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第8話・二日目・1
翌朝、焼き魚や玉子焼きや海苔など、旅館みたいな朝食をたいらげ、応接間のテレビで朝のワイドショーを見ながらのんびりくつろいでいた。
寝間着は旅館の浴衣風だった。今日から仕事だから作務衣を着てるんだが、これがなかなか着心地がよく動きやすい。
米澤さんは漫画雑誌を読んでいて、大介は何と新聞を読んでいる。…意外だ。
「大介ってさあ、新聞読むんだ」
ページをめくりながら、大介が口を尖らせる。
「何だとぉ、失礼だぞアキラちゃ~ん」
そんなふうにおどけて言う大介に、俺は慌てて“ゴメンッ”と肩をすくめた。
「ん~…、ホスト時代の習慣でさ、いまだに新聞あると読んじゃうクセがあって。時事的なこととか、お客さんとの話題に必要だからね。さすがに女の子は政治や国際問題は無関心だけど、芸能関係やスポーツ、パリコレなんかのファッションショーとか、家庭欄のちょっとした豆知識。新聞はネタに事欠かないから」
なるほど、ホストは意外と知的だ。
馬場くんは一枚の紙を眺めている。お宝の暗号だ。
「何かわかった、馬場くん?」
「まゆづきよ…さかづきのぞく…。夜に酒でも飲んでるのかな」
ぶつぶつ言ってる馬場くんに、もう一度同じ質問をしてみると、やっと答えがかえってきた。
「いや、まだわからない。暗号にしては場所などが特定されてる感じがしなくて」
「まゆづきよ、って何?」
馬場くんは眼鏡のブリッジを指先で上げる。
「三日月ってことだ。人間の眉みたいに細い月だ」
最初の十二文字は、三日月の夜に杯を覗いている、みたいな意味だろうか。うーむ、わからん。
そうこうしているうちに九時になり、俺たちは蔵の前に集合した。毒島さんともう一人、浅葱色の作務衣を着た背の高い男性がいる。色白で華奢で、少し長めの髪を後ろでまとめている。丸い銀縁眼鏡の、少し儚げな印象だ。
「皆様、この者が旦那様の愛弟子で、古書の修復師をしております、妹尾英吉 と申します」
妹尾英吉さんは長身を折り曲げて挨拶した。
「“英吉”と呼んでください。四十三歳だから、皆さんのお父さんより少し年下かな。皆さんが仕分けした古書は、展示用に僕が修復します」
毒島さんが隣からつけ加える。
「古書は蔵から各自のお部屋などに持ちこみはできませんが、興味のある本を読みたい場合、離れの作業場に起こしください」
馬場くんが目をキラキラさせている。眼鏡までキラキラしているような気が。
「あの、早速、今日の仕事が終わってからお邪魔していいですか?」
「ええ、どうぞ。若い人に、古書に興味を持ってもらうのは大歓迎だよ」
おおっと、馬場くん、大学教授になるのやめて修復師になるとか言い出さないかな。そのぐらいの食いつきようだ。
そしていよいよ、毒島さんが蔵の鍵を開ける。ガチャン、と重い金属音がした後、英吉さんと二人で重い扉を開けた。
時代劇や昔話に出てきそうな土蔵は、風通しがよい割に、たとえ台風でも雨が入らない構造になっている。埃っぽい匂いはするが、カビの匂いはしない。それに、線香のような独特の香りがする。
毒島さんが壁のスイッチを押した。電球がいくつか点いた。
「この香りは初代弥勒院が考案した、特殊なお香でして。匂いで虫やネズミなどを寄せつけず、さらに煙が目に見えない膜となって、紙を保護するのです。さる事情から、門外不出のものですが」
千二百年も続く、本を守る技術なんだなあ。特許取ればいいのに、もったいない。体に合わない人とかがいるのかな?
それにしても、背の高い本棚だらけだ。時代劇で見るような大きな木の箱――これが長持ってやつだろうか、ブリキみたいな金属製の長持もある。さらに丸椅子四脚と、大きな扇風機がある。
「ここの本全て埃を払って、破損が無いか調べて、破損している物はこちら」
入り口の右側の壁には、持ち手がついた大きな柳行李がいくつも並べてある。子供一人なら入ってしまいそうだ。“文学”“歴史”“美術”“医術”“宗教”“その他”と黒い墨でジャンルが書かれた紙を、それぞれに貼りつけている。
「破損が無い物はこちらにお願いします」
左側の壁にも柳行李。だがこっちはみんな、赤い墨でジャンルが書かれてある。
「一日の作業終了時に、離れの作業場に運んでください。英吉が修復します。翌日の作業の時間までに、柳行李は英吉が戻しておきます」
白手袋をはめて、埃除けの手ぬぐいをマスク代わりに鼻と口を覆い、いよいよ作業スタート。蔵には梯子があって、高い場所の本も取れる。とりあえず俺が梯子に登り、気をつけていくつか和綴じの本を取り、梯子を降りる。
馬場くんが、手ぬぐいマスクのせいで眼鏡が曇った状態で言う。
「それぞれ作業を分担しよう。晃が埃を払い、米澤さんと大介で点検、俺が内容を読んで分類。けど、手が開いたときは俺も皆を手伝う」
分担も決まって、早速俺はハタキで埃を払う。
「ぶえっ、げほっ、すげぇ埃だな」
鼻と口は大丈夫だけど、目に入りそう。最初は皆で一冊ずつ、埃を払った。
その後、俺はまた梯子に登る。米澤さんと大介が丸椅子に座り、一ページずつ点検をする。
「うっわ、想像どおり、何て書いてんのか全然わかんねえ」
馬場くんがヒョイと覗く。
「和歌集だな。おそらく、詠み人知らずの歌ばかりだろう」
振り向いた大介は目を丸くする。
「さっすが馬場ちゃん!」
そんな感じでしばらく作業を進めていた。十時半、重い扉がギギギッと音を立てて開く。
「皆様、お茶の時間でございます」
毒島さんだった。
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