42 / 47
第42話・十七日目・1
とうとう、ここを立つ日が来た。俺たちは『古銭の間』で、最後の朝食を取る。もう作務衣姿ではなく、ここへ来た日に着ていた服だ。
朝食の後、英吉さんが俺たちを呼びに来た。連れて来られたのは、離れの作業場。照明は暗めに調整されている。大きな作業台には、何枚もの黄ばんだ紙。墨で少し崩した文字が縦に書かれている。
「これが、屏風の中から出てきたものなんだ。毒島さんと資料を照らし合わせたけど、初代の弥勒院兼光の自筆で間違いない」
ざっと千二百年前に書かれたものが、目の前に並んでいる。気が遠くなるほどの長い間、子孫たちが場所を変え守り継がれてきたものだ。照明が暗いのは、紙が傷まないようにらしい。
「内容は、弥勒院兼光の懺悔だったんだ。どんな内容か、簡単に説明するね」
懺悔? いったい、どんな悪いことをしたんだろう。まさか、犯罪じゃないよな…。俺たちは固唾を飲んで見守る。
「弥勒院兼光は、朝廷で記録係のほかに、本を書き写したり書類を巻物にしたりといった、書に関する仕事をしていたんだ」
字がたいそう美しく、書くスピードも速かったそうだ。目の前の紙を見ても、美しいかどうかわからないが。
「兼光は書を保管するために、独自のお香を発明した。虫除けになる上に、煙が紙をコーティングして守る効果のあるものなんだ」
蔵で使われていたお香だ。独特の匂いがするやつだ。
「兼光は、そのお香を帝に献上しようとしたんだ。けれど、そのお香には欠点があってね。ちょうど、後宮に仕えていた小野小町とすれ違って」
すげえ! 小野小町といえば百人一首で有名な――それ以上に、世界三大美女として有名な人じゃんか!
「あなた様から、素敵な香りがします。その香りが私を惹きつけてしまいます。どうか、私をあなたのものにしてください、と兼光に迫ったそうだ」
ひえー! 世界三大美女の一人に迫られるなんて、兼光さんってかなりのイケメン…いや、香りって言ってたよな。それって…
俺といっしょじゃん!
馬場くんと米澤さんと大介が、一斉に俺を見た。英吉さんも、俺を見てにっこり笑う。
「そう、君のその匂いだよ」
初代弥勒院兼光は、俺と同じ匂いだったのかー! じゃあ、俺がもし平安時代に生まれていたら、小野小町に迫られたのかー!
「妻も子供もあった兼光は、不貞を働くわけにはいかないと、一目散に逃げた。そして、お香を匂いが漏れないよう包んで、薬師 のもとに“調べてほしい”と頼んだんだ」
薬師は成分を調べた。結果、ある特定の体臭と混じると、嗅いだ人に媚薬のような効果があるとわかったそうだ。兼光の体臭とお香の匂いが混じり、ほかの人に媚薬効果を与えていたようだ。
「兼光は、そのお香を封じた。幸い、妻や子供には効き目は無いようだった。兼光は息子に、将来書物の仕事に就くときにこのお香を使うといい、と託した。ところがある日――」
兼光はそのお香で保管していた書物を持って朝廷に行った。するとまた――
「小野小町に会っちゃってね」
英吉さんが困ったふうに笑う。
小町のアプローチはさらに強くなり、世の男どもを虜にするその美貌にとうとう――
「たった一度でいい、と泣きながら小町に懇願され、誘惑に負けた兼光は閨をともにした」
その様子がこれ、と英吉さんが指を指す。…読んでも崩された草書体は読みにくい。だが、馬場くんは読めるようだ。何度も眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、食い入るように見ている。
…って、閨をともにしたときの状況なんだよな。馬場くんはムッツリスケベだったのか…。
眼鏡の奥で、めっちゃ目を見開いている。何かビックリするようなことが書いてあるのかな?
英吉さんが、内容を説明する。
「小町の着物をはだけたら、胸が無い」
…貧乳だったのか…。
「着物の裾をはだけて股間を触ったら――なんと、男だった」
「おとこぉー!」
米澤さんや大介とともに、一斉にハモってしまった。だって、絶世の美女が男だったなんて、誰だって驚くだろ。小野小町はおそらく日本で初の男の娘、ドラッグクイーンなんだ。
これは日本中が震撼するぞ。
「小町が男と知って驚いた兼光だが、そこはそれ、男の生理ってものには抗えない。そのまま行為に移るんだが、男同士でどうやってすればいいのかわからない兼光に、小町は実に親切丁寧に指導したとか」
…兼光さん…、中止して帰らなかったのか…。それだけ小町がテクニシャンなのか。
「翌朝、兼光は酷く後悔した。妻を裏切ったんだからね。それ以降、兼光は息子の教育に全力をそそいだ」
息子は教養を身につけた。そして、朝廷に紹介状を書き、兼光と同じ仕事をさせてもらえるように頼んだ。
「そして晩年、兼光は出家した。仏に、救いを求めたかったんだろう」
お坊さんになる前、兼光は妻と子供にお香の作り方を教え、子々孫々以外、弥勒院家の者以外には教えないようにと言い残した。
「そして、今は無いけど久楽寺 という寺で余生を過ごし、この手記を遺したんだ。兼光亡き後は、妻も亡くなっていたから、手記は息子に返還された」
息子さん…びっくりしただろうな。いわば半分、弥勒院家の恥みたいなもんじゃないか。
ともだちにシェアしよう!