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第17話・五日目・3
夕食後、何とかっていう古書を読みに、馬場くんは英吉さんの作業場へ。俺はテレビを見に応接間へ。米澤さんも漫画雑誌を読むために応接間に来た。
そして大介は何をしに来たのか、ソファーの俺の隣に座り、いきなり肩を抱く。
「ちょっ、大介離れてくれよ、暑いから」
「早く冬になんないかなー。そしたら、アキラちゃんとこうしてくっつけるのに」
「俺は男とくっつく趣味は無いぞ!」
俺の抵抗なんて何のその、大介は俺の襟をつかみ、少し広げると鼻を押しつけてきた。
「ほんっと、アキラちゃんいい匂い…」
「マジでやめろよ大介、暑苦しいっ」
大介はいきなり顔を上げて俺に近づいてきた。
「アキラちゃん…“暑い”からどいてほしいんだよね。別に俺のこと、嫌いなんじゃないよね」
「べ、別に嫌いじゃないけど、こういうことされるのは…」
ソファーの背もたれに手を置き、脚を組んで俺の方に向く。少し前傾姿勢になって、俺の顔を覗きこんだ。
「じゃあさ、プラトニックな恋愛ってどう?」
細くきれいな大介の指が、俺の顎をすくう。
「アキラちゃんと仲良くなれるならさ、アキラちゃんを大事に扱う。決して、体が目当てってわけじゃないんだ」
さすが元ホストだ。大介が浴衣じゃなくスーツを着ている錯覚に陥る。少し暗めの照明で、大理石のテーブルにはドンペリとフルーツの盛り合わせでも乗っていそうな。
「だから俺は、大介とそういう関係になるのを望んでるわけじゃ…」
頼みの米澤さんは、一人掛けソファーで背を丸めて一生懸命漫画を読んでいる。その集中っぷりは、会話に加わるのを拒絶していそうなほどだ。
馬場くんは、英吉さんの所に行ったきり。ああ、でも馬場くんが来たところで、またヤバい空気になる。
「お、俺もう部屋に戻るっ」
慌てて立ち上がり、俺は自分の部屋に向かった。ったく、大介のせいで背中が汗びっしょりだ。確か、着替えの浴衣は風呂の脱衣所にある。ついでにシャワーをサッと浴びよう。バスタオルは、さっき使ったやつでいいや。
風呂場でぬるめのシャワーを浴び、サッパリと生まれ変わった。
大介はずっとあの調子なんだろうか。できればこのバイトが終わってからも、普通に友達付き合いしたいんだけど。バイトが終わって距離が離れたら、大介の熱も冷めてくれるだろうか。そんなことを考えながら、腰にバスタオルを巻いたままで、冷蔵庫を開けて牛乳瓶を出した。
壁に取りつけられた扇風機の風を独り占めし、腰に手を当て牛乳を一気飲み。まるで銭湯だな。しかも、誰もいないなんて極楽、極楽。
カラカラと磨り硝子の引き戸が開いた。入って来たのは、英吉さんだった。ヤベェ。
「あ、ども、お疲れ様です」
「お疲れ様。この時間にお風呂?」
「はあ…、汗かいたんで、シャワーだけです」
タオルと着替えを手にした英吉さんが、俺に近づいてくる。
「僕はね、ずっと作業をしていて、さっきまで馬場くんが本を読みに来ていたからね。今からお風呂なんだ」
英吉さんがクスクスと笑う。
「残念だね、これからだったら晃くんの背中を流してあげるのに」
勢いよく首を横に振り、俺は全力で断った。
「い、いえ、遠慮します」
「それにしても君は」
細長い指が、俺の耳元に触れる。顎のラインを沿って、喉仏に。さすがにくすぐったくて、“やめてください”と後ずさる。
「いい匂いがするね。千に一人、と言われているけど、まさか本当に出会えるとは」
千に一人? 本当に出会える?
何のことだろうかと、まばたきを繰り返す俺の背に、熱い手のひらが当てられた。要するに俺は、英吉さんに抱きしめられている。
「短期間のバイトなんて残念だ。できればずっとここにいてほしいよ」
「あ、あの、英吉さんっ」
「変なことはしないから、しばらくこうさせて?」
俺の髪に顔をうずめ、英吉さんはいつまでも俺の香りを嗅ぐ。いったい、何の匂いだろうか。
「英吉さん…、俺、どんな匂いがするんですか? 馬場くんにも大介にも言われるんですけど」
英吉さんは、すうっと息を大きく吸うと、一言だけ答えてくれた。
「魅力的な匂いだよ」
俺は今まで男にも女にもそんなこと言われた記憶が無いのに、いったいなぜ、ここに来て三人もの人に同じことを言われるのだろう。
また、カラカラと引き戸が開いた。馬場くんが目を見開いて立ち尽くしている。今日二度目のヤベェ。
「馬場くん…、どうして?」
「喉が渇いたから、ミネラルウォーターでもと思ったんだ」
そうか、脱衣所の冷蔵庫は、風呂上がりでなくてもいつでも飲み物を取りに来ていいんだ。
馬場くんが、長い脚で大股に近づいてきた。
「英吉さん、離れてもらえませんか?」
顔を上げ、英吉さんが馬場くんに向かって穏やかに微笑む。
「…馬場くんも、同じクチだね。この匂いにやられた」
馬場くんに腕を引っ張られた。自然と英吉さんの腕が解かれた。
怖い。馬場くんの目が怒ってる。その目力で眼鏡が割れそうだ。
「あなたは彼の匂いの正体を知ってるんですね?」
一つうなずき、英吉さんは微笑んだまま答えた。
「知ってるよ。もし晃くんを誰にも触れさせたくなければ、このバイトを辞めさせて、一週間ほどたてばいい」
俺の匂いの原因は、弥勒院家なのか? 何の呪いなんだ。けど、この呪いは弥勒院家を出ることで解かれる。よかった、これから一生危ない目にあうのかと思ったから。
だが、安心できない。このバイトが終わるまで、俺の貞操は守れるのか?!
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