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第30話・十一日目・1
俺たちがいつも食事をする部屋『古銭の間』。今では俺と馬場くんのたった二人だけが、この大きな食卓で向かい合って食事をする。
だが今朝は、馬場くんが来ない。向かい側の味噌汁が冷めてしまいそうだ。
…まさか、馬場くんまで!
俺は廊下を出て、馬場くんの部屋に走った。
「馬場くん、いる? 開けるよ」
ふすまを開けると、もぬけのカラだった。馬場くん…どこへ行ったんだ? 馬場くんに限って、黙っていなくなることはない。つまり、馬場くんは拉致された?!
すると米澤さんや大介も、やはり誘拐されたんだ!
大変だ、毒島さんに知らせないと――と廊下でオロオロしていると、作務衣姿の馬場くんが向こうから現れた。
「晃、おはよう」
俺はその場にへたりこんだ。
「もーっ! 馬場くんまでいなくなるから、心配したじゃんか」
馬場くんもしゃがんで、俺の頭を撫でた。
「悪かったな、心配かけて。源さんの所に行ってた」
そう言って、手に持ってたビニール袋と紙箱を俺に見せた。箱の蓋には、よく見る調味料メーカーのロゴが書かれている。お中元などのギフトセットの箱だろう。
「何、それ…小麦粉?」
透明のビニール袋には白い粉。馬場くんはうなずいた。
「謎解きをしようと思って」
午前九時から、いつもどおり作業に入った。米澤さん、大介、二人とも無事だろうか。そんなことばかり頭をよぎる。
「晃、悪いけど少しの間、検品をしててくれないか」
「うん、いいよ」
馬場くんは紙箱の裏に鉛筆で穴を開ける。鉛筆をぐりぐり回し、穴を広げる。何か所にも穴を開け、底面の半分近くが穴になった。
脚立にのぼり、壁際の本棚――般若心経や宗教関連の本がたくさんあった所――の一番上の棚で、何やらゴソゴソしている。
「謎解きって、何だよ」
「教えの元に いざひらけ、を」
“おしえのもとに
いざひらけ
はいざんのこう
てつにひく
ふたつのやまを
いざひらけ”
「おしえのもとに、の辺りがわかったの?」
「十円札の下から現れた紙の“摩訶”あれは仏語、つまり仏教を表している。いざひらけ、は“啓く”、つまり伝えるということ」
馬場くんは淡々と語る。般若心経で行き詰まってたけど、何かきっかけがあったのか、謎解きは急展開したようだ。
「途中の、廃山の鋼鉄はわからない。最後の二つの山なんだが、仏教はたくさんの宗派に分かれている。それらを分類したとき、二つに分けるといえば最澄の天台宗と、空海の真言宗だ」
すげえ…。馬場くんは古書どころか、仏教にも詳しいんだ。やっぱり、作務衣姿で仏教を語っているところは、お坊さんに見える。
「天台宗の総本山は滋賀県の比叡山、真言宗の総本山は和歌山県の高野山。“啓く”、すなわち“伝える”。その“伝える”を“伝う”と解釈すると、この二つの山を結ぶことになる。そうすると、奈良県を通るんだ。奈良といえば日本の仏教の始点、さらにはシルクロードの終着点だ」
謎の作業を終えた馬場くんが、脚立を下りた。
「シルクロードに関する書籍に、鉄製品の交易があるかもしれない。そこに最後のヒントがあるだろう。この棚の上の物が、全て語ってくれるかもしれない」
大きな本棚を見上げて不敵な笑みを浮かべ、馬場くんは眼鏡のブリッジを指先で押し上げた。
夕方、英吉さんの作業場に、修復が必要な本を持って行った。
「今日もご苦労様。二人になっちゃってから大変だね」
「ええ、まあ…」
英吉さんも米澤さんと大介が心配なのか、大きなため息をついた。また少し、顔色が悪くなったようかな?
馬場くんが英吉さんの前に立つ。
「英吉さん、暗号が少し解けましたよ」
栄吉さんは“本当かい?”と目を丸くする。
自信たっぷりにうなずき、馬場くんは俺にした話を始めた。
「実は十円札の下にあった“摩訶”は、般若心経ではなくて仏教全体を表すのです」
たくさん宗派のある仏教は、大きく分けて三つ。その中で、二つに枝分かれするもの――天台宗と真言宗。その二つの総本山である、滋賀県の比叡山と和歌山県の高野山を“伝う”と、奈良県を通る。奈良はシルクロードの終着点。そこに、鉄製品の交易などがあれば、最後のヒントになるだろう。
「シルクロードの本…確か、先週持ってきてくれたよね?」
「そっちじゃありません。別の本が、般若心経のあった壁際の本棚にありました。今はほかのものと混じらないよう、一番上の棚に箱に入れて置いてきました。中をご覧になるなら、明日お持ちします」
英吉さんが人懐っこい笑顔でうなずく。
「そうかい、楽しみにしてるよ」
馬場くんは英吉さんに一礼すると、俺の肩に腕を回して強引に出口に向かう。
「な、何すんだよ」
「さあ、汗だくだから急いで風呂に入るぞ。食事の時間に間に合わせないと、食事が冷める」
「ってか、馬場くんと二人っきりで風呂は嫌だ!」
二人っきりで風呂なんて、何されるかわからない。俺は戸口につかまって必死に抵抗した。
「じゃあ、晃が先に入れ。どっちにしたって急がないとな」
見かけによらずな馬場くんの怪力に引っ張られ、母屋への渡り廊下を引きずられた。
だが、馬場くんは風呂には向かわず、玄関を出て蔵まで引き返した。庭の茂みの陰まで引っ張られ、頭を押さえられて、俺はその場にしゃがむ形になった。
「何してんだ、風呂じゃないの?」
「全てはこれでハッキリする」
“はあ?”と言おうとした口を、馬場くんの手のひらで覆われた。
果たして、こんな所に隠れて暗号なんて解けるのか?
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