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第9話
「弱ったな……」
翔との電話でさえ余裕を崩さなかったというのに、急に篠崎の表情が曇る。
「俺、透のことが好きだって言ったよな?そんなこと言われたら期待しちゃうじゃん」
僕も好きだから大丈夫、なんて無責任なことは絶対に言えない。それでも卑怯な僕は、その言葉に嬉しさを感じてしまう。
「篠崎は、どうして僕のことを好きになったの……?」
翔と仲が良かったと聞いていた。100人が僕と翔を比較すれば、100人が翔と付き合いたいと答えるだろう。それなのに僕を好きだという理由は何なんだろう。それは、これからも保証されるものなんだろうか。
「透が、強い子だったからだよ」
初めて人からされた評価に、どういう意味だろうと不思議に思う。
「俺は翔の本性を知ってた。それに縛り付けられてる君の存在も。俺は透を『不幸』だと思ったし、てっきり透も自分のことを『不幸』だと思ってると思ってた」
たしかに、自分を不幸だと思っていた時期はあった。もっと普通の兄弟だったら、と何度も思った。でも自分の環境を恨んでいても仕方がないことは、小さい頃のうちに悟っていた。だって世の中には、もっと『不幸』な人はたくさん居るのだから。
「でも透は綺麗に笑うんだ。仮初めの友情を信じて笑顔でいる透を見て、最初に抱いたのは『救いたい』という感情だった。ごめんね」
その謝罪は何なのだろう。僕を哀れんだことに対してなのか、そう思ってから今までに時間が経ってしまったからなのか。そのどちらでも、この結果があるだけで僕は嬉しいのに。
「そう思って、どう救えるかを考えているうちに、どんどん君の強さに惹かれていった。翔に怯えながらも前を向いて生きる君を、好きになった」
きっとこの人は、本当に僕のことを見ていてくれたんだろう。僕がずっと耐えて耐えて、せめて周りの人の前では笑顔でいようと決めて手に入れた生活。
「篠崎、ありがとう……」
強くいようとしていたことに、気付いてくれていた人がいるなんて。
「感謝より名前で呼んでくれた方が嬉しいかな。わかる?俺の名前」
分からないことはない。でも彼の困ってる顔が見たくて、少しだけ意地悪をしてみる。
「分かんない。顔に似合わず女の子みたいな名前だってのは覚えてるけど」
「惜しいな。奈津だよ、なーつ。はい復唱」
「奈津……?」
「そう。ちゃんと覚えててね」
篠崎……奈津がベッドに座って、ポンポンと布団を叩く。ここへおいで、と言われているのだと受け取った僕は、奈津の隣へと腰を下ろした。
「危機感ないなぁ、もう」
声がした方を向けば、至近距離に彼の顔がある。次いで顎に奈津の手が触れたことに気がついた時には、もう唇が塞がれていた。
「な、つ……?」
キスされている。信じられなくて目を閉じるけれど、感触は消えない。それどころか口内にまで彼の舌が入ってきて、息が乱れる。
「ごめんね……今日はこれで、我慢するから」
切羽詰まった奈津の声が耳に入ってきて、やめろの一言が言えなくなる。
「んっ……んん……」
「はぁっ……かわい……」
やめろの一言が、頭の中から消えていく。
結局言えないままに、彼の一連の行動が終わった。口と口とを繋ぐ透明な糸が切れて、何が起きたかの痕跡もなくなる。
「透、俺はもう遠慮しないから。透に拒まれるまで、俺は自分のしたいようにする」
びっくりしただけで、嫌ではなかった。でもそう伝えるべきなのか、どう伝えればいいのか分からなくて、声が出せずに終わる。
「寝ようか」
そう言って奈津が横になるから、僕もその隣に寝転ぶ。1人用のベッドは窮屈だったけれど、いつもより圧迫感はなかった。
翔に怯える気持ちは、さっきのキスに上書きされていた。
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