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 椎名との別れ話は、広務が思ったよりもスムーズに終わった。  瑛太がどんな気持ちで広務の元にやって来たのか、そして去ろうとしたのか、広務は全て正直に椎名に話した。 「わかりました」  たったひと言で広務達の関係は終わった。椎名は優しい笑みを浮かべ、すんなり広務を諦めたのだ。  それでいい。  それが一番正しい選択だ。  広務との恋は、椎名の人生にとって、些細な迷い道であってほしい。  結婚し、子供を持ち、いつか椎名が人生を振り返る時、「そんなこともあった」と懐かしく思い出すだろう。  その思い出が、彼にとって少しでも美しいものでありますように──、それだけを願う。  広務の手元には、椎名がクリスマスに贈ってくれた革カバーのスケジュール帳が残った。  人気のアパレルメーカーが毎年カバーデザインを変え販売しているもので、去年からスケジュール帳の冊子にロクカク製品が採用されることとなった。その契約を取ってきたのが、椎名だった。  革カバーのスケジュール帳は、中の冊子を買い換えることで長く使える。その分、カバー無しデザインの物よりも値が張った。  プレゼントされた時、大切に使うと椎名に約束したけれど、別れた今、更にそう思うようになった。この革カバーのスケジュール帳が、広務に残された大切な恋の思い出となったのだ。  そして年度が変わる前に、椎名の異動が発表された。  もともと椎名は製品デザインに携わる部署を希望して、本社に戻ってきたのだそうだ。当時は希望が叶わず営業部に配属されたが、再び異動願を菊池部長に提出したらしい。  広務は椎名への気持ちを、はっきり言葉にしたことがなかった。  いつかこんな終わりが来るのを予感していたからかもしれない。 「好きだなぁ……」  ほろりと言葉にすると、乾いた土に染み込む水のように、広務の全身に広がっていく。  椎名が好きだ。すごく好きだ。  でもその『好き』は、広務の一番大切な人を裏切ることになる。  椎名と瑛太を天秤にかけた。重いのは瑛太の乗った皿の方だった。  これはよくある子持の恋の話。子供に反対され、うまくいかなくなったカップルは世間に山ほどいるはずだ。  ただその恋が、広務にとって生まれて初めての本気の恋だった。  本当の──、本物の恋など知らないままでよかったのだ。それでもその終わった恋を、広務は大切に胸にしまって生きるのだろう。  別れ話をすませた夜、広務はベッドで眠る瑛太の寝顔を久しぶりに見た。すやすやと眠る瑛太は、もうすぐ中学生になるというのに、あいかわらず天使のようだ。  この健やかな寝顔を、広務は守り続けたいと願う。  おやすみなさい、よい夢を。  どうか君がいつも幸せでありますように──。

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