に騒いでいた。  考えてみれば、社会から学生という身分で区分され、その中で学力や住んでいる地域によって学校を分け、更に同じ学校でも数十人単位のクラスに分かれてもなお、数人規模の集団を形成するのか、僕からすれば相当奇妙な話だ。結局、人は生まれてから死ぬまで一人なのに何故利益もないのに群れでいることに固執するのだろうか。  というかよく毎日話すことがあるなと感心する。そんなに他人に話したいと思うことが頻発するドラマチックな日常なのだろうか。  席に着き、いつものように本を開き、読書を始めようとすると、吉野が教室に入ってきた。吉野はクラスメイトの近くを通り過ぎるたびに男女関係なく挨拶をし、挨拶された方も笑顔で挨拶をし、まるでグループの一員かの様に次々と別のグループの会話に自然と入っていく。  吉野は僕とは違う意味でどのグループにも属していない。吉野にはクラスのグループの垣根などは見えていないのだろう。まさに人気者だ。  だからって僕の垣根まで超えようとするな。僕のは垣根というより城壁だが。  そんな人気者の吉野がようやく自分の席に着いた頃一人の見慣れない、しかし一番目立っている男が教室に入ってきた。  その男は入学式以降姿を見せなかった推定ヤンキーの頭サーカスだ。確か添木と担任は言っていたような気がする。  添木を見るなり、今までお祭りかと思うほど騒いでいた教室が一気に静まり返った。一斉に教室の視線が添木に注がれる。  添木は教室の空気が一変したことを感じたのか、一瞬扉の前で立ち止まると目つきを一層悪くしながら入ってきた。添木が歩くたびに通り過ぎた場所からひそひそと話し声が聞こえる。  添木の一挙手一投足に教室全体が注目している。  まるで巣の近くに外敵が現れた猿の様だな。そんな風に嘲笑交じりに客観視しているとチャイムが鳴り担任がいつも通り教室に入ってきた。  「はーい。おはよー。今日はホームルーム前に紹介するやつがいる。添木、前に来てくれ」  そう言われると、添木はのっそりとした動きで黒板の前まで行き、くるりと反転した。相変わらず目つきは悪かった。  「自己紹介してくれるか」  担任がそういうと添木は一層目つきを険しくして自己紹介を始めた。  「添木 優(そえぎ ゆう)です。・・・どうぞよろしく。」  その目はよろしくしようとしない目だろう。自己を全く紹介する気がないというか威嚇しているようさえに見える。自己紹介というか事故紹介だ。    「入学式にいたから見たことあるやつもいると思うが、添木は盲腸で先週まで入院しててなー。だから今日から晴れてこのクラスの仲間になる。みんなー拍手ー」  クラスの冷え切った空気なんて関係なく担任は添木の事情を説明し、ぱちぱちと拍手をする。それに遅れて吉野が拍手をするとそれを見た人がぽつぽつと申し訳程度に空々しい拍手をし、微妙な空気の中、添木の自己紹介は終わった。  ああそういえば、金曜日は色々とあったから忘れそうになったが、添木に美化委員会の会議のことを話さないといけないんだった。正直物凄くめんどくさいが後で担任から何か言われるのも嫌だな。  そんな風に考えていると、一限の始まりを告げるチャイムが鳴った。

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