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第36話・十三日目・2

 なぜ『三國志』の十二巻と十三巻だけが、別に収められていたのだろう。全十五巻の中でわざわざこの二つをチョイスしたのは、何か理由があるんだろうか。  馬場くんが立ち上がり、一つの棚に向かった。 「この赤壁の戦いを書いたほかの豆本と、見比べてみる」  漆塗りの箱は、棚に置いたままだ。その箱を開けると、あとの豆本が残っている。中を読もうにも難しい。漢文が得意な馬場くんと、『三國志』に詳しい米澤さんに検分してもらう。 「おそらく、クライマックス辺りだろうな。曹操軍が呉と蜀の連合軍に負けるところ…だと思うが、俺はこの話に詳しくない。米澤さん、どうだろう?」  眼鏡のブリッジを指先で押し上げる馬場くんの隣で、米澤さんが“多分そうだよ”とうなずく。 「所葛亮孔明の策に敗れて、曹操が引き上げるところだな」  なぜ、この二冊なのだろうか。小さな豆本を前に馬場くんも米澤さんも、うなったまま暗号の答えが出ない。  それにしても、気になることがあるんだけど…。二人に聞いてみた。 「“廃山の鋼鉄に引く”って、その中にある?」  米澤さんはお手上げ気味なのか、眉が下がっている。 「場所は山じゃなくて川だし、鋼鉄に引くって言っても…孔明の策にやられて魏軍が引く、なら…」  米澤さんが言葉を切る。そのまま、動かなくなった。 「米澤さん…?」  お手上げでも白旗を揚げているのでもない。 「もしかして…、僕たちは勝手に漢字を当てはめて、勘違いをしてた…?」  それは、勝ち鬨の声だった。 「“哲に引く”だよ! 鉄鋼石の鉄じゃなく、哲学の哲、孔明の知恵に曹操が引いた」 「あ」  と、馬場くんが顔を上げる。 「どうりで…。じゃあ、“はいざんのこうてつ”じゃなくて、本当に“はいざんのこう てつにひく”で合ってたのか」  先代の和歌(?)が下手なんじゃなくて、暗号どおりの文字の切り方でよかった、ということだ。  少し家宝に近づけた。俺は身を乗り出し、米澤さんに尋ねた。 「じゃ、“はいざんのこう”って何?」  米澤さんが天井を向いて考える。 「うーん…。曹操を指しているとしたら、“はいざん”は敗れるって字と残るって字の“敗残”だな。こう――は…」  横から馬場くんがつけ加える。 「皇帝の“こう”」 「そいつをまとめると」  大介も身を乗り出す。 「敗残の皇、哲に引く。で、戦でナントカって人の策略に敗れた皇帝が、軍を引くってことだよなっ」  暗号と隠されていた豆本が、両方とも赤壁の戦いで敗れた曹操軍を表していた。  馬場くんがまた、眼鏡のブリッジを指先で押し上げる。 「まったく、先代は意地が悪いな。わざわざ平仮名で書いたのは、こういう間違いをさせるためか」  最初の“さかづき”だって、なかなかわからなかった。せめて漢字で書いてくれればいいものを。  だけど、もう少しで暗号が解けそうだ。  二つの山をいざ開け。  赤壁の戦い、山。これがキーになる。 「山…どういう意味だろう」  米澤さんが言ってたけど、赤壁の戦いに山は出てこない。  ここは『三國志』に強そうな米澤さんのおうかがいを立てよう。馬場くんも大介も同じなのか、米澤さんをじっと見る。  六つの視線にたじろぎながら、米澤さんは自分の考えを述べた。 「その…赤壁以降の山っていうと、物語には戦の舞台となった山がいくつかあるけど。『落鳳坡』と呼ばれる、天才軍師が亡くなった山とか、“泣いて馬謖を斬る”っていう諺の元になった戦があった山とか」 “そういえばさ”、と大介が立ち上がる。 「豆本のほかに、普通サイズの本で『三國志』があったろ? あれは?」 「ほかにも『三國志』があったんだ?」  米澤さんの目が輝く。そうだ、米澤さんは失踪事件(?)にあって、あの本は読んでいなかったっけ。 「あれは確か黄巾党が出てきたから、かなり序盤だな。赤壁の戦いより、かなり過去だ」  と言ってから、馬場くんは腕組みをして考えこんでしまった。 「そーだアレだよ! もう一つ、蔵には『三國志』があったじゃん!」  と言う大介に続いて、俺も立ち上がる。 「屏風だ! あれは赤壁の戦いを描いたものだ!」  四人で、蔵の隅にあった大きな桐箱を開いた。和紙をそっと外し、屏風を開いてみた。およそ百五十センチの高さで、四面に渡って赤壁の戦いが描かれている。  もしかして、これが最終ヒントだろうか。  ちょうど四面ある。俺たちは並んで、一人一面を食い入るように見つめた。  一番左にいる馬場くんがつぶやく。 「…暗号と豆本がこの絵を指しているとすれば、後は何だろう」  その右は俺。 「まさか、この屏風が歴史がひっくり返るほどのお宝?」  その右は大介。 「多分、売るとしたら高いんだろうな…。あ、でも毒島さんが、値段もつけられないって言ってたじゃん」  一番右は米澤さん。 「絵の中に、家宝のありかを指し示す場所があるとして、どこにあるんだ?」  三人寄れば文殊の知恵とは、よく言ったもんだ。俺たちはプラスワンの四人でここまで解いた。  けど、その四人寄った知恵でも、家宝のありかはさっぱりわからない。  馬場くんが大きなため息をつく。 「…そもそも、この屏風ですら、本当に家宝のありかを教えているのかどうか…」  池の底から銀貨が出た。  額縁から“摩訶”という紙が出た。  般若心経の経本の箱から豆本が出た。  そこまでは正解かもしれないが、これは間違いかもしれない。  二つの山の正体がわからないまま、俺たちはその日の作業を終えた。

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