59 / 93

5/7

「もしもし!葛岡です!」 「あ、もしもし?小川ですけど、こんばんは~」  勢い勇んで出た広務とは真逆に、皐月の母はマイペースだ。しかし皐月宅から電話がかかってきたということは、瑛太と共に「衝突」したという生徒は皐月だろうと確信した。 「あのっ、うちの瑛太」 「来てますよ。私、さっき仕事から帰ってきたばかりで、ご連絡が遅くなってごめんなさいね~」 「いえ……」  ほうっ、と心からの安堵がため息となった。瑛太が家を飛び出したことには違いないが、一人寂しく夜の街を彷徨うのと仲良しの皐月の家に身を寄せているのとでは、広務の安心感が天と地ほど違う。 「あの、瑛太は何て言ってますか?なんで暴力を振るったのか全然教えてくれなくて……。このままあの子がグレてしまったら……」  ついめそめそと弱音が漏れた。誰かにこの不安を聞いて欲しくて仕方がなかった。 「グレる!?瑛太くんが?え~……?……フフっ」  皐月の母は吹き出すように小さく笑った。しかし広務からすればちっとも笑いごとなんかじゃない。 「だって人を殴ったんですよ?少年漫画じゃあるまいに、そんな簡単に人を殴るだなんて……」  皐月の母は考え込んでいるのか、少しの間の後言葉を発した。 「簡単じゃないかもしれませんね」 「え?」 「あの子達にとって余程のことがあったのだろうと、私は思ってます」 「余程のことって……?」 「我慢できないくらい余程のことです。それくらいのことがない限り、うちの子は人を叩いたりしないと思うんです」  皐月の母からは揺るがない自信が感じられた。一歩間違えればモンスターペアレンツと言われるかもしれない。それほどに自分の子供を信用していると伝わってくる。 「あの子達、叩いたことは悪いことだった、って認めました。でも叩いたことは悪かったけど、悪いことをしたとは思わない。意味わかります?」  また一休さんのトンチだ。広務は言葉に詰まった。  悪いのか悪くないのか、悪いと思っているのかいないのか。彼らの伝えたいことは言葉が足らなさすぎて、広務には伝わらなかった。 「皐月も瑛太くんも、手を上げたのは反省しているんです。でも、あの子達をそうさせた理由があるんです。ケンカをすれば叱られるのはわかりきっている。それでもケンカしなければいけなかった理由──。瑛太くんのお父さんは『暴力』って言ったけど、私は『ケンカ』だと思います。どうしても許せないことがあったから、ケンカをしたんだって」 「ケンカ……」  思い返せば、確かに瑛太も「ケンカした」と言っていた。それを広務が「暴力」と捉え、瑛太を問い詰めたのだ。 「もちろんケンカはよくないので、泣くほど叱っておきましたから」 「えっ?」 「うちの子も瑛太くんも、おんなじように叱っておきました。こういうのはその日のうちに叱って終わる。それがうちのルールなんで。ケンカの理由については、落ち着いてからまた聞いておきます。とりあえず今夜は瑛太くん、うちにお泊まりしたいみたいなんで泊めてもいいですか?」  広務はしばらく迷ったが、皐月の母の言葉に甘えることにした。きっと瑛太だって動揺しているはずだ。だったら親として未熟な広務といるより、懐の大きい皐月の母親の方が話しやすいだろう。 「申し訳ありません。よろしくお願いします」  通話を切った途端、例えようのない虚しさに襲われた。自分の不甲斐なさがつらい。  ひとりぼっちの部屋はがらんとして薄ら寒い。いないとわかっていても、つい瑛太の気配を探してしまう。  今までどうやって一人の時間をやり過ごしてきたのか。いや、今までは一人の時間を愛していたのに。  広務は服を着替えて部屋を出た。向かうのは瑛太と暮らす以前、頻繁に通っていたバーだ。久しぶりにオーナーの冗談を聞き、深山が作ってくれる酒を飲もう。  マンションを出て駅前へ向かうと、駅前のロータリーでタクシーを拾い乗り込んだ。

ともだちにシェアしよう!