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第18話・六日目・1
六日目、土曜日。朝から土砂降りだ。この辺りは平地だけど少し歩くと山があり、地滑りの危険があるそうだ。大きな山ではないが、崖など危険な個所もあるらしい。
草履だと足元が泥だらけになるため、長靴を貸してもらった。番傘を差して蔵へ。油が塗られた紙に、バラバラと大粒の雨が当たる。
蔵の中はこの大雨にもかかわらず、空気が湿っていない。風通しをよくしてあることと、例のお香のおかげだそうだ。虫除けや本のコーティングのほかに、煙が湿気を吸い取るらしい。
今日は壁際の棚、箱に入った本をいくつか取り出した。箱は埃だらけだけど、中は比較的きれいだ。今までに見た和綴じの本ではなく、蛇腹状に折られている本だ。これの小さいのを、おじいちゃんちの仏壇で見たっけ。確か、お経の本だ。
「何だこれ、おもしれー」
大介が、手つきは丁寧だが、経本を伸び縮みさせて遊ぶ。
「あ、それ、ついやっちゃうよね。昔、おじいちゃんちの仏壇にあって、“アコーディオン”とかって遊んでたら怒られた」
大介の明るい笑い声が、蔵に響く。
「ハッハッハ! こんな形してたら、しょうがないよな」
「二人とも、ぞんざいに扱うんじゃないぞ。お経の本だからな」
馬場くんに注意され、とりあえずアコーディオンはやめておこうと思った。
箱に入ったもの、むき出しのもの、この蔵には経本がたくさんある。
「けどさ、何でこんなに経本がたくさんあるんだろ。いくら古本屋でも多すぎない?」
俺の疑問に、馬場くんが眼鏡のブリッジを指で押し上げて答える。
「理由はわからないが、経営難や災害などで廃寺になって、生活費のために売ったんじゃないかな。もしくは、一般家庭が家で経を読むのに買ったが、何らかの理由で必要なくなって売ったとか」
「必要ないって…もう暗記したから、いらないとか?」
「というより経本の持ち主が死んで、経を読まない子や孫が売る、といったところだろう」
状態がいいものから、古びてボロボロのものまであった。これは宗教の分類にひとまとめで全部入ると思ったが、馬場くんが“一応、宗派別にわけよう”と、紙に○○宗などと書いて仕切りをして分けた。
…凄いな、そんなことまで知ってるんだ。
昼休みに本降りになった雨は、午後の作業が始まるころには、小降りになってくれた。
この六日間で、書架はだいぶ片付いている。
お経がたくさん収められていた場所に、漆塗りの箱が置いてあった。中はやっぱり本だろうか。箱を開けてみて驚いた。
「すっげー! ちっせー!」
そこには手のひらに収まるような本が、いくつも入っていた。ちょうど手のくぼみ辺りにすっぽりおさまるサイズだ。箱の中には小さな箱もあって、それを開けると中からは俺の小指の先ぐらいしかない小さな本がでてきた。これらはいわゆる、豆本ってやつだ。
「馬場ちゃん、これ何のジャンルかわかるー?」
大介が馬場くんに手のひらを向けた。馬場くんが豆本をつまみ上げ、ピンセットでページをめくる。
「…小さ過ぎて読めないな」
あいにく、虫眼鏡は無い。毒島さんに借りるか、あるいは英吉さんの作業場で借りるか。
中を点検してみたが、あまり読まれることはなかったのか状態がいい。
「あ、これ、『三国志』だ。こっちは…『水滸伝』だな」
米澤さんが、三センチくらいの長さの本を読み、内容を教えてくれる。
「ええっ! 米澤さん、わかるの?」
「全部漢字だから意味はわからないけど、登場人物の名前でわかるよ。けど、残念だなあ」
米澤さんが、言葉どおり残念そうに眉を下げた。
「何が残念なの?」
「わかる文字を拾っていくと、多分赤壁の戦いの辺りなんだけど、十五巻までそろってるのに十二巻と十三巻の二つが無いんだ」
そうなんだ。戦争か火事でダメになったんだろうか。もしそうなら、何で全巻じゃなく、途中の二冊だけが無いんだろう。小さい本だから、ただ単になくしただけか、どこか隅っこにでも落ちたのかな。
全十五巻のうちの十二と十三なら、わりとクライマックスに向けて盛り上がるところじゃないか。起承転結でいうと、『転』に当たるところだろう。
「漢文でなければ読みたいけど…それでも一番いいシーンが無いのは残念だな」
米澤さんは何度も小さなページをピンセットでめくる。
同じようなシリーズの本がいくつもあって、『水滸伝』に『西遊記』まである。どれも長い話だから、途中を抜粋したものだろうと、米澤さんは言った。
日本のものは馬場くんに読んでもらったけど、『源氏物語』や『忠臣蔵』などがあった。
「『忠臣蔵』って聞いたことがあるぞ! 確か、階段から落ちるやつ」
と、自信満々に言う大介に、
「それは『新選組』の池田屋襲撃だ。たまに間違える人がいる」
と、馬場くんのツッコミ。
今みたいに縮小コピーをしたわけじゃなく、手書きでしかも筆を使っているから驚きだ。豆本書いた人は凄いな。
一週間の作業が終わった。明日は休みで、毒島さんに頼んで池の調査および掃除をさせてもらうことになった。
夕食は天ぷらとざるそば。天ぷらはエビにキスになすび、野菜のかき揚げ。どれもカラッと揚がってておいしい。明日から毎週日曜日は源さんに料理を教えてもらうようにお願いしてあるから、早速揚げ物のコツなんかを教えてもらおう。
大介がそばを勢いよくすすり、ご機嫌で話す。
「オレさー、ここの生活慣れてきたし楽しいし、ストーカーから逃げられて嬉しいけど、やっぱ都会が懐かしいんだよね。プールバーやクラブやダーツバーで遊んだり」
俺もここの生活はわりと好きだけど、都会は懐かしい。大介の気持ちがわかる。
「僕も…家にはあんまり帰りたくない気はするけど、ネットやゲームができないのはつらいな」
と、米澤さんがぽつりと言う。
恐る恐る、俺は聞いてみた。
「あの…、家に帰りたくない…って、何かあったの?」
米澤さんが向かい側の俺をチラリと見た。
「あっ、ごめん! 話したくなければ、別にいいよ」
寂しそうな笑みを見せ、米澤さんが答えてくれた。
「いや、別に隠してるわけじゃないからさ。実は引きこもってから、両親とはほとんど口きいてなくて。父親なんか僕の顔を見ては説教ばかりで、うんざりしてたんだ」
確か、米澤さんは初日にお父さんが厳しいとか言ってたっけ。
「ここに申し込んだのも、両親から離れたいからだったんだ。思い切って外に出て、仕事探してみようかなって…。そしたら駅の掲示板で、ここのバイト見つけて…」
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