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第12話・三日目・2
「はあ?!」
細く繊細そうな指だけど、握る力は強い。ぎゅっと握りつつ、親指の腹で俺の手のひらを指圧――いや、エロティックに撫でてくる。
「は…離してくださいっ」
離れるどころか、今度は顔が近づいてくる。今は眼鏡が無いせいか、目を細めて俺を見る。…男性なのに、肌がきめ細かい…って、そんなこと考えてる場合じゃなかった!
「僕はこんなおじさんだけど…よかったら、ゆっくりお話しない?」
冗談じゃない、馬場くんと大介だけでなく、英吉さんまで!
額は汗が流れるけど、背筋には寒気が走る。
「し、失礼します」
俺は慌てて湯船から出た。髪がほとんど濡れた状態で、急いで脱衣所から飛び出した。
危ない、危ない。二人っきりだから、止めてくれる人がいない。唇どころか、貞操が危ない。
今までいい匂いなんて言われたことはない。それなのに、ここに来てから三人に言われ、その三人ともが迫ってくる。
ここは米澤さんと毒島さん、それに源さんとなるべくいっしょにいて、被害にあわないようにするべきだろうか。
風呂から出ると、カレーのおいしそうな匂いがする。夕食はカレーなんだな。
午後七時、『古銭の間』。テーブルの上、銘々の盆には大きな皿とスプーンにフォーク。中央には薬味の漬け物、薄切りリンゴが入ったサラダ。
源さんが大きな鍋を持って入ってきた。
「毎週水曜日はカレーにしやす。皆さんは毎週日曜日がお休みですが、それだけだと曜日の感覚がつかみにくいと思いやすんで」
そうか。一応、新聞やテレビは見るけど、外界から閉ざされたこの屋敷では、今日が何日で何曜日なのか、意識していないと忘れてしまう。
おいしいカレーを腹一杯食べ、俺たちはまた暗号解読のために応接間に集まった。
あいにく今日は三日月じゃなくて、もっと細い。この時間、応接間からは月が見える。“まゆづきよ”のヒントがわかるかなって思ったんだ。
フランス窓から庭に出た。『古銭の間』から見える庭は、岩や低木などが配置され、灰色の砂利で水の流れみたいな模様を描く枯山水だが、こっちは池があって、本物の水が入っている。中では赤や白、金色の立派な鯉が泳いでいる。石灯篭に鹿威し、こっちの庭も純和風だ。
「旦那様はよく、こちらから月を眺めておいででした。客間に面する縁側の枯山水もお好きですが」
毒島さんが目を細めて、懐かしそうに言う。もう、そんな姿を見ることはないんだな…。
「枯山水では秋の日に、どこからか鈴虫が迷いこんで来ましてね」
水が描かれた砂利の上に、一匹の鈴虫。本物の水なら溺れてしまうところだった。
「旦那様は、動くことのない波の上に止まって鳴く鈴虫を、しばらく愛でておられました」
なんと風流な。そんな秋の夜長を過ごすなんて、俺たちには想像もできない。
「池では、旦那様は水面に映る月がお好きでしてね。鯉の動きで揺れてはまた、形を成す行程がお好きでした」
楽しみ方が一般ピープルとは違う。弥勒院さんはどんな人だったんだろうか。お話できないのが、本当に残念だ。
あ、そういえば。
「毒島さん、弥勒院さんはなぜ、家宝のありかを知っていながら、隠し場所から出して保管しておかなかったんですか?」
「あ、それ、オレも気になってた~」
と、大介が俺の肩を抱いて寄りかかる。鼻をうなじにくっつけるな。
「確かに、弥勒院家は旦那様の代で終わりですし、博物館にする予定ですから、隠しておく必要はありません」
出して蔵にでも置いておけば、もしも紙でできた物なら、あのお香の効果で傷まないだろうに。
「ですが旦那様は全く、その隠し場所を明かそうとはなさいませんでした。理由は、我々にはわかりかねます」
毒島さんがうつむき加減に首を振る。
うーむ…。馬場くんは古文に詳しくて、米澤さんは歴史に詳しい。大介はまとめ役兼、皆のモチベーションを上げてくれるのに向いてる。俺にもせめて、暗号解読の能力があったらな。
結局、その日も何もわからないままに終わった。
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