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第3話・初日・2

 みんな一斉に俺を見た。…遅刻した俺を…。 「あ…すみません…遅れて…」  眼鏡男は座ったまま、俺に礼をする。ほかの二人――ちょっと小太りの男は、首を前に差し出すだけの会釈。もう一人、いかにもチャラそうな茶髪にピアス男は、“ちーっす”と片手を挙げた。  俺も空いている座布団に座る。  後ろには床の間。掛け軸の下には、立方体に近い箱が置かれている。紫色の紐で縛られたまま。普通、飾るなら箱から出さないだろうか…。  鴨居の上には、額が三枚飾られている。どれも古い硬貨や紙幣が収められている。弥勒院さんは、古銭マニアなんだろうか。  ふすまの向こうは廊下を挟んで、ガラスがはまった雪見障子。その向こうはお寺なんかでよく見る、砂利を水に見立ててきれいな筋を描いた枯山水。あれって、どうやって描いてるんだろう? 「皆様、遠い所をようこそお越しいただきました」  俺たちの正面に座った毒島さんは、手をついてお辞儀をした。 「アルバイトの内容をお話する前に、この弥勒院家についてご説明させていただきます」  猫背だった毒島さんが、姿勢を正す。俺もつられて、正座で姿勢を正す。例の眼鏡男はずっと正座のまま。太っちょも正座をした。茶髪はあぐらをかいたまんま。 「弥勒院家は、はるか昔の平安時代から続く家系で、初代弥勒院は朝廷での記録係および、書物の書き写しや書を巻物にするなどの、書物に関する職についておりました」  すげーっ! 平安時代っていうと…七九四(なくよ)ウグイス…だから…。ざっと千二百年以上も続いてるんだ! 「鎌倉時代には、日本最古の活字技術も発明しました。かのグーテンベルクよりも先でした。ですが、戦乱の時代に戦火に遭って失われてしまい、歴史より消えてしまいました」  それからは書物を売買するようになり、後に日本初の古書専門店として栄えていったらしい。 「太平洋戦争での空襲により、店舗や在庫のほとんどが焼けてしまい、長年続いた古本業を廃業いたしました。現在残っておりますのは、蔵に収められました二千冊ほどの書物と、掛け軸や屏風などが百点ほどです」  ほとんど焼けて、まだそれだけ残ってるってことは、もとはどれだけあったんだろう。想像つかない。 「戦後、先代の弥勒院は古書や書画などを鑑定したり修復をする職人になりました。元々、そういう技術もお持ちでしたので」  なるほど、芸は身を助く。俺も調理師として、早く腕を磨きたい。 「先代の当主――現在の旦那様のお父上ですが、亡くなられる前に“ここを博物館にするように”とのご遺言を残されました」  現在、蔵には国宝級や値段のつけられない物もあるらしい。すげーな。ま、古書が二千冊もあって、これだけ広い屋敷だもんな。立派な博物館になるよ。さっすが代々続いた名家。転職しながらもしっかりと時代を生きてるから、滅びないわけだ。 「一人っ子の旦那様は、限られた者にしかお心を開かず、独身でございまして。したがって子供もおりませんから、弥勒院家最後の血筋となります」  あ、滅んじゃうんだ。 「ゆえに、絶えてしまう弥勒院家のご心配をされた先代は、ここを博物館にして永遠に弥勒院の名を残そうと思われたのです。旦那様は御歳八十八の米寿でございますが…現在は認知症が進み…、医師からは余命幾ばくもないと宣言されました…」  毒島さんが辛そうに話す。長年、弥勒院さんに仕えてたんだろな。主従関係はあっても、家族みたいなもんだろうから寂しいんだ。 「そこで皆様にお手伝いいただきたいのです。博物館のために蔵の書物、書画などの埃を払い、破損などがないか点検し、歴史や文学などの項目ごとに分けていただくお仕事です」  そんなの、素人にできるだろうか。埃を払うとか破損がないかを点検するぐらいはいいけど。テレビとかで見たことあるけど、昔の書簡とか、ミミズが這ってるみたいな字でよく読めないからな。 「そしてもう一つ、お願いがございます」  毒島さんが、おもむろに立ち上がる。床の間の隣、絵皿が飾られている違い棚の下、地袋を開けて黒くてツヤツヤな箱を取り出した。まるで浦島太郎の玉手箱。赤い紐で結んである。毒島さんは再び俺たちの前に座ると、玉手箱を開けた。中から出たのは、煙ではなく少し黄ばんだ一枚の紙。 「こちらは、先代が残されたものです。我が弥勒院家に初代より代々伝わる家宝がございまして、戦火に焼かれたり災害に遭わないよう、隠し場所を変えつつ守り抜いてこられました」  初代よりの家宝――千二百年前から伝わる宝って、何だろう。高い壷とか宝石のついた刀とか? 「先代も、旦那様に家宝のありかを伝えました。先代は遊び心をお持ちの方でして、その場所を暗号で伝えられたのです。そして博物館の目玉として展示するように、そう言い遺されました。何せ家宝は、値段のつけようがないほどの価値があるとかで、日本中が震撼し、歴史が変わると言われておりまして」  日本中がひっくり返るような宝?!  それはぜひ見てみたいな。俺は壷や刀剣の価値はわからないけど、歴史が変わるほどの宝なら興味がある。 「先代が亡くなられて、およそ四十年。この暗号の意味を知る人は、旦那様ただお一人です。わたくしは家宝が何なのか、どこにあるのかもわかりません。旦那様にお尋ねしようにも…認知症で会話もままなりませんから…」  また、毒島さんが寂しそうな口調になった。そうか、弥勒院さんがもうすぐ亡くなるから、というだけじゃないんだ。寝たきりなほどの認知症だから、きっと毒島さんのことがわからないんだろう。長年同じ家で過ごしてきて、多分先代と同じぐらい弥勒院さんと長くいっしょにいた人。そりゃあ、寂しくもなるだろうな…。 「ぜひとも、皆様にこの暗号を解読して、家宝を探していただきたいのです」  毒島さんが黄ばんだ紙を広げた。平仮名らしき文字で、縦書きに何やら書かれている。 「皆様には、別の紙に書き写したものをお渡しいたします」  玉手箱には黄ばんだ紙だけではなく、真っ白な紙が入っていた。今日のために、同じ内容を書き写したらしい。  その紙を渡されて、俺は――いや、俺たち全員は固まってしまった。 まゆづきよ さかづきのぞく めおといし こだから うまれ とおかさね おしえのもとに いざひらけ はいざんの こう てつにひく ふたつの やまを いざひらけ  何のこっちゃ…さすが暗号。

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