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「母ちゃんが大阪のお父さんと結婚した時、俺が一番に思ったのは父ちゃんの事だった。母ちゃんは新しい旦那さんと子供ができて家族が増えていくのに、父ちゃんはひとりぼっちなんだなぁって思ったら、心がぎゅうってなった」 「……うん」  やっぱり瑛太はいい子だ。いつもふとした時に気づかされる。 「だったら俺が父ちゃんの家族なるって決めたんだ。母ちゃんは新しい家族と幸せになって欲しい。新しい家族に俺は必要ないんじゃないかって──」  瑛太の声が微かに震えた。きっとその頃を思い出しているのだろう。  母親の再婚、離婚して離れて暮らす父親、心の動揺を周りに悟られないよう振る舞っていたのだろう。  大人の身勝手は、瑛太の幼い心に確実に傷をつけていたのだ。 「瑛太が必要ないなんて絶対にない。東京を離れる時、お母さん泣いてただろう」  瑛太と離れる時、香子はきっと半身をもがれる思いだったに違いない。今の広務にはその気持ちがよく理解できる。 「ん……。でもその時はそう思った。母ちゃんには、母ちゃんを大事にしてくれる家族が増える。俺がいなくても一人にはならない。だったら俺は父ちゃんと暮らしたい。父ちゃんをひとりぼっちにしたくない。俺が父ちゃんの家族になるんだって」 「瑛太……」 「だから、泣くなや……」  瑛太の頬にも涙の筋ができていた。広務も流れ落ちる涙を止めることができない。それどころか、後から後から熱い涙があふれ出る。  もしかして──。瑛太が突然香子のもとへ行くと決めた理由。  たったひとつだけ、思いあたることがあった。 「瑛太……、大阪に行く理由って」  瑛太は広務を見つめ、小さくうなずく。 「父ちゃんには、もう、椎名がいるじゃん──ッ、もう……、ひとりじゃないじゃんっ……!」  ぶわっと瑛太の眼に涙が丸く盛り上がり、ボタボタと垂れた。小さくしゃくりあげながら、それでも言葉を伝えようとする。 「俺っ……、椎名のことは好きだけど、でも、やだ……!父ちゃんが、母ちゃん以外の人とつきあったり結婚したりするの、なんかやだ……!椎名だから──男だから嫌とかじゃなくて、それが女の人でも嫌なんだ……。父ちゃんは、俺の父ちゃんなんだから……ッ」  瑛太は広務のセクシャリティについて、偏見は持っていないらしい。父親に新しい恋人ができることが、許せないようだった。  親が再婚することや、恋人を持つことに戸惑う子供は少なからずいる。正に瑛太がそうなのだ。  香子の再婚がすんなり進み、瑛太はステップファミリーに抵抗のない子供だと思い込んでいた。それは大人の都合のよい思い込みで、瑛太はただ親の愛情をひとり占めしたい、ごく普通の子供だった。 「俺きっと、ここにいたら、椎名のことを嫌いになる。俺から父ちゃんのことを盗った、って思っちゃうから──そんなの思いたくないから!俺、母ちゃんのとこに行くよ……」  広務の心は決まっている。  この世界で一番大切な存在、それは間違いなく、瑛太だ。 「瑛太……、お願いだから、お父さんといて」 「……でも」 「お父さんが何よりも誰よりも一番大切なのは、瑛太なんだ。瑛太がいるから毎日頑張れるし、毎日楽しいんだ。瑛太のいない毎日なんて、もう考えられないんだ……」  瑛太と椎名、どちらか一人選べと言われたら、広務は絶対に瑛太を選ぶ。  瑛太に悲しい思いをさせてまで椎名と幸せになりたいだなんて、微塵も思うはずがない。  瑛太は答える変わりに、広務に抱きついた。赤ん坊の頃のように簡単に抱き上げることはできないけれど、昔と同じ髪の手触りに体温。  本当に広務の手から離れる時まで、親の責任を果たさせてほしい。成長を一番近くで見させてほしい。  そのためだったら、何を捨てても悔やまない──。

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