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「いつも息子がお世話になって──」
明らかな動揺を見せる皐月の父親に向け頭を下げていると、皐月の家族がぞろぞろとやって来た。皐月の母、祖父母、そして皐月の叔父とその友人だ。
「あれ?瑛太くんのパパ」
「あっ、その節は」
瑛太の髪の毛をカットしてくれた美容師の河野だ。皐月の叔父とは本当に仲が良いらしく、一緒に運動会を見に来たそうだ。
一気に隣のシートは賑やかになった。それに比べ、瑛太のシートは広務と椎名のみ。椎名が残ってくれなければ、瑛太は広務と二人きりの昼食だった。
もちろん親子二人で休憩を取っている生徒もちらほらといる。このご時世、土日祝日だって通常営業の企業は数多とあるのだ。
しかし母親が応援に来ていないという生徒は、見渡す限りいなかった。皆、母親お手製の大きなランチボックスを開いている。
「とーちゃん、食わないの?」
「あ、うん!食べるよ」
最近、いつもこうだ。他の家族と比べ、卑下してしまっている自分がいる。瑛太に対し申し訳ないと思っている。
あの時はそれが一番正しい選択だと思ったのに、離婚という決断はエゴイズムだったのではないか。自分だけが我慢して、香子と瑛太を守って生きていれば。それが父親としての正しい選択だったのではないか──。
いつの間にか隣のシートとの境界線はなくなっていて、瑛太と皐月は向きあわせで弁当を食べている。お互いの弁当のおかずを交換し、ああだこうだと喋っている。
その弁当のおかずひとつ取っても、広務は劣等感を感じてしまう。
昨日仕事帰りに瑛太と待ち合わせをしてスーパーマーケットによった。お弁当といえば唐揚げだろうと思い向かった肉売り場で、鶏もも肉はもう全て駆逐され尽くしていた。夜の七時といえど、このスーパーはいつも仕事帰りの主婦や学生らしき若者で賑わっていて、商品が欠品していることはまずない。
なのに鶏もも肉がない。
さすが運動会前日だ、と広務は肩を落とした。お弁当のど定番である唐揚げ用の肉は、もっと早い時間に買い物に来られる主婦達によって買われてしまっていたのだ。
スーパーマーケットに向かう前に立ち寄った肉屋でも鶏もも肉は売り切れており、広務は呆然とした。たかが小学校の運動会如きのイベントで、この街の肉売り場から鶏もも肉が消え去ってしまうなんて。
仕方なく学区外のスーパーマーケットへ向かうと決めた広務だったが、瑛太が「冷凍の唐揚げでもいいよ」なんてけなげなことを言うものだから、ついついその言葉に甘えた。まさか友達とお弁当の中身を見せ合うなんて露ほども思わなかった。
「あるあるですよ」
「え?」
「鶏肉、売り切れちゃってたんでしょ」
椎名が冷凍の唐揚げをプラスチックのフォークでぶっさし、広務の目の前に上げた。
「なぜわかった?」
「うちの母親も同じでしたから。パートの帰りが遅くなって鶏肉が売り切れちゃってたことなんて何度もあったな。代わりに冷凍の唐揚げとか、揚げ物繋がりでトンカツとか入ってたこと思い出しました」
なんだよ、と思う。なんで椎名にはこんなに全てが見通されているのだろう。それでもって、なんでいつも慰められているのだろう。
そして広務の心はちょっとずつ椎名に向かって広がっていく。悔しいけど、弱っている時に優しくされると絆されてしまうのだ。好きになってしまいそうになる。
でも──、と広務は隣に座る瑛太を見た。
広務のセクシャリティが瑛太にバレたらどうする?瑛太の友達や、瑛太に優しくしてくれている人達に露見してしまったら?
今日瑛太の家族は広務だけだ。それでも皐月や、皐月の家族が瑛太の周りにいてくれて、瑛太はちっとも寂しそうじゃない。
楽しそうに笑う瑛太を見て、広務は自分自身を否定せずにはいられない。広務が幸せになるということは、つまり、瑛太を不幸にするのかもしれないのだ。
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