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第11話・三日目・1

 三日目の朝、梅雨らしくシトシト雨が降っている。だがこの古式ゆかしき日本家屋、畳というやつは湿気を吸い取る力があるらしい。おまけに寝間着は肌触りがいい麻の素材。ああ、日本人に生まれてよかった。  朝食はご飯にお味噌汁に青菜のおひたしに、若い人ならお好きそうだからと源さんがベーコンエッグを焼いてくれた。  そして作業の時間が来た。昨日と同じ分担で、俺が本の埃を取り、米澤さんと大介が中身を点検し、馬場くんが仕分けする。 …あれ?  棚の中に、和綴じではない本がある。材質は皮だろうか。茶色くてなめらかな手触り。百科事典みたいな感じの綴じ方だ。  引き出してみると、横文字が書いてあった。羽根ぼうきを使って、丁寧に埃を取る。 「何だろこれ、外国の本みたい」  普通の本とは違い、紙が少し分厚い。おまけにヨレヨレだ。 「西洋の本だろ? もしかして、羊皮紙じゃないか?」  そう言ったのは米澤さん。羊皮紙っていうと、動物の皮を紙状に加工したやつか。そんなものまであるのは凄いな。  米澤さんが茶色くて分厚い本を手に取り、興味深そうに見ている。 「まるで魔導書(グリノワール)みたいだな…。あ、あのお香は、植物の紙を守っても皮製品は守れないらしい。変色してるよ」  英吉さん、羊皮紙は修復できるのかな。とりあえず修復の柳行李行きだけど、馬場くんにジャンル分けをお願いしよう。 「無理だ。これ、多分ラテン語だろう? 俺には読めない」 「馬場ちゃーん、羊皮紙のそんな物々しい本だから、魔法の呪文とか書いてるんじゃない?」  大介のそんなファンタジーな夢は、馬場くんに一掃された。 「黒魔術は確かに中世のヨーロッパで広まったけど、実際にあるもんじゃない。そんなまやかし物を手間暇と金をかけて作るなんて、酔狂にもほどがある」  馬場くんの話では、牛一頭から作れる羊皮紙は、せいぜいノート十ページ分ほどらしい。  内容が分からず俺たちが考えあぐねていると、米澤さんが遠慮がちに言った。 「もしかしたら…挿し絵からして、魔物退治をする剣士の物語かも」  確かに、途中で挿し絵がある。角と尻尾がある魔物が、鏡のようなものに映し出され、そいつに向かっている剣士の絵。 「ファンタジーもののゲームで、昔話をモチーフにしたエピソードがあったんだ。人間界で悪さをする魔物が森を鏡だらけにして、そこを移動しながら別の鏡に虚構の世界を映して、剣士をからかうんだ」  魔物が魔法で作り出した鏡だらけの森。魔物は鏡の中から舌を出して剣士を揶揄する。剣士は鏡に向かって、剣を突きたてる。鏡は割れるが、後ろから魔物に攻撃される。  今度は、魔物が映っている鏡と正反対の方に向くが、なんと魔物は鏡の中にいて、剣士はまた背中から攻撃された。  どうすれば魔物を倒せるんだ。本物の鏡として映し出された世界には、魔物はいない。鏡に見せかけた虚構の世界に、魔物はいる。虚構の世界は、現実の森とそっくりだ。木々も、月も――  剣士はあることに気づいた。無数の鏡に今宵の半月が映っているが、左右対象になっていない鏡がいくつかある。魔物は虚構の世界を作るとき、左右対象にではなく、現実世界をそのまま作り出したんだ!  半月が正反対でない鏡に魔物が映ったとき――剣士は狙いを定めて魔物の心臓辺りに剣を差した。  鏡はくだけ、魔物は敗れた。  米澤さんによると、そんな話らしい。 「すっげー! 米っち博学~」 「いや…、ゲームで覚えた話だし」  洋書自体、数が少ない。とりあえずその洋書は、文学のところに分類してもらった。  その日の作業終了後、俺は皆の後で入ると申し出た。また、馬場くんや大介に迫られると困る。初日は何ともなかったのに、何で昨日から。しかも、いい匂いがするとか。  午後六時前。皆が風呂から出た。大介に“背中流してあげようか”と肩を抱かれたけど、俺は断固として一人で入ると突っぱねた。  夕食は午後七時からだから、充分間に合う。体を洗っていると、英吉さんが入ってきた。 「あ、どうもお疲れ様です」 「そちらこそ、お疲れ様」  英吉さんが隣で体を洗う。四十代って言ってたけど、細身で顔つきも若くて色白で。髪なんて全然傷んでないし。今はお風呂だから眼鏡は無い。眼鏡をかけていない方が、若く見えるんじゃないかな。 「ん? どうかした?」 「い、いいえっ」  しまった! こんなに間近で見たのは初めてだから、マジマジと見つめてしまった。 「あ、あの、英吉さん」 「何?」  シャワーで泡を流し、英吉さんに洋書のことを聞いてみた。 「今日、作業場に持って行った本の中に、羊皮紙の本があったでしょ? あれも修復できるんですか?」  英吉さんは眉を下げて苦笑した。 「正直、自信はないなあ。道具はあるし、一応知識はあるけどね。腕としては、やってみないと何とも。先生なら、大丈夫なんだけど」  毒島さんが弥勒院さんのことを話すときと同じように、英吉さんも寂しそうな表情になった。 「…寂しいですね、弥勒院さんとお仕事できないのは」 「まあね。入門してから二十年以上たつけど、ここ二年ほど先生は寝たきりだから」  体を洗い終わり、俺と英吉さんは湯船につかった。つかったのはいいけど、広い湯船なのに英吉さんがぴったり俺のそばに座る。どいてほしいとも言えず困っていると、英吉さんにいきなり手を握られた。 「君…晃くんだっけ。いい匂いがするね」

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