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◯ 「煙草、吸っていいかな」  アヤさんが言った。おれはうなずいた。アヤさんはこたつ机の上に乗っている煙草の箱を手に取り、一本引き抜いて口にくわえた。ライターで火をつける。深く吸って吐く。そのしぐさはさまになっていて、四十六歳の男ってこんなに色気があるんだなと思わされた。それに、その手。大きくて、形がいい。指も一本一本長くて、ちょっと骨ばっていて、なんといえばいいのだろう、弦を押さえているほうの、ギタリストの静かで力強い手のようで、とてもセクシーだった。  実力派の元AV男優は手の形さえ男前なんだな……。  おれが見惚れていると、アヤさんは煙を吐きながら言った。 「あの、立ち入ったことを聞いてもいいかな?」  おれは思わず身構える。 「……なんですか?」 「深谷君って、やっぱり、女王様にヒールの踵で踏みつけられたい、とか思ったりするの?」  不意打ち。心臓がどくんと音を立てる。 「あ、いや……その……」  あわあわと目が泳いだら、アヤさんは真剣な顔で尋ねてきた。 「鞭でぶたれたり、蝋を垂らされたいって思う? それとも、こういうのってステレオタイプなのかな? S役でSMもののポルノには出たけど、実際のところはあまり知らなくてね」 「ひ、人によるんじゃないですか? おれも、詳しくないです。その……そういうAVを観ることは、あ、ありますが……」  恥ずかしさで声帯がねじれそうになりながら、おれは目を泳がせたまま言った。 「でも、やっぱ人それぞれかと。おれは女の人に、その……ふ、踏まれたいとは思いますが、スカは苦手だし……。こ、言葉責め、とかはすき、ですが……」  ああ、言わなくていいこと言ってる気がする。悶絶しそうになりながらも、アヤさんの真剣な顔を見ているとはぐらかすことはできなかった。そこまで言い終えて、勇気を出してアヤさんの顔をしっかり見る。彼はおれの目を見つめて、うなずいた。 「そうなんだな。やっぱり、人それぞれか。ちゃんと知らなかったな」 「ア、アヤさんはSでもMでもないなら、知らなくて当然です。でも、なんでそんなこと気になるんですか?」 「昔のセフレが」アヤさんはさらっと言った。「この前店に来て。久しぶりの再会だったよ。もう立派な二児の親になってるんだけどさ。それで、おれにこっそり、『ほんとはMだったけどアヤが興味なさそうだったから、言い出せなかった』って打ち明けてきたんだ。SMものからおれを知って、声をかけてくれたんだけど。期待外れだったらしい。その人とはけっこう相性がよくてお互い愉しんでたけど、Mだってこと、おくびにも出さなかったからな。気を遣わせてたんだなって思うと、悪かったなと思ってね。おれもいろいろ知らなきゃなと思って」  そう言ってコーヒーを飲むアヤさんの憂いを帯びたアンニュイさが、なんだか色っぽくて、悲しそうで、胸にずしっとくる。おれは思わず言っていた。 「でも、アヤさんとずっと仲よしだったんでしょう? だったら、Mって言い出せなかったとしても、あなたとの関係に満足してたんですよ。気にすることないと思います。でも、アヤさん優しいんですね」  アヤさんは瞬きしてコーヒーのカップを口から離し、次には微笑んだ。 「ありがとう、深谷君。童貞らしい慰め方だ」  おれは赤くなってアヤさんを睨んだ。 「どういう意味ですか」 「少年みたいに一生懸命だって言いたいんだよ。おれさ、そういう童貞っぽい男の子、好きなんだよね。童貞キラーだったんだよ、これでも」 「……は?」 「おれ、バイなんだ」アヤさんはまたさらっと言った。 「さっき言ったセフレも男。ポルノも、ノンケ向けとゲイ向け、両方出てたんだよ。そう見えなかった?」  おれは無言になった。アヤさんの目がおれの目を見つめる。でも、アヤさん、目がちゃんと笑ってる。それにほっとしているおれがいた。 「ごめんごめん、気持ち悪がらせたかな。おれの秘密は以上。あとは見たままの人間だから、できればあんまり気持ち悪がらないでくれるとうれしい。でも、こういうのは生理的なものだからね」  そう言って、アヤさんは煙を吐いた。

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