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 マンションを出て駅前へ向かうと、駅前のロータリーでタクシーを拾い乗り込んだ。  まだ夜は始まったばかり、都心の街は多くの人が忙しく行き交っている。本当に久しぶりに見る景色だと思った。ついこの間までは自分もその景色の一人だったのに。  広務はまるで異国の風景を見るように、車窓から見える街を見つめ続けた。夜の街はすっかり広務とは無縁の世界になっていた。  タクシーを降り、ふらふらと繁華街を彷徨い歩く。すでに一軒目を終えたらしいほろ酔い気味のサラリーマン達とすれ違った。傘の端同士がぶつかる。 「あ、すいません」  傘はパンッと小気味よい音をたて雨滴を跳ねさせたが、サラリーマン達は気にする様子もなく行ってしまった。その後ろ姿に、少し前までの自分の姿を重ねた。  気の向くまま飲み歩き、夜遊びし、本当に自由だった。家のことなど気にしたこともなかった。気にするべき家庭がなかった。  今では瑛太のために早く帰宅し、瑛太のために家事をこなす。いつも心の端っこで瑛太の心配をし、瑛太が健やかに育つことを願い生活をする。  なのに。瑛太は広務に何も言ってくれなかった。怒った広務に腹を立て出て行ってしまった。自分達の間には、まだ親子の信頼関係なんてものは築けていなかったのかもしれない。 「虚しい」  つぶやくと虚脱感が全身を巡った。 「寂しい」  更に言葉にしてしまった。寂しさはずっと以前から感じていた。  一生一人で生きると決めた時に、見て見ぬふりをすると決めた寂しさだった。その寂しさを埋めるように、後腐れのない相手と関係していた。  でも瑛太が来てからは、すっかり忘れていた感情だったのだ。 「葛岡さん?」  ぼうっと突っ立っていると、声がかかった。振り向くとそこには、全身黒ずくめの格好をした深山がいる。  深山は広務を見るとニコリと笑んだ。まるで美しい悪魔みたいだと思った。 「どこ行くんですか?」  そう尋ねられ、広務は目的の店をとっくに行き過ぎていたことに気がついた。 「あれ……?」 「ふふ……、迷子?」  すっと目前に立たれ微笑まれる。いつもは長めの前髪で隠された美しい奥二重の目が、その黒い髪の隙間から、広務を捕食するかのように見つめていた。

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