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番外編 ドラッグパニック
【 ドラッグ パニック 】
良く晴れたあるの朝のこと。
「これは、貴方にとって必要な薬です?」
そう書かれた一枚の便箋の上に小瓶があった。
ここは雛森探偵事務所、雛森由貴の机。
一体誰が置いていったのか、その人物に心当たりはない。
雛森は訝しげな表情で小瓶を持ち上げた。
その小瓶には何もラベルが貼られておらず、中には怪しい色の錠剤がぎっしり詰め込まれている。
「なんだコレ?」
便箋には先程声に出して読んでみた一文だけで、ひっくり返してみたが何もない。
この錠剤についての使用上の注意が書かれているような用紙も見当たらない。
「何に効くんだよ?ってか、一日何回、何錠飲めってんだよ?」
錠剤の色が怪しすぎて飲む気は全く起こらない。
「毒薬か?」
振ってみても、ぎっちり詰め込まれているため音はしない。
市販の薬ではないだろうと、雛森の眉間には深々と皺が刻みこまれる。
「誰が置いてったんだ?」
こんな怪しいものを自分に飲めという人物に心当たりはない。
取り敢えず、事務所中の窓を開け、空気の入れ替えを行う。
軽く清掃を済ませ、コーヒーを淹れるための湯をケトルで沸かす。
倉科や啓太が持ち込んだ、何とかというメーカーの、コーヒーを作る機械2台を横目に自分のマグカップを用意し、インスタントの粉を入れた。
「邪魔だな」
雛森はコーヒーの淹れ方に拘りはない。
ただ・・・・・・前所長、雛森恭介もそうだったが、経費削減のため、ミルクも砂糖も入れない。
だが、あの2人は何処産の豆の、どんな挽き方の、どんなカップの、お湯は何度くらいがちょうどいいとか、そんな薀蓄を垂れ、この狭い小さな厨房をそれぞれの機材や食器で圧迫している。
いや、甲斐充もだ。
まぁ、彼の場合は紅茶だが。
ちなみに、要はコーヒーや紅茶はほとんど飲まない。
彼が愛してやまない飲み物、それはアルコール類。
ビールに焼酎、日本酒にワイン・・・・・・どんなルートからかは知らないが、いろいろな国の酒を手に入れている。
「あ、要、おはよ」
一人分のコーヒーを淹れ終わった頃、要が事務所に入ってきた。
「おはよう、雛森くん」
大きな欠伸をかまし、寝癖のついた髪を揺らしている。
「コラ、要!うちは接客業なんだから、ちゃんと身嗜みをだなぁ」
毎日のやり取りが始まり・・・・・・
「あぁ、そうだぁ。雛森くん、さっきねぇ」
雛森の椅子に座り、雛森に寝癖を直してもらいながら要が思い出したように口を開いた。
「なんでユキは起こしてくれなかったんだぁって、慌てて倉科くんが雛森くんちから飛び出して行ったよ?」
事務所に顔を出す暇もないほど、慌ただしく。
雛森はチラッと掛け時計に視線を向けた。
「あぁ、そういえば今日朝一の講義に出ないと行けないって言ってた気がする」
気持ちよさそうに寝ていたから、起こすのは忍びなくて。
「ところで雛森くん、コレ何?」
要の手には怪しい薬の小瓶が握られていた。
「飲むの?」
要は嫌そうに顔を顰める。
「飲むわけねぇだろ」
雛森は小瓶を便箋で包み込んでゴミ箱の中に捨てた。
その翌日・・・・・・
浮気調査の仕事を終えて事務所に帰宅。
(結局、あの旦那はクロだったな)
お得意さんからの紹介だった依頼人の旦那の浮気調査。
結果をまとめる書類を作成しなければならなかったが、これでもかというくらいの量の証拠にウンザリする。一応浮気していることを隠そうとはしているものの、それが雑すぎで・・・・・・
とにかく今は疲れていた。
ぐったりと畳スペースに寝転がる。
(写真をまとめて、それから連絡入れて・・・・・・それから・・・・・・)
雛森はすぐに眠りに落ちた。
仮眠から目覚めた雛森の目の前・・・・・・いや、膝の上に小瓶があった。
そして、便箋に一行。
これは、貴方にとって必要な薬です。
「・・・・・・ホラーか?」
小瓶をその便箋で包み、再びゴミ箱へシュート。
それは綺麗な弧を描き、バコンッと音を立ててゴミ箱の中に納まった。
「ナイッシュー、俺」
「ナイッシューじゃないよ、雛森くん!」
いつの間にか帰って来ていた要がゴミ箱の中から小瓶を拾い上げる。
「ビンと蓋の金具は別々にしろって、僕が倉科くんに怒られたんだからね!」
そのまま、その小瓶は要から雛森の手に戻る。
「で、これ何なんだろうね?」
雛森の隣に座って、小瓶を包んでいた紙のシワを伸ばしながら要が聞いてくる。
「そんなのコッチが聞きてぇよ」
ラベルは誰かが故意に外したようだし、こんな色の錠剤なんて初めて見たのだから。
「この色怪しいよねぇ?僕だったら絶対に飲まないよ」
「俺も飲まねぇよ・・・・・・絶対苦ぇもん、こんなの」
甘かったら飲むのか、という疑問を要は振り払う。
「健康被害とか起こしそうだよね」
身体に良さそうな色ではない。
映画とかで毒薬として登場しそうな色だ。
「だいたいその薬どうしたの?」
そう言って要は、一度は雛森の手に戻した小瓶を取り上げた。
「こんなの、どこで手に入れたの?」
「どこでって・・・・・・誰かが置いてったんだよ・・・・・・俺の机の上に」
一行だけ書かれた手紙と一緒に。
同じ頃・・・・・・事務所前には倉科がいた。
中から話し声が聞こえる。
雛森ともう1人・・・・・・
「だいたい、その薬どうしたの?」
要の声だった。
(薬?)
そっとノブを回して、少しだけ開いた扉から顔を覗かせる。
要の手には怪しい色の錠剤がぎっしり詰め込まれた小瓶。
「どこで手に入れたの?」
(何やってんだ、あいつら?ってかお前ら近くねぇか?)
小瓶が雛森の手に移る。
「どこでって・・・・・・誰かが置いてったんだよ・・・・・・俺の机の上に」
(何をいちゃついてるんだ、お前らは!)
上半身を事務所に突っ込んだ状態の倉科の背中に向ける冷ややかな視線。
(何やっての、先輩)
足音を立てないように近づいていき、こちらに全く気付いていない彼の背中に・・・・・・
「りょ・お・先輩?」
全体重を掛け、その耳に息を吹き掛けた。
「ぐわっ」
倉科は簡単に潰れた。
今の声と、扉に与えた衝撃で中の2人も気付いたようだ。
「え?」
「何?って倉科・・・・・・と啓太?」
倉科の背中に乗って、本日駅前でビラ配りをしていた啓太は笑顔で手を振る。
「雛森くん、ただいまぁ」
未だ復活しない倉科の上で、おやつにと持ってきた菓子箱を顔の位置まで持ち上げた。
そんな啓太の視線が雛森の手元に固定される。
「それ何?」
小瓶を見た啓太から笑顔が消える。
「何って・・・・・・俺が聞きてぇんだけど?」
溜息混じりに呟いた声に反応し、漸く復活した倉科が顔を上げた。
「ユキが飲んでるわけじゃねぇの?」
「違いますぅ」
ぷぅっと頬を膨らませた。
「だよな、薬嫌いだもんな、お前」
「くぅ~らぁし~なぁ~」
「ちょっ、雛森くんっ、なんで俺?ちょっとぉ、手っ!ちっ、力入ってるからぁ!ソレ、首締まってるからぁっ!」
片手なのに、ギリギリと締めていく雛森の指先に焦った啓太が助けを求め、倉科に向かって手を伸ばした。
「だから俺がちゃぁんっと飲ませてやってるんだもんなぁ」
最後に妙な節をつけ、倉科はニヤッと笑みを浮かべて雛森を見詰めた。
(口移しで)
声には出さず、口だけ動かす。
それをしっかり読み取った雛森は盛大な溜息をついて啓太から手を離した。
「そんなことより、その薬なんなんだよ?」
ぐっと両腕に力を入れて、啓太ごと上体を起こす。
「実は、かくかくしかじかで・・・・・」
雛森は事情を簡単に説明した。
怪しい色の錠剤がギッチリ詰め込まれた小瓶。
事務所の中には限られた人間しか入れない・・・・・・だが、誰が用意したのか心当たりはない。
雛森の手から小瓶を受け取った啓太は、じっと錠剤を観察する。
「これ、なんの薬なんだろう?」
病気を治す薬?
栄養剤?ビタミン剤?それとも・・・・・・危ない薬?
「それにこの手紙」
倉科の手には便箋。
「これは、貴方にとって必要な、薬?」
必要な、を強調した。
4人の視線が小瓶に集中する、そんな中・・・・・・
「あ!」
何かに思い当たったらしい啓太が携帯を操作する。
「もしもし?そうです、西尾です!あの実はぁ・・・・・・」
何処の誰に連絡を取ったのかは知らないが・・・・・・これまでの情報を話している。
「あ、やっぱりぃ?そうなんですよぉ、もぉ、ちゃんと言っておいてくれないとぉですよねぇ」
その口調からして、コレを置いて行った人物が分かったのだろう。
「ありがとうございました。じゃぁまた、一郎ちゃん」
そう啓太が通話を終了させる。
「一郎ちゃん?」
何処かで聞いたことがあるような、ないような?
他3人は顔を見合わせ、啓太からの説明を待つ。
「その怪しげな小瓶、充ちゃんだって」
この場に居ない人物。
「え?充?」
雛森の背後に回った倉科が充に電話を繋ぐ。
すぐに相手は出たようだ。
「充?お前なんなんだよ、ユキに渡したあの薬」
甲斐の声は聞こえない。
「・・・・・・あ、そう」
チラッと雛森を見て、倉科は通話を切った。
「何?甲斐さんなんて?」
上着の袖口から指先だけ覗く手が、倉科に向かって伸びてくる。
「ん。朝昼晩、食後に3粒ずつ飲めって」
ぽんっと雛森の肩に手を乗せる。
「は?じゃなくって、これなんの薬だって?」
そんなことが聞きたいわけじゃない。
聞いたことろで飲む気は全くない!
「いいから!」
肩に乗せた手を払われたが、再び、その腕をぐるんっと回して雛森の肩に乗せた。
「言われた通り、ちゃんと飲め!怪しい薬じゃないから!」
身体に良いらしいから、と付け加え、小瓶を持つ雛森の手に自分の手を重ねた。
「な?」
そんな倉科の勢いに押されて、後ずさりながら、雛森は頬を引き攣らせて頷く。
「う、うん」
まだ納得はいなかいようだが。
「で、充さん、なんて?」
いきなり態度をひっくり返した倉科は、甲斐になんと言われたのだろうか。
未だに小瓶と睨めっこをしている雛森を遠くに、要は倉科に聞いてみた。
「まぁ、簡単に言えば栄養剤だな」
雛森は忙しいと睡眠を極端に削り、食事も摂らなくなり、体調を崩す。
最近は彼の体調管理を倉科がしているのだが。
「専門家もどきと作ったらしい」
倉科は溜息を吐き出し、啓太に振り返った。
「その専門家もどきっていうのが、充ちゃんのオジサンのお友達の、八尾一郎ちゃん」
鑑識のお偉いさん、八尾一郎。
彼が、恋人の里中真央の為に開発した代物だという。
「あいつ、言ってもきかねぇから」
最近、今にも倒れるのではないかと言うくらいフラフラになっていた雛森の様子に、誰もがヤキモキしていた。
「ま、世にも恐ろしい物語ぃみたいなことじゃなくって良かったよ」
誰が雛森に怪しい色の錠剤が入った小瓶を届けたのか。
それを飲んだら、ホラー、オカルトな世界が扉を開けて待っていたのだろうか?
「まったくだな」
雛森に視線を送り、3人は溜息を吐き出した。
「とりあえず、充にはちゃんと差出人の名前を書いておけって言わねぇとな」
END
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