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第22話・七日目・2

 夫婦石の間の丸いくぼみには、くすんだ銀色の丸い物が入っていた。コインだろうか。  馬場くんがつまみ上げてみた。 「これは…明治時代の、一円銀貨だ」  中央に“一圓”と縦に書かれてあり、裏には“明治三十六年 大日本”とあった。 「なー馬場ちゃん、銀貨っつーことはシルバーっしょ? たかが一円玉にシルバー使うって、採算とれなくね? 造幣局破産しちゃうよ」 「いや、明治時代の一円だから、今とは価値がまったく違う。そういえば子供のころ曾祖母に聞いたんだが、昔は一円あれば映画を見て、そばを食べてコーヒー飲んで、銭湯にも行けたそうだ」  大介が目を丸くする。 「何その超インフレ! 明治時代から今まで何があったんだよ!」  馬場くんは池の縁に腰を下ろし、指先で眼鏡の位置をなおした。 「そう、まさにインフレだな。戦争で物が無くなる、物の価値が上がる。戦後、輸出入が盛んになり、交通の手段が増える。新たな職業やサービスの種類が増え、賃金も上がって豊かになる。一方でオートメーション化で物があふれ、技術の向上で機械製品などの価格が下がる。関税も下がり、日本経済の発展とともに外貨の価値も代わり、輸入品が安くなる。好景気とともにインフレが起こった――まあ、そういったところだな」  馬場教授の話を聞いていたいけど、俺は源さんの手伝いをしなくてはならない。次の謎解きは二人に任せて、俺は台所に向かった。  午前十時、源さんは台所でお米を洗っていた。 「お疲れ様です、源さん。お手伝いしますね」  作務衣の袖をまくろうとしたら、源さんがしているのと同じようなたすきを貸してくれた。締め方がわからなくて、源さんに締めてもらった。  おお、何となく和食専門の板さんみたいだぞ。俺が学んだのは洋食なんだが。  今日の昼食は炊き込みご飯に里芋のコロッケ、揚げなすのお浸しとお吸い物だ。 さっそく、お吸い物の出汁の用意をする。昆布に花鰹に椎茸。椎茸は夜に、冷やし中華の具として使う。“米澤さんの分は、椎茸を入れないようにしないと”と、源さんは寂しそうにつぶやいた。  コロッケのパン粉が、どうしても油の中に散ってしまうため、先になすびを素揚げする。 コロッケは源さんといっしょに作った。茹でて潰した里芋を丸め、衣をつけながら、源さんはポツリと言った。 「先日は、本当にすいやせん。あっし、どうかしてました」 「いいえ、気にしないでください。それより…、源さんも言ってたし馬場くんや大介、それに英吉さんも言ってたけど、俺が何で皆にとっていい匂いなのか…それがわからなくて」  英吉さんに聞いてもはぐらかされる。馬場くんや大介はただ、いい匂いだと言って俺に接近する。理由がよくわからない。 「源さんは何か知っていますか? 英吉さんが言うには、俺がここから離れれば、匂いは自然と消えるらしいんですが」 「…あっしは十数年、ここにいますが…そういった匂いは初めてでして。旦那様の修復師というお仕事柄、依頼する方や博物館、美術館関連の方、画商の方などもお越しになりやすが、そんな匂いの方はお一人もいらっしゃいやせんでした」  この匂いの謎は何だろう。まあ、作業が終わって家に帰れば、もう無かったことになるんだし。それまで、英吉さんや馬場くんや大介と二人きりにならなければ大丈夫かな。源さんはありがたいことに、自分を抑えてくれるし。  小さめの里芋コロッケを、二十一個。一人三個の計算だ。弥勒院さんは咀嚼ができないから、茹でて潰した里芋に、出汁や醤油などで味付けをしたものを出す。つまり、米澤さんの分まで入っている。揚げなすも、小ぶりのなすだから一人一本の計算で、七本揚げている。 「米澤さんの分は作って置いときやすんで、戻られましたら教えてください」  源さんはそう言ってくれてるけど、米澤さんはいつ戻るんだろうか。あれだけやる気を出していたのに、急に何も言わず消える。おまけに、携帯やパソコンもそのままだ。行方不明…と言ってもいいのだろうか。  料理が出来上がり、十二時になった。『古銭の間』に料理を運ぶ。馬場くんと大介がすでに座っていて、米澤さんはいない。 「うっわ~おいしそう! アキラちゃんが作ったのはどれ?」 「全部源さんを手伝いながら作ったから、どれかわかんないよ。コロッケだって、源さんと二人で丸めたし」  お皿を並べ、“いただきます”と手を合わせてから皆で食べた。 「うっまー! ここに来てから、めったに食えねーもんばかりだからさ、すっげー楽しい!」  コンビニ弁当やカップ麺が主だった大介は、なすのお浸しが珍しいそうだ。  だが、その大介は空元気だったようで、急にしょんぼりした顔になる。 「…米っち…ここにいたら、孤独じゃない飯が食えたのにさ」  今ごろ米澤さんはどうしているだろう。まさか家じゃないよな、お父さんに叱られるのがオチだから。 「米澤さん…、本当に帰ったのかな」  俺の疑問に馬場くんの箸が止まる。 「いや…、米澤さんは家に帰りづらそうにしてたし、友達もいないと言っていた。しばらく仕事もせず、ここでの給料だってまだもらっていないから、ネットカフェなどにも行けないだろう」  コロッケを食べ、馬場くんが続ける。 「行き先として考えられるのは生活をしていける手段のある実家だが、ここを黙って飛び出すほど、米澤さんにとっては居心地のいい場所ではないはずだ。さらに、あれだけゲームをしたがっていた米澤さんが、パソコンを置いて帰るとは考えられない」  俺も思う。家にいてお父さんに叱られ、また部屋にこもって孤独な生活をするなら、ここにいた方がマシじゃないか…。となると、いなくなったのは米澤さんの意思ではない、ということ…?

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