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クリスマスは子供にとってはプレゼントをもらえる日だけど、恋人達のための日でもある。思春期に入ろうとしている瑛太は、そういう世の中の事が見え始めていた。
そんな日に、二人は約束をしている。それに広務の恋愛対象は同性なのだ。
ということは、やはり父親の恋人は──。
同性愛に嫌悪があるわけではない。
世の中には色んな性があることを、瑛太は幼い頃から知っている。主にテレビからの情報だったけど、女装したタレントなどが人気を博していて、そういう性があるのだとすんなり受け止められる時代に瑛太は生まれたのだ。
自分はきっと女の子を好きになるであろう予感がある。なんとなくだが、自分は世間一般の大多数である性的指向だろうとわかる。
だから父親の広務が男の人を好きになる気持ちはさっぱりわからないけれど、瑛太が嫌悪を抱いたのはそこではないのだ。
広務が誰かを好きになったことが、ものすごくショックだった。
母親が再婚したときも、実は大きなショックを受けていた。自分が幼い頃に両親は離婚したが、まさか父親以外の男性を母が好きになるなんて思いもよらなかったのだ。
だけど母親の香子には幸せになる権利がある。
離婚し、女手一つ(実際は祖父母の手を借りてだったが)で瑛太をここまで育てるのは、大変な苦労があっただろう。そんな母が連れてきた再婚相手は、非の打ち所がないとてもいい人だった。
その人は、母と瑛太と三人で家族を作ろうと言ってくれ、瑛太も納得の上での再婚だった。
しばらくして母親が妊娠した。家族も祖父母も親戚も、新しい命の誕生を期待し、喜んでいる。
──自分の時はどうだったのだろう。
瑛太の心に暗い影がさした。
自分の時は、予定しなかった妊娠にきっと誰もが反対し戸惑ったのではないか。
まだ生まれもしない弟妹と自分を、無意識に瑛太は比べた。
日に日に瑛太の孤独は深まっていった。まだ小学生の子供だけど、子供なりに疎外感をひしひしと感じた。
そんな時、ふと思い浮かんだのが広務のことだった。
広務は自責の念から、一生をひとりで過ごすと香子に誓ったという。
それはあまりにも寂しいのではないか、と感じた。
香子が幸せになってよいのなら、父親である広務だって幸せになってほしい。
一度も一緒に暮らしたことのない父だけど、瑛太の中にちゃんと彼に対して愛情がある。広務が一生パートナーを持たないというのなら、その孤独を自分が埋めてあげたい。
そうして瑛太は広務の元へ行くと決めたのだ。
なのに広務は新しい恋人を得た。椎名といる広務は、瑛太に見せたことのない顔をして幸福を満喫しているように見えた。
広務には血を分けた息子の自分がいるのに。
恋の最中にいる広務を、瑛太は思春期特有の潔癖さで「穢らわしい」と感じた。
大人って勝手だ、大人って汚い、普通の子供がその時期に感じる、成長の過程に生じる反抗感だ。ただ瑛太の場合、家庭環境が複雑すぎた。
ひたすらに、今の広務には自分が邪魔なのではないか──そういう思いでいっぱいで、瑛太は母親の元に戻ることを決めたのだ。
でも広務は恋人より、息子である瑛太を選んだ。父親の人生で、自分以上に大切なものはないと知った。
瑛太は生まれて初めて、自分の存在を肯定されたように感じた。
だから申し訳ないけれど、父親を椎名に譲るつもりはない。
だから瑛太は椎名に謝り、頭を下げた。
「いいんだ。それより、瑛太くんにいつか渡そうと思ってたものがあって──ちょうどよかった」
椎名はバッグからリボンのかかった横長の箱を取り出した。
「中学の入学祝い。……近所だから、もし会えたら渡したいと思ってたんだ。最後に会えて、本当によかった」
会社に行けば広務がいる。なのに椎名は広務に預けることをしなかった。
それくらい、もう二人に接点はないのかもしれない。その原因を作ったのは、他でもない自分だ。
身勝手だと思いつつ、瑛太は秘かに胸を痛めた。この気持ちは後悔からなのだろうか。
しかし人生経験の短い瑛太にはわからない。ただ、哀しいとだけ感じた。
「……もらっていいの?」
瑛太は横長の箱を受け取り、濃紺のリボンを解いた。黒い革か合皮かわからないけれど、艶のある革のような手触りの箱。ふたを開けると、中には銀色のボールペンが入っていた。
子供の瑛太から見ても、高級品だとわかるシリアルナンバーつきのペン。『Eita Kuzuoka』と筆記体で名前が刻印されている。
「こんな高そうなのもらえないよ……」
瑛太は箱を椎名へ突き返そうとした。しかし椎名は瑛太の手に自分の手を重ね、瑛太の胸元へ押し返す。
「気に入らなかったら捨てていい。ただ、贈りたかっただけだから」
椎名は微笑むと、じゃあね、と言って歩き出した。
瑛太は何も言えなくなり、その後ろ姿を見つめた。いつの間にか頬に、熱い涙が幾筋も跡をつけていた。
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