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「どうもありがとう。気持ちだけでじゅうぶんだから」
「いいえ、だめです」
丁重にお断りしようとした広務へ、椎名はさらにぐっとスマホを近づけてくる。
なぜそこまでお節介を押しつけてくるのだろう。最近の若者の距離感は、もっとつかず離れず、空気を読みまくるのが常識だろう。広務はムッと眉をしかめた。
「だめですよ。そんなしかめっ面してちゃ」
ツン、と椎名の人差し指が、広務の眉間をつついた。
「はあ!?」
──俺はお前の彼女かなにかか!?
仮にも会社の先輩に、臆面もなく少女漫画の王子さまのような態度を取れるとは。椎名という男は天然なのか、もしかして、
──なんか俺のこと、馬鹿にしてる?
広務の眉間の皺は一層深く刻まれた。
「知ってます?皺って、同じ所に何度もよるから皺になるんですよ。このままじゃ葛岡さん、五年後には眉間にくっきり皺が刻み込まれちゃいますよ」
「だったら!それ!お前のせいだから!」
ついに広務は素で声を荒げた。今まで被り続けていた、「当たり障りのない先輩」という仮面がぽろっと剥がれ落ちる。
キッときつく睨みつけると、椎名はデレッと目尻を下げた。もしかしてドMの性癖でもあるのだろうか──。
「うれしいです」
「は!?何が……」
「葛岡さんの本音を見せてもらえてうれしいです。会社の外でまで頑張らなくていいんじゃないですか」
広務はぽかんと口を開けた。確かにプライベートでまで体裁を取り繕うことはないと思うが、だったら社外にまでお前がからんでくるんじゃねえし、とツッコみたい。
「俺、葛岡さんが心配なんです」
「……いや、お前に心配されることなんてないし……」
勝手に謎展開な発言を繰り返す椎名に、広務はよそ行きの態度を取るのをやめた。回りくどく遠慮しても、こういうタイプには通じないと察知したのだ。
「葛岡さん、最近あきらかに疲れてるじゃないですか」
「疲れてないし……」
強がってみせたものの、実は椎名の言う通りだった。瑛太との新生活は広務の生活リズムを見事に崩壊させ、三十路間近の体はそれに順応するのに疲労していた。
「最近ちゃんと遊んでますか?」
「え?」
「自分の時間。息抜きの時間ないと、苦しくなっちゃいますよ」
ぐうっと喉の奥がひしゃげた感覚に襲われた。お前に何がわかるんだ、というむかつきと、広務が今感じている大変さを理解してくれているという安堵。
瑛太のことは好きだ。好きだけど──、広務の全てを投げて、自分を全て後回しにしてまでつくすとことが苦しい。
母親達は自分の子供が世界で一番大切で、自分を犠牲にしてまでも愛せるというけれど、広務にはどうしてもそれができないのが苦しかった。親になりきれていない自分がつらかったのだ。
「全部ひとりで頑張っちゃだめなんですよ。父親の役も母親の役も、全部ひとりで熟そうとするから潰れちゃうんです」
何もかも見通すような椎名の笑みに、うっかり広務の目頭が熱くなる。自分はこんなにもすぐ泣く人間ではなかったのに。広務は奥歯を噛みしめ、涙がこぼれそうになるのを堪えた。
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