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第43話・十七日目・2
「お香のレシピは代々受け継がれ、弥勒院家の跡取りとその一番弟子以外は知らされない。だから、お香の秘密を知っているのは、現在では弥勒院先生と僕しかいないんだ」
そのお香は長い年月の間、弥勒院の子孫と一番弟子により研究されてきた。媚薬効果が出るのは千人に一人の確率なんだそうだ。だから英吉さんは俺のことを、“千人に一人といわれてる”と言ったんだ。
「長い歴史の間、この効果が出たのは弥勒院家でも四人しかいなかったんだ。だが、万が一これが出回って悪用されると大変だからと、レシピは門外不出になった」
悪用――俺みたいに効果のある人が、男女構わずたぶらかして結婚詐欺とか、何でもできそうだからな。
しかし、悪用以前に何人もの人に迫られるのはごめんだ!
「さらにその後の研究で、誰もが惹きつけられるわけじゃなくて、モラル上セーブがきく血縁関係の者とか、性欲が減退した高齢の人、性体験の無い子供とかは、惹きつけられることが無いとわかったんだ。小野小町は積極的にアプローチしてきたけど、慎み深い昔の日本人だからね、兼光の周囲の者は相当我慢をしていたんだろう」
つまり毒島さんは、高齢だから俺に迫らなかったわけで。米澤さんの場合は――
大介が米澤さんの肩をポンポンと叩く。
「いつか経験するさ。もしくは三十まできれいな体を貫いて、魔法使いになれ」
「何だよ大介、その慰め方は」
大介ってば、言わなくていいじゃん…。
しかし、馬場くんはああ見えて経験があるんだ。意外だった…。いつなんだろう。相手はどんな人だろう。
…って、何で俺はこんなに馬場くんのことを気にするんだ?!
「弥勒院が手記を残したのは、自分への戒めや懺悔のためもあるし、自分の子孫が同じ過ちをおかさないようにとの伝言のためなんだと、僕は思うよ」
兼光さんは恥を子孫に暴露することで、家族を裏切る真似をしないよう言い聞かせたんだな。やはり大物だ。
「お香の効果だけど、永久的に続くもんじゃない。一日お香の匂いがつけば、一日お香から離れていれば消える。二日つけば二日離れる、一週間つけば一週間離れると、お香の匂いは消えるんだ」
なるほど。じゃあ、この謎のモテ期は二週間もたてば治るんだな。それにしても…。
「あの…、英吉さん」
「何だい、晃くん?」
「このバイトを募集するときに、俺みたいに効果が出る人がいるって、毒島さんは考えなかったんでしょうか?」
英吉さんが椅子に座り、困ったように眉を下げて苦笑する。
「毒島さんは、蔵で使っているお香は弥勒院特製のもので、さる理由から門外不出だってことは知ってるけど、媚薬効果のことまでは知らなかったからね」
いくら毒島さんにでも、英吉さんは弥勒院さんの弟子として、お香の秘密を言えなかったんだ。
「僕もまさか、千人に一人の“逸材”が現れるとは思わなかったからね」
逸材なのかどうか…。
そりゃそうだ、千二百年続く家系の中で、お香の効果が出たのはたった四人。俺みたいに弥勒院家と関係のない者でも、数人は効果が出た人はいただろうけど、それでも凄い確率の低さだ。
「そして――兼光の手記のほかに、先生から僕への手紙も入っていたんだ」
兼光の手記の黄ばみ具合と比べてはるかに白い紙が一枚、いっしょに並べられていた。その手紙の内容はこうだった。
“この手紙を英吉が読んでいるということは、宝を見つけたのだな。難しい作業をよく頑張った。お前の腕はもう、一流だ。自信を持て。
わしは長い間、この屏風を剥がすか剥がすまいか悩んだ。失敗したらと思うと怖かった。だが、諦めずにやり遂げた。迷いをなくすこと、それが一番大事なことだ”
弥勒院さんは、宝を出さなかったのではなく、すでに出していた。屏風を丁寧に剥がし、中の手記を見てからもう一度、先代がしたのと同じように手記を敷き詰め、英吉さんへの手紙も収めたんだ。
弟子の英吉さんが、絵を傷つけることなく中身を取り出し、元通りに修復できるか、その腕を試すために。
弥勒院さん、やっぱりあなたの弟子は素晴らしい人でしたよ――
いよいよ、弥勒院家を出るときが来た。 報酬をもらい、毒島さん、英吉さん、源さんに挨拶をして、門の外まで見送られる。
「お世話になりました!」
「どうか皆様、お気をつけて」
俺たちが見えなくなるまで、三人は深々と頭を下げていた。
さようなら、弥勒院家の皆さん。とても楽しい思い出になった。
お香のことが無ければ、源さんみたいに賄いをして働いてみたいなぁ、なんて思う青空の下。
俺たちは四十分後に来るバスを、汗だくで待ち続けるのだった。
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