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第44話・二週間後
弥勒院家でのバイトも終わり、二週間後の夏真っ盛りのある日。
毒島さんから電話がかかってきた。弥勒院さんが亡くなり、葬儀があるとのことだった。
俺と馬場くん、米澤さん、大介は、バイトが終わった二日後に遊びに行った。あれから、こんな形で再会するなんて…。
弥勒院さんの告別式は、近くのお寺で行われた。親族はいない。参列しているのは、近所の人ばかりだ。
遺影で初めて弥勒院さんを見た。頭はツルツルだけど、どこか威厳があって。けど、ただの頑固じいちゃんには見えない。だって、見ず知らずの源さんを助けたり、庭の池に映る月や、枯山水に紛れこんだ鈴虫を愛でる人だから、とっても優しい人に違いない。
お焼香を済ませた人たちが、毒島さん、英吉さん、源さんに挨拶をする。三人とも、紋付き袴だ。参列者に事務的に対応しているけど、三人とも目が真っ赤だ。夕べのお通夜で、三人ともどれだけ泣いたんだろう。
出棺のとき、棺の蓋が開けられた。毒島さんは、別人のように痩せ細ったと言ってたけど、ふっくらとした顔で、遺影と全く同じだった。
…そうか、エンバーミングってやつだな。生前の元気なときの顔に復元させてあげるっていう。
もし認知症でなければ、俺たちは弥勒院さんと話ができただろうか。一度も会えずじまいで、初対面がお葬式であることを残念に思いながら、俺は手にした一輪の花を棺に収めた。
お葬式が済み、俺たちは火葬場から毒島さんが戻るまで、弥勒院家で待つようにと言われた。あの『古銭の間』で大きな食卓を、前と同じように座る。
先日、遊びに行ったときとは真逆で、みんな黙りこくってた。
皆も気づいていたんだ。三人とも、泣きはらした後なんだって。
「…英吉さんと源さん…亡くなる前に弥勒院さんに会えたのかな」
俺のつぶやきに、皆が顔を上げる。
「どうだろうな…」
馬場くんが眼鏡のブリッジを指先で上げ、小さく答える。
あの二人は、弥勒院さんに最期のお見舞いができたのだろうか。
しばらくしてから、毒島さんたちが戻ってきた。食事を出すから、ぜひ食べて行ってほしいと言われた。
「皆様、本日はまことにありがとうございました。旦那様のお見送り、いくら感謝の言葉を述べても足りません」
毒島さんの挨拶に、俺たちも床に手をついてお辞儀をした。
食卓には、高野豆腐の煮物やこんにゃくの田楽、里芋やインゲンなどの煮物、麸のお吸い物といった精進料理が並ぶ。英吉さんや源さん、それに毒島さんもいっしょに食卓につく。
食事が済んだ後、仏壇のある部屋に通された。先祖代々の位牌が並ぶ立派な仏壇で、この部屋で毒島さんが弥勒院さんの介護をしていたそうだ。
仏壇にお骨を供える。四十九日の後、告別式をしたお寺の霊園にある弥勒院家の墓に納骨するらしい。
改めて、毒島さんが俺たちに手をついてお辞儀をする。
「英吉や源にも、旦那様の状態をお話した上で、最期に旦那様に会わせてあげました」
よかった…。二人は弥勒院さんに会えたんだ。
「実は…、寝たきりとはいえ、手が動くものですから…弄便がひどかったのです」
便の匂いが出ない薬を飲んでいたものの、ビジュアル的に凄まじかったのだろう。弥勒院さんの威厳を保つため、そんな姿を見せたくなかったそうだ。
「その弄便もなくなり…正確には手も動かない状態になったのですが、それから英吉と源にも世話を頼みました…。ほんの一週間足らずでしたが」
最期の姿を思い出したのか、英吉さんが目頭を押さえる。
「僕はようやく、先生に今までのお礼を言えました。先生の遺志を引き継ぎ、修復師として博物館を守ります、そう伝えました」
「あっしも――」
源さんも、こみ上げるものを堪えられないのか、袂からハンカチを出して目元を押さえた。
「弥勒院さんに助けられたこの命、大切にしやす、と…」
毒島さんが、仏壇を見上げる。
「最期にね、奇跡が起きたんですよ。旦那様がふと、微笑まれたのです」
息を引き取る直前、実に穏やかな笑みを浮かべていたという。
「ただ、頬の筋肉が緩んだだけかもしれませんがね…。枯山水の鈴虫を愛でていらしたときのような、無邪気な笑顔で」
萎縮していく脳の奥底で、弥勒院さんが皆と過ごした日々を思い出して、思わず笑みがもれた――そう、信じていたいそうだ。
こんなにも温かい弥勒院家。これで繋がりを終えるなんてもったいない。そう思ったのは、俺だけではなかった。
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