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小学四年の時にひとりだけ椎名にバレンタインの義理チョコをくれた女子、どうやらその子が噂を広めたらしかった。「椎名くんにチョコあげると、素敵なお返しくれるよ」と。
椎名のモテは自分自身の力ではなく、「素敵なお返しをくれる椎名くん」の力だと知った小六の二月。
しかしそれも中学に上がってしまえば、素敵なお返し程度のことで女子達はチョコをくれなくなった。中学でチョコを貰える男子とは、「コミュ力 高め」でなければいけないのだ。
顔面偏差値は悪くない椎名だったが、女子のしたたかさを小学生で知ってしまったため、わざわざモテようとは思わなくなっていた。しかし中三の夏、そんな椎名にも初めての彼女が出来た。
夏休み、互いの家で受験勉強をしようということになった。しかし椎名は自分一人の部屋を持っていない。自分の他に弟が三人もいるため、弟との相部屋だった。
別に家族に隠すようなつきあいをしているわけでもないので、リビングで彼女と勉強することにした。
「お邪魔します……」
遠慮がちに部屋を見回した彼女の視線が、ある一点でとまった。それは七斗の母親が大事にしているひとりがけのソファ──といっても今は畳んだ洗濯物の一時保管場所になっていたりするのだが──だ。
「あの、これって」
「あーなんかやぼったいだろ。俺が生まれる前からあるんだ」
色んな色の四角でできたパッチワークのファブリック。少し古ぼけた暖色系が椎名には「おばあちゃんちの椅子」みたいでみっともなく見えた。
「全然だよ!すてき!絵本の中に出てくる椅子みたいで、すっごく可愛い!」
「すてき?可愛い……?」
彼女の意外な反応に、椎名は戸惑った。
「ていうか、これ『スワンズ』ですか?」
彼女は椎名を通り越して、キッチンにいる椎名の母に尋ねた。
「すわんず……」
苦い思い出が蘇る。スワンズの文房具、スワンズの家具。
『swanz』とは女性をターゲットにしたインテリアや雑貨を取り扱っているショップだ。客層は幅広く、特に二、三十代の女性に熱い支持を受けているらしい。
小学生の椎名は知らなかったが、スワンズのショップは全国展開されており、大型ショッピングモールやアウトレットモールなどには必ずと言ってよいほど店舗が存在した。最近ではカフェやルームウエア専門店、海外のリーズナブルな輸入雑貨を扱う店舗などを系列にオープンさせ、情報番組などでたびたび特集されている。
女性の心をがっちり掴んだラインナップで、小学校の女子がお返しほしさにチョコを渡しまくるのも納得のステキぶりだった。
「そうなの!スワンズの、十五年前の物なの~」
対等にカワイイ談義が出来る女子が突然現れ、母親のテンションは天井知らずに上がっていく。十五年前って──まじダニとか大丈夫かよ、と逆に椎名のテンションはダダ下がった。
「最近このシリーズの復刻版家具が出ましたよね?雑誌で見て、私もう一目惚れで……」
「やだーほんと?実はねえ、これ、私がデザインしたのよぉ~、うふふっ!」
「えっ!すごい!」
彼女は瞳の輝きを二倍増しにさせて、椎名の母親を見つめた。母親の突然の告白に、椎名は目玉が二倍飛び出るかと思った。
このババくさいソファを母親がデザインしたと?このうちのハンドメイド婆の母親が?雑誌にも載るような、女子力を高めるだけに存在するショップの仕事を、うちのおばさんが?
「白鳥のおじさん、スワンズの社長なのよ~。あんたを産む前、私そこの社員だったの」
話についていけない椎名に向けて、母親はそう言い放った。そして椎名そっちのけで女子トークに花を咲かせ続ける始末。
白鳥のおじさんというのは、母の叔父にあたる人だ。子供の椎名から見てもえらい洒落たおっさんで、独身で、会う度いつも違う女の人と付き合っている。精力的でイタリア人みたいな人だな、と椎名は常々思っていた。
しかし因縁のスワンズの社長が、まさか白鳥のおじさんとは──。椎名がスワンズの社長の親戚という事実は、夏休み明けにはすっかり女子達の間に広まっていた。そして翌週には、なぜか椎名がスワンズの次期社長だという尾ひれがついていた。
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