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第16話・五日目・2
「あ、お疲れ様です」
「やあ、お疲れ様。作業に新聞紙が必要でね。今、昨日の新聞をもらって来たところだったんだ」
英吉さんは、古新聞を作業台に広げる。
壁に取りつけられた棚にはたくさんの本が、きちんと並べられて保管されている。中央に大きな机があり、やや暗めの電気スタンドが一枚の紙を照らしている。
馬場くんが、持ってきた額縁を見せる。
「今日は屏風と額縁を点検しました。屏風は状態がよかったのですが、額縁の書が退色しているので持って来ました。あと、端が少し破れた絵と」
「ご苦労様」
と、英吉さんは馬場くんから額縁を一つずつ受け取った。
「この絵…」
正方形の額をじっと見たまま、英吉さんが固まる。馬場くんが首を伸ばし、横から覗く。
「押し絵ですね。絵の部分は大丈夫だけど、なぜか端が破れています。額に入っているのに、こういうこともあるのですか?」
「ああ、紙を好む虫かな? さすがに押し絵なら修復は専門外だけど、台紙なら直せるよ」
「元はトイレのそばに飾られていた絵ですよね」
「そうだったかな? よく覚えていないよ」
この家に何年もいる英吉さんでも覚えていないことを、馬場くんはよく覚えているなあ。
「そういえばこの歌、ちょっといわくつきの歌なんだけどね…。実際にあった事件がもとになってるとかで。好奇心な子供たちは、遊び歌にしちゃったけど」
そういえば、童謡には怖い内容のものが多い。外国にだってある。昔読んだ『マザー・グース』にも、子供が歌うにはどうかと思うような歌もあった。
そのわらべ歌の内容を、英吉さんが教えてくれた。
「昔、この辺り一帯を領土としていたお殿様がね、財宝を持ち出して山に埋めたんだ。家来の中に裏切り者がいて、その人が財宝を狙っていると思ったんだ」
後に、殿様は財宝を掘り返すことがなく、亡くなってしまった。財宝のことを知った者たちは、こぞって山に入り宝を探した。
「けど、山から帰ってきた者は一人もいなかったんだ。崖や多少険しい所もあるけど、それでも遭難するような大きな山じゃない、というのにね」
背筋がゾクッと震えた。何だか怪談じゃないか。
「村の人たちは、殿様のたたりだと言ったんだ。だから、山菜摘み程度ならいいけど、宝探しはタブーとされるようになった。ところが、それを破った子供たちがいてね」
英吉さんの下駄がカラコロと鳴る。本棚の中から分厚いファイルを取り出し、それを作業用の机に広げた。透明なポケットには、様々な新聞記事が入っていた。古書や日本画に関するもの、この辺りで起きた事件など、弥勒院さんが気になる記事をファイルしていたそうだ。
「確かこの辺りに…、あったあった」
その記事は、大きな見出しがある。“小学生の二人、崖から転落死”。日付は昭和四十五年五月三日。ゴールデンウィーク最中の事故だ。
「わらべ歌の“お宝を探しに山へ行く”とほかの子供たちに話していたそうだ。大人に話せば反対されるからね」
なんと、遺体が発見されたのは五月二日だが、二人の行方がわからなくなったのは、二日前の四月三十日。どうしてすぐに山を捜索しなかったのかといえば、まさか禁を犯して山に入るわけはないだろうと、川などを捜索していたのだそうだ。
英吉さんが弥勒院さんから聞いた話では、子供が禁を犯したと、両親たちは村八分にされたそうだ。
このこともあって、余計にこの辺りでは宝探しがタブーとなっている。
「皆、毒島さんが出した条件――外部との連絡を断てっていうのは、ちょっと異常なほど厳しいって思っただろう? それには、弥勒院家のお宝のことでマスコミや専門家に騒がれたくないという意図と、この辺りの人に宝探しがバレてはいけない、という意図があったんだ」
馬場くんが新聞記事から顔を上げた。
「でも俺たちは山じゃなく、この屋敷の中だけでお宝を探しています。それでも駄目なんですか?」
英吉さんが、顎に手を当てて眉を下げる。ちょっと困った表情だ。
「うーん…割と閉鎖された田舎だからね。お年寄りの中には、こだわる人もいるかもしれないからね」
怖い話だ…新聞記事の小学生は、本当にたたりで死んだのだろうか…。梅雨寒ではない寒さを感じたが、馬場くんの一言で晴れ空に変わる。
「これ…白居易の『長恨歌』じゃないですか!」
机にはハサミや糊、物差しやカッターなどの文房具から、トンカチみたいな物や錐みたいな物、チューブに入った何やらわからない物まで、いろいろな物がある。けど、乱雑に散らばっているんじゃなくて、机の上できちんと整頓されて並べられている。それらに囲まれて、電気スタンドに照らされた一枚の紙。
「さすが、K大文学部。修復が済んでもここに置いとくから、よかったらいつでも見にきていいよ。向こうの棚には、『韓非子』もあるし」
ありがとうございます、と馬場くんは棚に駆け寄った。目をキラキラさせて、まるでオモチャ売り場に来た子供みたい。ふふっ、何となく可愛いな。思わず笑みがもれてしまう。
「後で食事がすんでから、読みに来てもいいですか?」
「ああ、もちろん大歓迎だよ」
馬場くんが部屋を出ようとしたので、僕も後をついて行く。この部屋に二人っきりで取り残されたら、危ない気がして…。
現に、すれ違ったときに栄吉さんが、僕のお尻を撫でていった。油断も隙もない。
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