40 / 47
第40話・十五日目・2
夕食はエビ、イカ、ホタテのフライ。トマトのサラダに、きゅうりとわかめの酢の物。
イカもエビも処理していない新鮮なものを使っている。イカの処理を引き受けた。実習で経験済みだからかなり手際よくできて、源さんが褒めてくれた。
皆の食事とは別に、弥勒院さん用のを作る。エビとホタテはすり身にして、大和芋などを加えてふわふわにした小さな団子を入れたスープ。トマトは皮と種を取って裏ごしして、ほんの少し塩を混ぜる。きゅうりはすりおろして三杯酢を混ぜ、そこへクタクタに煮たわかめを入れる。それにお粥だ。
源さんのおかげで、介護食もマスターできたぞ! これを応用すれば、離乳食も作れる。
「今日もありがとうございやす。助かりやした」
「いえ、こちらこそ。いろいろと勉強になりました。ありがとうございました」
今日で源さんの手伝いは終わる。たった二週間ほどだけだったが、楽しかった。
お辞儀をして顔を上げると、源さんのしょんぼりした顔があった。
「源さん…?」
「…寂しいっすね…。できれば晃さんと、毎日でも料理がしたかった…」
今にも泣きそうに、眉を寄せる。そんな顔をされたら、俺まで泣きそうになる。何だか目頭の辺りが熱い。
「晃さん!」
気がついたら、源さんの腕の中。そうだ、忘れていたけど源さんも俺の匂いにやられた一人だった。
「…すいやせん、もう…こうしていっしょにいられなくなると思うと…つい…」
明日で作業が終わると、明後日にはここを発つ。たった二週間だけど、いろいろな人に出会って、いろいろなことがあって、きっと一生忘れられない思い出になるだろう。
いや、今はそんな感傷にひたっている場合じゃない。
「あ…あの…離してください…」
「すいやせん、もう二度と…こんなことはしやせんから…」
源さんのたくましい腕が震えている。あまり考えたくはないけど、英吉さんみたいにあちこち触りたいとか思ってるに違いない。それを必死に抑えようとしているのが、痛いぐらいにわかる。
「晃さんはここを出たら、もうあっしのことは忘れるかもしれやせんが、あっしはずっと晃さんのこと、忘れやせん!」
そう言って、英吉さん同様に俺の両肩に手を置いてそっと離れた。
「そんな…、俺もここの皆や、もちろん源さんのことは忘れません! また、必ず遊びに来ます!」
「ありがとうございやす」
源さんは頭の鉢巻を外し、それを手拭いとして、端で目頭を抑えた。
誠実で優しくて、ヤクザだったのが信じられない人だ…。
料理だけでなく、人は見かけや過去で判断しちゃいけないっていうのも、ここで学んだことだった。
皆は夕食前に風呂に入ったけど、俺は源さんを手伝っていたから、風呂に入ったのは夕食後だった。
脱衣所に入ると電気が点いていて、誰かが入っている。…英吉さんか源さんだと気まずいなあ…と、恐る恐るガラス戸を開けると、毒島さんが体を洗っていた。
「あ、どうも」
安心して挨拶すると、毒島さんもにっこりと会釈をしてくれた。
髪と体を洗い、湯につかる。ここに来て二週間だけど、毒島さんといっしょにお風呂は初めてだな。
そういえば、どうしても気になることが一つあった。答えてくれるかどうか、わからないけど。
「あの…毒島さん…。一つ聞いていいですか?」
「はい、お答えできることでしたら、何なりと」
と、前置きされたから言いづらくなったけど、思い切って言ってみた。
「英吉さんや源さんを、どうして弥勒院さんに会わせてあげないんですか? お二人とも、弥勒院さんのお世話をしたがっているようなんですけど…」
「ああ、そのことですか」
目を細めて、お湯を見つめる。背中が曲がったその姿は、何となく寂しそうだ。
「旦那様は寝たきりになってから、すっかりやつれ果てて別人みたいにおなりで…。ご覧になったときの衝撃を考えると、二人には気の毒で…。それにね、もう一つあるんですよ」
毒島さんは、そこで言葉を切る。言いにくいことなんだろうか…。
「あ、あの…。弥勒院さんがもう、誰のこともわからないから、でしょうか」
「それよりももっと…、何と申しましょうか…。旦那様の尊厳の問題になりますので」
やはり、言いにくいことなんだ。俺はもう、その質問を打ち切った。けど――
「英吉さんや源さんは、一目だけでも弥勒院さんにお会いしたいと思うんですよ。よそ者が言うのも何ですが、一度だけでも…」
しばらく、静寂が訪れる。天井のしずくが一つ、お湯に落ちた。
「…そうですね。先週診てくださったお医者様からは、“覚悟なさってください”と言われましたからね。それまでに、あの二人にもお世話をお願いしましょうか」
よかった――これであの二人の願いが叶う。もう心残りなことはない。明日、蔵の作業を全て終わらせて、英吉さんの作業も終われば――いや、そこからがスタートだ。弥勒院家が、博物館として生まれ変わるための。俺もここまで関わったから、ほかにも手伝えることがあれば、やってみたい!
ともだちにシェアしよう!