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「……そうだな。そうするよ、ありがとう」
フォローをしてくれる椎名への申し訳なさと、自分がいなくても会社は、世間は滞りなくまわるのだという事実が広務の心を小さく傷つける。世の母親は、ワーキングマザー達は、こんな複雑な感情を抱えながら子供のために早退するのだろうか。
課長に早退することを告げ、同僚らに「お大事に」と声をかけられながら部屋を出る。こんなにも肩身の狭い思いを感じるは、入社して以来初めてかもしれない。
自宅から学校まで徒歩五分程度。その五分のために働き盛りの会社員が仕事を半日で切り上げなければならない。部長はこういうことを見越して、広務に椎名をつけたのだろう。
異動したばかりの椎名より、よっぽど自分のほうが半人前なのだと思った。
イジイジと暗い思考を巡らせながら、広務は小学校にたどりつく。保護者変更の手続き等は香子が済ませてくれていたため、瑛太の学校に来るのは初めてだ。
門はしっかりと閉じられており、カメラつきのインターフォンを押す。瑛太の名前とクラスを告げると、校内から教員か事務員だろう女性が出てきて門扉を開けてくれた。昨今では学校に不審者が侵入する事件が起こりうるため、厳重に警戒しているのだろう。
保健室までの道程を教えてもらい、広務は校内を歩いた。全てがちまちまとしていて、ガリバーにでもなった気分だ。廊下の壁に貼られた生徒の絵、図書室の掲示板には新しい本のお知らせがあり、保健室は色紙で作られた動物や花の切り絵や保健のポスターなどが貼られ、広務が想像していたよりも明るくにぎやかな雰囲気になっていた。
「失礼します。葛岡瑛太の父ですが……」
そろりとドアをスライドさせると、室内のソファーに瑛太がちょこんと座っていた。
「父ちゃん」
横にランドセルを置き、すっかり帰り支度を調えた瑛太は絵本を開いて読んでいる。
「吐いたって?」
「うん」
頷く瑛太の顔色は通常通りで、特別気分が悪そうではなかった。
「保健の先生は?」
「他の学年の子がゲロしたって言って、行っちゃった」
「ふうん……」
一日に二人も嘔吐するとは、もしかしたら感染性の病気なのだろうか。
うつると嫌だな──、広務は無意識にそう思った。しかしそう感じた自分に、すぐに嫌悪感を抱く。瞬間、ほんの一瞬だが、瑛太から病気をうつされたら困ると思ってしまったのだ。
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